国税査察官

 

 映画監督故伊丹十三氏の映画「マルサの女」で一躍有名になったマルサこと、国税庁国税査察官です。百聞は一見にしかずという事で、マルサについて知りたい人は映画見て下さい。……なーんて言ってしまうと、我がページの存在意義がなくなってしまいますね。という事で、査察官について少しく述べてみましょう。

 強制力をもって脱税を摘発する査察制度は、戦後の昭和23年7月に設けられました。当時はまだ国税庁はなかったので、大蔵省主税局に査察部、地方の財務局に国税査察部が置かれました。査察が国税庁に移ったのは、庁発足と同じ昭和24年6月ですから、実は査察の歴史は国税庁の歴史よりもちょこっと長い。

 国税査察制度の設立目的は

「税務行政の一環として、大口・悪質な脱税者に対し刑事責任を追求して納税道義の高揚を図ることにより、申告納税制度の維持とその健全な発展に資するにある。」

と、モノの本にはあります。

 現在の税制の基本は申告納税制、つまり「私はいくら儲けたんで、法に基づきいくら税金を支払います。」と自己申告して自分で払うという制度、納税者が正直者である事を前提とした制度なのです(源泉徴収が基本なんじゃないの?と突っ込んじゃいけません・笑)。査察制度は、強制力と罰則でもって脱税を摘発する、言ってみれば申告納税制度の "最後の砦" になる訳ですね。ところで本来税法の精神は「税を取る」事にある訳で、そこから見ると追徴課税と重加算課税でもって脱税摘発終了となりそうです。しかし金を取るだけにとどまらず、敢えて「刑事責任の追及」も目的の一に挙げているところに、姿勢の厳しさが窺われます。

 この最後の砦たる査察制度を現実に支えているのが、国税Gメンこと国税査察官です。その陣容ですが、最新の数字は分からないものの、平成11年度の段階で1,305名います。配置先は全国に11ある国税局の査察部/調査査察部、及び国税庁調査査察部です。通常税務署には配置されませんが、例外として特別国税査察官という肩書の査察官がいます。かれらは配置先の国税局からさらに税務署へと派遣され、「地域に密着した有効な資料情報」の収集をその任務としています。

 そうやって犯則事件、すなわち脱税の疑いある時は、内偵し、嫌疑濃厚とあれば強制調査を行います。査察を行う査察官は、犯則事件を調査するため必要ある場合、国税犯則取締法にもとづき裁判所の許可を得て臨検・捜索・差し押えを行うことができます。逮捕権はなく、相手の抵抗等があっても身柄拘束はできませんが、警察官の応援を求める事ができます。強制調査の結果犯則の事実が明らかになったり、あるいは犯則嫌疑者に逃亡や証拠堙滅のおそれがある時は、検察へ告発します。起訴まで持って行けば、あとは司法の場で裁かれる。

 彼らの手によって摘発される脱税は、件数にして年間平均200件以上、額にして400億を越すといいますから、大したもんです。しかし先にも述べたようにこれらはあくまで「大口・悪質」な分です。小口や未摘発の分も加えると、脱税の総額って一体……。納税道義の確立、と言ってもその道は遠く険しい。

 こうした「大口・悪質」な脱税を取締まるという点から見て逃せないのが、政治家のからんだ脱税事件です。1960年代後半以降、マルサは検察の特捜部門と協力して政治家のからんだ脱税事件を幾つも挙げて来ました。これらに関する話は最近徐々に書籍化されていますが、読んでみると本当に壮絶ですね。

 相手は政治家ですから、各方面に影響力があり、査察して間違いでしたでは済みません。確実に事件化するために事前調査は微に入り細をうがちます。また証拠隠滅を避けるため、内偵から着手までとにかく秘密厳守です。脱税したカネが入ってると見られる預金口座の調査のため銀行へ行っても、内偵の事実やその相手を悟られないように色々工夫しないといけないとか。着手したらしたで、今度は調査中止の圧力にどう対応するか…。頭が下がりますね、ほんと。

 しかしこうした努力を重ねて事件化しようとしても、政治家がらみの場合国税局のみではどうしようもないという現実があります。マルサが持っているのは強制調査権のみで、逮捕権はありません。しかし、海千山千・百戦錬磨の政治家相手に脱税の全容を解明するには、どうしても逮捕しての取り調べが必要なようです。国税局はこの点、検察と密接に協力する事で切り抜けているようですが。いやはや…何とコメントしたら良いのやら。

 さて、納税道義確立という点に話を戻しましょうか。事件の摘発が道義の確立に結びつくためには、事件の摘発自体が世間の注目を集めるような話題あるものとなる事も必要です。政治家の脱税は確かに話題性に富んでおりますが、この他に、

「(査察が)特定の業種に偏ることなく、一般申告水準への波及効果を最大ならしめるよう、最も時宜に適した業種について行なうよう配意している。」

との事です。つまり、売れ筋業界狙いうちって事ですね。のべつまくなしに潰してまわるんでなくて頭を狙うというやり方で、やられる方にとっては大変な話ですが、効率という観点から見るとこれは結構賢いやり方なのではないかと。

 ただ一言付け加えるとするならば、これは最近の話であって、戦後すぐは、納税道義の確立もさることながらとにかく税収確保であると、それこそなで斬りに摘発して回りました。

 例えば設立翌年の昭和24年度などは、摘発件数なんと1,119件! 1日3件の割合で「ガサ入れ」がなされていた計算になります。しかも、この内検察に告発されたのは137件でしかありません。割合にして見ると13%程度。調査によって税収を確保する事が目指されており、犯罪として検挙する点はあまり優先されませんでした。ま、大戦の混乱覚めやらず、必要経費分の祖税収入の確保すら危うかった時代の話では、ありますけどね。

 ついでに言えば、戦後の混乱が収束すると、マルサがいなくても税収が安定確保できるようになり、査察部の存在意義が問われるようになって来ました。それどころか強権ぶりが目立つという事で、国会で査察制度の廃止が議論されもしたほどです。この時、査察は新たな存在意義を「巨額で悪質な事案の摘発」に求めたのでした。

 軌道修正当初は、政治家の脱税摘発などで検察の後塵を拝する事もあり、モノの本などには「マルサ最初の二十年は屈辱の二十年である」なんて事も書いてあります。そうした試行錯誤の結果、1966年以降査察は検察と協力して政治家の脱税を挙げる手法を確立し、その他自前の脱税摘発手法にも磨きをかけ、今に至るという訳です。

 ううむ、マルサ道は一日にしてならず、ですね。

 そのマルサに関するエピソードを、1つだけですが、下に書いております。

 
主要参考資料;
『国税庁二十年史』 編;国税庁 刊;財団法人大蔵財務協会 1969
『国税庁三十年史』 編;国税庁三十年史編集委員会 刊;国税庁 1979
『国税庁四十年史』 編;国税庁四十年史編集委員会 刊;大蔵財務協会 1990
『国税庁五十年史』 編・刊;国税庁 2000
『東京国税局査察部』 著;立石勝規 岩波新書 1999

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