どうした非武装中立論

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 米ソ冷戦・東西対立が終ってからはや十年が過ぎました。往年の「北の脅威」も今ではめっきりと減り、語られる事も少なくなりました。日本への直接侵略のおそれが大幅に減少した今、護憲派が勢い付いて声高に自衛隊不用・解体、日米安保廃止、非武装中立化を叫び出す…かと思いきや。おやおや、なかなかそうも行かないようです。

 1991年の湾岸戦争を皮切りに、国際貢献の問題が大きな問題として持ち上がりました。

 イラクによるクウェート侵略にどう対応するか。アメリカを始めとする諸国は、国連安保理の決議の下、イラクに対する軍事的圧力で事態を解決しようとしました。要するに戦争です。サウジアラビアやトルコには多国籍軍が集結しました。多国籍軍に戦闘部隊を派遣する事は「集団的自衛権の行使」「海外での武力行使」に該当するという理由で、日本はそれはできません。しかし、座して事態の推移を見守るだけで良いハズもなく。ぢゃあどうすんだよ!

 議論が紛糾した結果、日本は多国籍軍へ支援金を出した他、発生した難民を自衛隊機で輸送支援する用意がある旨発表しました。しかし、国連からもどこからも難民輸送支援の要請は来ず、自衛隊機は飛びませんでした。民間に呼びかけた湾岸向け医療ボランティアも空振りに終ったようで。結局、戦争中に日本が行なった主な支援は支援金の支出でした。

 無論、日本が何もしなかったというつもりは毛頭ありません。日本円にして1兆円を越す支援金が、多国籍軍にとって戦争遂行の重要な資金となったのは確かです。しかし、実際に軍を出した他国に比べるとインパクトの薄さはどうしても否めず、戦後クウェート政府が新聞に載せた感謝広告に、日本の名はありませんでした。

 自衛隊の国際貢献というとまずPKOが頭に浮かびますが、自衛隊を国際協力の一環として海外に出そうという発想の根は、直接的には湾岸戦争に求められます。この後日本は戦後の湾岸に掃海部隊を派遣し、以降カンボジアPKO、モザンビークPKO、在ザイール・ルワンダ難民キャンプ人道支援、ゴランPKO、インドネシア暴動・邦人救出準備、ホンジュラス・ハリケーン被害国際緊急援助…と自衛隊の海外派遣が続いて行くのです。

 国際貢献に並び、自衛隊の根本任務たる日本の防衛も、冷戦時代とはいささか形を変えて再び大きな問題として持ち上がりました。

 発端は1994年の北朝鮮核開発疑惑です。米朝間の緊張の高まりに伴い、朝鮮半島有事の際の邦人救出、さらには戦闘行動を行なう米軍に対する支援が大きな問題として浮上して来ました。加えてもう1つ、見逃せないのが日本本土の安全です。

 朝鮮半島有事の際、日本には何万という戦争難民が殺到すると予想されます。この大量の難民にどう対応するのか。また、米韓にとって重要な後方支援基地となる日本に対する、北朝鮮特殊部隊のテロ攻撃も予想されます。彼らにはどう対応するのか。難民には海保と入管、テロ攻撃には警察が、第一義的には対応する機関となるでしょう。しかし、こういった警察機関だけで果たして対応しきれるのか。緊張が緩和しひとまず戦争の危機が去るまで、この問題は政府関係者間で何度となく議論されたようです。

 新「北の脅威」は従来テポドン・ミサイルをその目玉として語る事が多いように感じられますが、しかし脅威は決してミサイルだけには限られません。94年に懸念された北の特殊部隊の問題は、96年9月に発生した韓国東海岸への北朝鮮潜水艦座礁事件で図らずもクローズアップされる事になりました。

 朝鮮半島有事に関しては、周辺事態、米軍への協力という観点から語られる事の多い自衛隊。それも確かに大問題ですが、日本本土の防衛もまた、大問題であります。大量難民、特殊部隊、そしてもちろんミサイルも。いずれもなかなか一筋縄では行かなさそうです。

 さて、こうした一連の状況に対し、非武装中立を唱える方々はどう対応しようとしているのでしょう。旧社会党が非武装の旗を降ろしてしまったのは象徴的です(最近、ちょっと揺り戻しつつあるようですが…)。どうした非武装中立論。最近元気ないが、しっかりやっているか?

1.市民パワー?

 順番に話をしていきましょうか。まずは国際貢献の話からです。

 まぁ、国際貢献といっても、自衛隊が出るようなやや危ないものから全くそうでないものまで、政府系の協力から民間協力まで種々あって、到底一言でまとめられるものではないんですが。それはひとまず置いておくとしまして。

 話題の自衛隊による国際貢献とは、行く先が危険であったり、甚大な被害を受けた被災地であっtりする場合になされるものです。ありていに言えば、行く先が尋常でない。だからこそ自衛隊が行く。PKOなどは紛争終結直後の地域、ついこの間まで戦地であった場所へ行くんですから、現地はまだぴりぴりしておりましょう。戦闘こそやんだものの、紛争各勢力の兵力引き離し・武装解除はこれから、局地的には物状騒然というのもありそうな話です。なるほど、こういう場所に行くのは自衛隊でなくてはならない、ちような気がします。

 しかし非武装中立論者の方に言わせると、そうではないという事です。すなわち、国際赤十字や「国境なき医師団」グループ、あるいは様々なNGOが危険とされる地域で活動しているが、彼らは軍事力に頼らない。彼らは多くの場合政治的中立、被害者救済、平和主義を掲げ、武器で身を守るよりも紛争各勢力の信頼を獲得する事で身の安全を確保しようとする。武器を持っていたずらに紛争各派を刺激するよりも、こちらの方がむしろ安全で確実、かつ現実味ある手法なのである…など。

 甚大な被害を受けた海外の災害被災地への救援も、自衛隊を使う必然性は全くないと言います。日本には消防からなるIRT-JP(日本国国際救助隊)や、海保・警察などからなる国際緊急援助隊がいる。日本政府としては自衛隊ではなく彼らを派遣すればよく、またそうすべきだ、という訳。これに加え、被災地では数多くのNGOが活動しています。非軍事救援部隊の派遣と合わせ被災地におけるNGOの活動を支援する事は、憲法の定める平和主義から見て好ましいものだ…云々

 無論、上記は国際貢献の1つのタイプにしか過ぎません。要するに非武装中立論者の主張とは、「違憲」の自衛隊を利用した国際協力・貢献は軍事的なものであって許されるものではなく、あらゆる国際協力分野において日本は平和的支援のみを行なえ、というものです。自衛隊の活用は違憲・違法であり、しかも戦争に繋がる道なんですって。ふーん…

 まあ、私は自衛隊積極海外派遣論者ではないので、この点については左様ですかとしか言えませんけど。

2.ずばり、日本をどう守る。

 国際貢献は、最近はやりでもあるし、それ自体確かに重要でもありますけれども¥。しかし自衛隊の根本究極の任務は、やはり国防であります。小は銃剣・小銃に始まり大はミサイル・戦車、果ては戦闘機に護衛艦に至るまで。とにかく持てる全ての実力でもって侵攻して来た敵を撃滅し国土を守るのが、自衛隊の国防であります。

 これに対し、自衛隊は違憲にして不必要と主張する非武装中立論者の皆さんは言います。自衛隊がなくとも国は守れる。

 国を守るとはどういう事か。それは国民を守る事、さらに言うなら国民の平和に生きる権利を守る事である。ここで、仮に自衛のためと称しても戦争は戦争であり、戦禍は国民を巻き込み、悲惨な状態となるであろう。ここにおいて、戦争を起こす事は国民の平和に生きる権利の侵害である。従って自衛のための戦争も起こしてはならず、自衛隊は違憲にして不必要な存在である。

 我々がなすべき事は、善隣友好の精神で中立外交を展開し、一切の軍事力を廃してこれに頼らず、国際的信頼の中で行きていく事である。そうすれば我が国が敵意ある攻撃にさられる心配はない。たとえ攻撃があったとしても、日本が善隣友好・非武装の中立国である限り、それは明らかに不当な攻撃になるのだから、攻撃側には国際的な非難が集中するであろう。

 あるいはまた昨今話題の朝鮮半島有事の際の日本の安全に関して言えば、懸念される特殊部隊や戦争難民への対応に自衛隊を充てる必要は全くない。何となれば日本には警察と海保があり、テロや難民には彼らで対応できるからだ。

 細かい点とはしょってざっと書くと、上のような感じです。そもそも彼らに言わせると、有事を想定して議論を進める自衛隊のやり方自体がいたずらに危機をあおっており、挑発的で危険なんだそうな。自衛隊なしでも安全は保てる。否、自衛隊をなくす事で平和主義 "取り戻し" 、それこそが軍隊・軍事力に頼らない真の平和を作り得るのである。大体、軍隊が安全を保障してくれる訳では全くない。自衛のためといっても、戦争になれば人が大勢死ぬではないか。そんなものは安全とは言わない…。なーるほどねえ。

3.ま、頑張ってね

 この頃では探さないと目につく事も少なくなった気のする非武装中立論ですが、こうして見ると冷戦後もしっかり生き残ってくれているようです。そうかそうか、この頃あんまり見かけないもんだから、ついに命脈絶たれたかとちょっと心配しましたぞ。(笑)

 ちなみに、上で紹介した非武装中立論は、あくまで私個人がふらっと調べた範囲内でのものなので、私が見落したもっと別な非武装中立論もあるでしょう。見つけ次第増強したいものです。

 またついでに言うと、上記非武装中立論に対する反論ももちろんあります。詳述は避けますが、国際貢献の分野での反論は「万が一論」がその中心と見えました。自衛隊が出るのは、危機に対処する実力の裏付けがあるからである。自衛隊ならば、万一の紛争再発などの事態に際しても、自衛行動で身を守り、後退などのための時間を稼ぐ事ができる。非武装の民間団体で、こうした危機的状況に対処できるのか。

 この他にも、既存の組織活用の経済性とか、自衛隊の自己完結能力も理由として挙げられるようですけれども。まあ、先にも言ったように私は自衛隊積極海外派遣論者ではないので、この点に関しては左様ですかとしか言えないんですけどね。

 国防分野における反論は、「警察機関のみで有事のテロや大量・武装難民などには対応できない」「周囲の目を気にする余り有事の際の対応策をきっちり詰めておかないのは国家として無責任だ」「自衛隊だって信頼醸成活動はしており、危機をあおると言われるのは心外」などなどなど。

 特に最初の「警察機関では対応不可」というのは、かなり大きな反論材料になるんではないですかね。やはり詳述はしませんが、私も現段階で警察機関に全てを任せるのは不安ありと感ずる者の1人です。その辺りの話は、「自衛隊もし戦わば」「ジャパニーズSWAT!?」なんかに書いておりますので、興味のある方はどーぞ。(宣伝々々・笑)

 それに付け加えて言うなら、非武装中立論の側からも、警察機関で対応可能と見るその根拠を示したもらった記憶はありませんね。せいぜいが「海保・警察にも特殊部隊はあるのだ」という程度で。警察機関に特殊部隊あるから即大丈夫と考えるのは、いささか短絡だと私は思うんですけどねー。

 また、あまりに当たり前なのでこれまで言及しませんでしたけれども。非武装中立論に対する反論において自衛隊を違憲の存在と見る見方は、あまりありません。あったとしても、だったら憲法変えてしまえという結論が導き出されます。そりゃそうですね。非武装中立には反対だけど自衛隊は違憲だと思うんでなくしましょう、では、非武装中立論と変わるところがありますまい。(笑)

 憲法施行からはや50年が経過しました。気が付けば時代は21世紀です。これまでの間様々な事件はありましたが、なんだかんだ言って非武装中立が日本の国策になる事はありませんでした。現在も国策にはなっていませんし、遠い未来はともかく、近い将来国策として実現する事も難しいような気がします。もし明日自衛隊がなくなると言われれば、私は喜びよりもまず間違いなく不安の方を感じるでしょう。

 しかし。憲法理念かくあるべしとの信念を抱き続けてきた非武装中立論者の根性は立派です。いつの日か、軍隊の要らない真に平和な時代も来る事でしょう。その時代が1日でも早く到来するよう、これからも頑張って自衛隊を目の仇にして行って下さい。応援はしませんが、一応見守ってますんで。

 
 
主要参照文献;
『非武装国民抵抗の思想』 著;宮田光雄 岩波新書 1971
『戦争放棄と平和的生存権』 著;深瀬忠一 刊;岩波書店 1987
『平和憲法の創造的展開──総合的安全保障の憲法学的研究──』 編;和田英夫、小林直樹、深瀬忠一、古川純 刊;株式会社学陽書房 1987
『武力なき平和』 著;水島朝穂 刊;岩波書店 1997

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