ジャパニーズSWAT!?

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 ニッポン警備警察特殊部隊、のお話です。警備警察特殊部隊っていったいどんなのあるんだろうねえ?から始まり、その中身、装備、実際の行動云々に至るまで、調べがついた範囲内で網羅してみました。

  1. SAT

     今でこそSWATという単語もその存在もメジャーになったとみえ、あちこちらで見かけるようになりました。例えば映画の話ですが、1988年の『ダイハード』公開当初なんかは、字幕や吹替え時のSWATの訳語として「狙撃隊」だの「特別機動隊」だのが当ててありました。あるいは、外国ドラマ好きの人なら『特別狙撃隊SWAT』を思い出されるかもしれません。機動隊とか狙撃隊とか、訳し方になかなか困った様子。まあ今となっては要らぬ苦労なのですが、でも当時はほんとSWATなんて存在も単語も知られてませんでしたから……。それが1994年の映画『スピード』では、SWATでそのまま通用したものです。

     このSWATは、アメリカの警察の部隊なんですが、言うなれば警察特殊部隊の事です。Special Weapon And Tactics team、特殊火器及び戦術部隊、の頭文字を取ってSWAT。でもこれは後付けで、元はSpecial Weapon Assoult TeamでSWATだったとか。特殊火器攻撃チーム……燃えるネーミングだ。

     平成8年4月、日本でもこのSWAT似のチームが結成されました。より正確には、それまで極秘だった部隊の存在を明らかにすると同時に部隊数を増やし、公称を定めました。その警察特殊部隊の名はSAT。Special Assoult Teamの頭文字を取って命名されました。敢えて訳するならば、特殊急襲部隊とでもなるんでしょうか。刺激的なネーミングを嫌う日本にしちゃえらく強気な命名だと、最初聞いた時はちょっとびっくりしました。

     ただし。アメリカのSWATの任務は「凶悪犯罪への対応」です。アメリカは銃社会ですから、銃器を利用した凶悪犯罪も多い。そういった犯罪に対応するのがSWATでして、いわゆる対テロ部隊のようなものとはちょっと違います。私流に言えば、「刑事警察特殊部隊」となりましょうか。

     SATは、名前や格好なんかがSWATと似てはいますが、その任務はSWATとは根本的に違います。日本のSATは機動隊内部に編成(後に異動がありますけれど)された「警備警察特殊部隊」でして、警備犯罪に対応するのがその第一の任務なのです。応援の要請があれば勿論一般の刑事犯罪に対応して出動する事もありますが、しかし第一な任務対象はあくまで警備犯罪。SATはまさしく日本の対テロ部隊なのです。

     この前年の平成7年は、3月に地下鉄サリンを始めとする一連のオウム教団関連事件があり、6月には函館空港全日空機ハイジャック事件も起こり、高いはずだった日本の治安が揺るいでいった年でした。特殊部隊の存在公開は、そんな状況に対する警察の回答の1つであった訳です。

     以下、このSATについて少しく述べてみることにします。

    名称

     世に知れた名は「SAT」ですが、正式にはどうやら単に「特殊部隊」とだけ呼ばれているようです。SAT設置が公式発表された平成8年の『警察白書』からして、「特殊部隊(SAT)」という書き方で部隊を紹介しており、SATという名前は通称みたいな扱いになっています(*)。また、警視庁と大阪府警が、それぞれの警察の内部組織を定めている公安委員会規則を公表していますが、そこで見られる部隊名もまた「特殊部隊」。SATという名ではありません。せっかく公称があるのにもったいない……という気もしますが、まあいいか。

    配備先

     警視庁、大阪、千葉、神奈川、愛知、福岡、北海道、沖縄県警察。

     この内警視庁には3個班、大阪府警には2個班が以前から配備済みでした。平成8年に北海道から福岡までの5道県警へ1個班ずつ配置(*)、さらに平成17年に沖縄県警へ配置(*)されました。

     平成8年の新配置先として北海道以下福岡までの5道県警が選ばれた理由は良く分かりませんが、国際空港と何らかの関係があるらしい。警視庁は羽田、大阪府警は関空、後も同様で成田、名古屋、福岡、新千歳、といった風にですね。ハイジャックを警戒した配置と見る事ができます。ただ神奈川だけは国際空港ありませんが、関東の大都市圏ですし、羽田も近いので、配備されたのでしょう。なお平成17年の沖縄県警への配置は、警察当局の公式見解によると、島嶼県である沖縄は既にSAT設置済みの都道府県警から離れているため、近年のテロ情勢を勘案し、重大事案への対処能力を高めることにした、とのこと。つまりは沖縄特有の地理上の理由によるものとされており、「米軍基地の集中をめぐる「対テロ重点配置」ではない」んだそうです(*)。ほんとか?

    所属・編成

     平成8年の正式発足当時は、警部を隊長に1個班20人程度。全国で10個班、総勢200人余という態勢でした(*)。隊の所属は明らかでありませんが、どうやら機動隊内に設けられていた模様。噂では警視庁は第六機動隊(*)に、大阪府警は第二機動隊(*)に設けていたという話を聞いております。

     ただし現在(平成20年10月現在)では、若干変化がある模様。まず、警視庁においては警備部警備第一課に「警視庁特殊部隊」を置いており(警視庁組織規則(昭47都公安委規則2号)第64条)、大阪府警においては警備部警備課に「特殊部隊」を置いています(大阪府警察組織規則(平6府公安委規則19号)第75条の2)。ここで謂う特殊部隊がいわゆるSATだ、と断定していいものかどうか迷うところもあるのですが、白書でも特殊部隊といえばSATのことですから、そう見なしても問題ないでしょう。また報道によると、沖縄県警の部隊は警備部警備第二課の下に置かれているという話です(*)。

     残りの5道県警については、白書において、一部の警察の機動隊に専門部隊として特殊部隊(SAT)が置かれている旨の記述がなされていることから(*)、機動隊の中に機能別部隊の一という形でSATが存在しているのだと思われます。ただし、機動隊内にずばり「特殊部隊」等の名を冠した部隊が置いてある訳ではなく、特定の小隊なり係なりに隊員を集め、そこが特殊部隊として出動・活動するという形になっているようです(*)。

     また規模の面でも、沖縄県警へのSAT設置と同時に増強がなされ、平成17年度予算において既存部隊を増員、従来の全国合わせて約200人の体制から約250人の体制となりました(*)。さらに翌平成18年度においても50人増員され、約300人体制となっています(*)。

    装備

     新聞報道なんかでは「自動式けん銃やライフル銃、暗視双眼鏡、レーザー距離測定機のほか「公開できない」武器も装備している」と伝えられています(*)。また『警察白書』では「自動式けん銃、ライフル・自動小銃等の特殊銃、特殊閃光弾、ヘリコプター等」が配備されていると述べられていました(*)。まあ、ヘリを運用するのはSATではなく警察航空隊なのですが。それはともかく、色々特殊な装備を持っている事は十分伺われます。しかし、銃器にせよその他装備品にせよ、具体的な種類・名前などは公式には一切発表されません。

     しかるに警察は、平成14年5月にSATの訓練映像を発表、平成19年7月にはSATの訓練を一部報道公開しました。そこには銃器などの装備品も映っておりまして、詳しい人に教えてもらったところによると、平成14年5月の映像に写っていたのはサブマシンガン(H&K MP-5A5)、自動拳銃(SIG P220あるいはP226)、狙撃ライフル(ボルトアクション式、豊和のゴールデンベア?)、短機関銃と自動拳銃については銃身下にマグライトが附属。また平成19年7月の訓練公開で目についたのは、サブマシンガン(H&K MP-5A5、銃床伸縮タイプ)、自動拳銃(H&K USP)、狙撃ライフル(豊和のM1500)。防護装備は抗弾ベストとヘルメットだが、ベストは胴体のみならず股間部まで防護するやや大型のもの、ヘルメットは固定式の大型フェイスガードが付いたもの、であったそうです。まあ、私はこの辺のことはよう分からんのですけど……

     また、平成16年4月から10月にかけて、安全保障と防衛力の在り方について幅広い視点から有識者の意見を聞く事を目的として開催された「安全保障と防衛力に関する懇談会」(*)でも、SATの装備が一部公開されています。9月6日開催の第9回懇談会の席で配布された資料中に、SATの一部装備が写真付きで紹介されました。その資料ではSAT装備品として「自動小銃」が写真入りで載っており、映っていたのは折り曲げ銃床型の89式小銃(*)。という訳で、これがSATが装備する自動小銃である模様です。

     もちろん、公開映像・公開資料に映っているのはSATの装備品の中でもごく一部であり、実際は他にもいろいろ非公開のものを持っているはずです。がしかし公開されたものだけ取ってみても、まあそれなりにいいものを持っていると言えそうです。

     ちなみに、高性能な銃器を持つだけでなく、それを使用した訓練も十分に積んでいると見え、先ほどの公開映像・公開訓練では、かなり派手に発砲していたらしい。なお平成14年5月の訓練映像は、警察サイドで撮影した公式の公開映像なので、警察庁の情報公開室に行けば誰でも見せてもらえるはずです。気になる人はちょいと足を伸ばして見てみましょう。

    歴史

     先に「配備先」の項で、平成8年以前に既に警視庁・大阪府警には部隊が配備済みだったと書きました。これらの部隊配備は、昭和52年ダッカでの日本赤軍によるハイジャック事件がきっかけだったと言われています(*)。しかし、特殊部隊配備の動きそのものは、それ以前からありました。

     昭和47年9月6日、警察庁警備局より、警察庁次長名での通達「特殊部隊の編成について」(昭和47年9月6日付警察庁乙備発第11号)が出ますが、警察特殊部隊設置の動きはここに始まります。「銃器等使用の重大突発事案」が発生した際、これを制圧できるよう特殊部隊の編成を行う事としました。

     昭和47年、西暦に直せば1972年。この年は、まず2月に「あさま山荘事件」があり、5月にイスラエル・テルアビブにおいて日本赤軍メンバーによる自動小銃乱射事件があり、さらに9月5日、西ドイツ(※当時)ミュンヘンのオリンピック選手村においてイスラエル選手団がパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」に襲撃される事件がありました。先の通達も、日付から見るに西ドイツでの事件を受けて出されたものである事は間違いなく、世はまさにテロリズム大荒れの時代だったのです。

     この通達を受けて直ちに特殊部隊が設置されたのかどうかは分かりません。調べがついだ中では、次のような記述が見られます。

    「銃器使用事件をはじめ、ハイジャック事件など高度な逮捕制圧技術を要する事案の発生に備えて、全国の機動隊には、耐弾・耐爆性能を有する装備資機材をもつ「特殊部隊」が編成され、実戦的な訓練を実施している。」

    昭和49年『警察白書』第8章「公安の維持」第10節「機動隊の活動」第2項「活動の多様化」より

    「いままでのようなハイジャック事件があった後、われわれは何をしておったか、こういうことになりますけれども、この点につきましては、機動隊の中にそういう訓練を積む、特に機動隊の中の一部のものにつきましては、これを専門といいますか、徹底した訓練を積んでおるということでございます」

    昭和52年10月19日参議院予算委員会において、中村太郎議員の質問に対する三井脩政府委員(警察庁警備局長)の答弁。(抄)

    「特殊部隊等につきましては、現に各県におきまして機動隊の中に特殊部隊というのはすでにございまして、これは単に原発等の警備だけ、単にその目的だけではございませんで、前にも起きましたハイジャックの問題、その他の問題、特殊なこういう知識を要するところにやや多面的に活動する部隊が各県すでにでき上がっております。」

    昭和53年4月7日参議院科学技術振興対策特別委員会において、森下昭司議員の質問に対する若田末人説明員(警察庁警備局警備課長)の答弁。(抄)

     ハイジャックその他特殊な事案に備え機動隊の中に置かれた部隊、という事で、白書に謂う特殊部隊と国会答弁に謂う部隊とは、おそらく同一のものでしょう。がしかし、その「特殊部隊」「機動隊の中にそういう訓練を積む(部隊)」「ハイジャックの問題、その他の問題、特殊なこういう知識を要するところにやや多面的に活動する部隊」なるものが、今のSATの前身となる部隊であるかどうかは定かでない。当該部隊が「全国の機動隊」にあると述べている点や、またお世話になっている方の話によりますに、SATよりはむしろ銃器対策部隊や爆発物処理隊に繋がる部隊であるかもしれません。

     いずれにしても、通達が出てから遠からずして(通説通りなら5年後の昭和52年に)テロ対策警察特殊部隊が設置された訳です。

     さて、設置されたとはいえこの部隊、活動や装備の内容はもちろんのこと、そもそも存在自体からして極秘です。平成8年に部隊保有の事実が発表されるまで、およそ20年近くに渡って一切が伏せられていました。

     ただし、その秘密が完全に守られていた訳では必ずしもなさそうです。調べてみると、方々にちらちらと話が漏れている。例えば……

    特殊部隊の誕生
     秋の日ざしを浴びた埼玉県入間の航空自衛隊基地。ヘルメットをつけ、大盾を手にした出動服の機動隊員がYS-11型機を舞台にハイジャック訓練を展開していた。五十二年十一月下旬のことである。
     機内の乗っ取り犯も、これを説得、逮捕しようとする側もすべて機動隊員だ。これまでの訓練は筋書きが決まっていて、分きざみでスケジュール通りに実施していたが、この日は、全く台本のないぶっつけ本番の訓練。「身代金を持ってこい」と要求する犯人も、これを捕まえようと説得する側もその場で知恵をしぼって対応するという初めてのケース。いずれも警視庁の機動隊が主役で二日間にわたり、訓練を繰り広げたが、遂に犯人を捕まえることはできずじまい。「ハイジャック対策の難しさをあらためて認識した」と道庁幹部。
     この訓練を行なったのは、二ヵ月前インド・ボンベイ上空で発生した日本赤軍による日航機ハイジャック、その後の西独赤軍のルフトハンザ機乗っ取り事件の解決策が、余りに対照的だったことからだった。
    (中略)
     西独GSG9の活躍は、わが国の警察関係者に大きな刺激を与えた。「あらゆるゲリラ事件を想定して、特殊部隊を編成し、訓練をしておくべきである」との結論で、入間基地の“筋書きのない訓練”になった。
     それまで、警視庁の第一〜第九機動隊、特科車両隊には、特殊部隊はあった。しかし、ふだんはレスキュー隊員や一般の警備に出動しているメンバーで、訓練といっても年に数回行なっているにすぎなかった。「これでは本番に役立つかどうか疑問がある」との判断で、同庁は早速、新たな特殊部隊を編成した。各隊から射撃や柔剣道などに優れた隊員を集め、総勢七○人で専門部隊を再編したのである。部隊には犯人説得班、犯人の武器を確認したり逮捕が任務の接触班、ライフルを持つ狙撃班などがあり、筋書きなしの特殊訓練を続けている。」

    永峯正義『この剛直な男たち 警視庁機動隊30年のあゆみ』(1978年、立花書房)「筋書きなしの訓練」の項より

    「52・11・22 警視庁に対ハイジャックの特殊部隊を編成。埼玉県入間基地で非公開訓練。」

    永峯正義前掲書、巻末「警視庁機動隊年表」より。

     ダッカ事件後、GSG9の活躍に刺激されて設けられた新特殊部隊、という事で、これは後のSATに繋がる部隊と考えて間違いないでしょう。なお、同部隊設置以前、第一〜第九機動隊および特科車両隊に置かれていた特殊部隊とは、白書や国会答弁で触れられていた部隊の事であると考えられます。巻末年表に乗っている昭和52年11月22日という日付は非公開訓練をした時のものであり、部隊編成がいつであったかは同書を見る限り明らかでないのですけれども(*)それはともかく。同書が出たのは、奥付によれば昭和53年6月の事。記述内容が事実なら、部隊編成からわずか半年余りで早くも極秘部隊の存在が警察外部の事情通に知れていた事になります。

     時代はやや下り、昭和54年。この年にも、特殊部隊の話がちらりと表に出た事がありました。同年1月末に大阪で発生した、いわゆる三菱銀行北畠支店人質強盗事件の報道の際、大阪府警の部隊について話が出ています。

    「今回の“突入部隊”は大阪府警が昨年秋、編成したばかりの対ハイジャックの特殊部隊で、この日の“銀行ジャック”解決が初のお手柄となった。
     西独国境警備隊の対テロ特殊部隊「GSG9」を参考に同府警が編成した。志願者の中から長男を除く知力、体力に優れた“コマンド”を選び、狙撃や人質救出など特殊訓練を続けており、今回は事件発生直後から現場で作戦の決行時期をうかがっていた。」

    『毎日新聞』(縮刷版)昭和54年1月29日朝刊第2面所載記事「説得だけに頼れぬ 人質救出 特殊部隊で狙撃訓練」より (抄)

     後にも触れるところですけれども、同事件では大阪府警のSAT前身部隊が出動・突入しています。当時はまだその存在さえも明かされていなかったはずの秘密特殊部隊、しかし記事にはその部隊の事がさらりと紹介してありました。この記述を信じるなら、大阪府警における特殊部隊設置は警視庁に遅れる事およそ1年、昭和53年の秋頃であるという事になります(*)。

     さらに時代を下ると、こんな本にこんな記述が……

    【対ゲリラ特殊部隊】 過激派のハイジャックやゲリラ闘争での立てこもりなどに対する特殊部隊として、警視庁や大阪府警などで訓練を受けている専門部隊のこと。昭和五二年九月に起った日本赤軍の日航機ハイジャックのダッカ事件を機に、ひそかに警視庁などで組織を編成、訓練をしていたものである。警視庁管内一○機動隊、大阪府警の四機動隊のそれぞれに、優秀なメンバーを選んで約三○人程度の専門部隊をつくり、航空機の模型をつかって内部構造、非常口の外部からのこわし方や入りこみ方などの訓練をしたり、建物への侵入方法などの訓練を行っている。警察側では、その組織、装備などの内容を極秘にしているが、高性能銃をつかっての狙撃や突入訓練をしているともいわれる。五二年一○月、パレスチナ・ドイツ赤軍ゲリラにハイジャックされたルフトハンザ機を急襲、犯人を射殺して、人質の乗客、乗員全員を救出した西ドイツのテロ対策専門部隊「GSG9」をモデルにしているといわれる。」

    自由国民社『現代用語の基礎知識』昭和58年版(1983年)「学生大衆運動用語の解説」部門「対ゲリラ特殊部隊」項より

     部隊の設置目的はハイジャック対策、きっかけはダッカ事件、規模は1隊あたり人員30名程度、警視庁と大阪府警に置かれている。こうして見るとそこそこ正確な内容です。まあ、各機動隊それぞれに専門部隊を置いている、という記述は、以前に白書や国会で触れられた部隊と混同して書いてしまったものでしょう。「大阪府警の四機動隊」という記述はなんじゃそりゃですが……。ともあれ、警視庁における部隊誕生から数えておよそ6年、その間に特殊部隊の情報はここまで漏れていました。ちなみに同書における「対ゲリラ特殊部隊」の項目は、昭和60年(1985)版まで掲載が続きます。しかるにその後はぱたりと消えてしまい、次に復活するのは平成に入り特殊部隊の存在が公になってからです。

     このように、探してみればぽつりぽつりとそれらしい話が散見される。まぁ、当時は眉つばと見て誰も本気にしなかったんでしょうけれど……しかし、漏れるところには漏れるもんなんですね。

     時代は下り、平成8年4月、先にも述べた通り、前年起きたオウム事件・函館ハイジャック事件を教訓として特殊部隊の再編強化が計られました。4月1日に、やはり警察庁警備局から警察庁次長名での依命通達「特殊部隊の再編強化について」(平成8年4月1日付警察庁乙備発第6号)が出され、これによりSATが設置されたのでした。

    出動事例

     『警察白書』によると、出動事例は一応3例あるとされます。(*)

    1. 三菱銀行北畠支店人質事件 昭和54年1月(*)

       猟銃を持った犯人が銀行強盗に押し入り、人質を取って籠城した。押し入った時点で銀行員・警察官を殺害した上、立てこもり中にも人質1名を殺害した他、人質に暴行を加える等凶悪な行為に及ぶ。説得にも応じないため、犯人に人質殺害の暇を与えず一瞬で制圧逮捕する必要上発砲制圧以外に方法なしと判断された。出動したのは当時の大阪府警の部隊。事件発生から42時間後、建物内に突入し発砲、制圧。容疑者は死亡。

    2. 函館空港全日空機ハイジャック事件 平成7年6月(*)

       羽田発函館行き全日空機が、栃木県上空付近でハイジャックされた。犯人は爆弾や毒ガスの所持を窺わせる発言をし、函館空港に機体を着陸させた。爆弾等の所持はないと見られたものの、説得には応じず、人質の解放も行わないことから、突入制圧以外に方法なしと判断された。警視庁の部隊が出動し、道警と合同部隊を編成。事件発生から16時間後、機内に突入し制圧。容疑者を取り押さえ、逮捕した。

    3. 広島・西鉄バス乗っ取り事件 平成12年5月(*)

       佐賀発福岡行きの西鉄バスが、刃物を持った少年に乗っ取られた。バスは福岡を通り過ぎ、高速道路を東進、広島県内で止められた。途中、それまでに人質を刺して2名を殺害する。また、男性の人質は解放したものの、女性の人質は拘束したまま。説得にも応じないため、突入制圧以外に方法なしと判断された。福岡県警・大阪府警の部隊が出動して支援活動を行い、事件解決に貢献する。乗っ取り発生から16時間後に広島県警の捜査員が突入し、容疑者は逮捕された。

     さらに、『警察白書』には載っていないものの、SAT出動が公式に確認できる事例も1件あります。

    1. 愛知・元暴力団員による拳銃所持人質立てこもり事件 平成19年5月(*)

       元暴力団組員の男が、拳銃を発砲し、人質を取って自宅に立てこもった。その際、駆けつけた警察官1名が撃たれ、容疑者宅の玄関前に倒れる。警察は容疑者を説得すると共に負傷した警察官の救出を試み、立てこもり発生から約5時間後に救出に着手。その際、警戒に当たっていた特殊部隊の隊員1人が撃たれて死亡した。事件そのものは、発生から約22時間後に人質が自力で脱出、その6時間後(事件発生から約29時間後)に容疑者も説得に応じ警察に投降、逮捕された。

     昭和54年の事件当時は、まだ部隊の存在は伏せられていました(もっとも、一部に「特殊部隊」の存在を明かす報道があったのは既に触れた通り)。時代が下って平成7年6月のハイジャック事件、この事件が部隊が注目を集める最初のきっかけだったようです。当時の新聞をたぐってみると、突入に参加した警視庁の部隊を紹介する記事が目に付きます(*)。3例目の広島・西鉄バス乗っ取り事件では、SATが直接突入した訳ではないようですが、公式な出動事例として白書に挙げられていました。4例目の愛知での人質事件は、白書には載っていないのですけれども、国会での質疑において警察の当局者がSAT出動を認めています(*)。

  2. 銃器対策部隊

     さてこれまではSATの話をしてきましたが、ここからはもう少し地味な話を。

     犯罪の凶悪化が言われて久しいですが、これに合わせて各地の警察は「銃器対策部隊」を保有しています。具体的な内容はそれぞれの警察機関によりけりでしょうが、多くの場合、特殊訓練を積んだ部隊を機動隊内に設置しているようです。最初にいつ、どこで設けられたものかは分かりませんが、平成8年4月に警察庁より部隊編成に関する通達(「銃器対策部隊の編成について」平成8年4月1日付警察庁丙備発第50号)が出ており、これ以降全国に設置の動きが広まりました。

     犯罪の凶悪化に合わせた、という設置経緯からも分かるように、この銃器対策部隊はアメリカの警察が保有するSWATなどと同じ「刑事警察特殊部隊」的位置付けの部隊といえます。凶悪犯罪、特に銃器を使用した犯罪に対応するために設置されたもので、具体的には暴力団や外国人犯罪組織などによる事件や武装立てこもり・人質事件を念頭に置いてあるようです。

     部隊の性格上、本来なら警備警察とは一線を画した存在であるといえるのですが、とはいえ警備警察と何の関係がない訳でもない。部隊が置かれているのは機動隊内ですし、また先に触れた銃器対策部隊編成に関する警察庁からの通達は、具体的には警察庁の警備局警備課から出ています。さらに、アメリカで同時多発テロ事件が発生した平成13年9月以降、同部隊を警備事案において活用する動きが広まっています。

     という事で、以下、部隊について簡単な紹介を。

    部隊編成

     いきなりで申し訳ないのですが、編成内容は「不明」です。部隊の編成基準は、平成8年の通達の中で定められているのですが、残念ながら同通達の詳細な内容は公開されていません。分かっているのは、機動隊の機能別部隊として銃器対策部隊が置かれている、ということだけ(*)。後は、聞くところによると、編成に当たっては旧狙撃班や一部の催涙ガス部隊も統合したらしい、とかいう程度。最も大規模かつ最も有名と思われる警視庁の銃器対策部隊にしても、どうやら第六機動隊内に編成されているみたいだということが分かっている程度です(*)。

    装備

     『警察白書』によりますと、銃器対策部隊の装備は「サブマシンガン、ライフル銃、防弾衣、防弾帽、防弾楯、装甲警備車等」とあります(*)。銃の機種名などの具体的な記述はなし。ありきたりな内容で、ちょっと物足りませんが……しかるに、前述のSATと違って、銃器対策部隊は公開訓練や年頭視閲式などで人目に触れる事も多く、その装備品はある程度解明が進んでいます。

     まずライフル銃は、旧狙撃班からの持ち上がりで、装備しているのは主として豊和工業製の国産ライフルであるそうです。1発撃つごとに銃を操作して排莢・装弾を行なうボルトアクション式のライフル銃で、部内では「遊底特殊銃」と呼ばれています(*)。

     サブマシンガンは、銃器対策部隊設置後の平成13年から導入が始まりました。公称は「機関けん銃」。銃器対策部隊の目玉装備みたいなもの……と言っては、言い過ぎでしょうか。平成13年度補正予算において警察庁が「自動小銃」を計1,379丁調達し、全国28都道府県警察の銃器対策部隊に配備したのが導入の始まりです(*)。最初にこの報道があった時(*)は、自動小銃導入という事で私のごときダメヲタは色めき立ったものですけれども、いざ蓋を開けてみれば、そこで言われている自動小銃とはサブマシンガンの事でした。具体的に何を装備しているかは、ニュースで流れた射撃訓練映像や一部のGun系雑誌に掲載された写真等から判断するに、ヘックラー&コッホ社のサブマシンガンMP-5と見られます(より具体的には、MP-5A5という銃らしい、と教えてもらいました)。このサブマシンガン第一陣は、翌平成14年4月から5月にかけて実際の配備が進み、その後も、追加配備が進められている模様です。

     ちなみに。余談といえば余談ですが、いわゆる「自動小銃」を、銃器対策部隊は持っていないけれど、しかし警察が持っていないという訳ではない。『警察白書』においては、SATの装備紹介ではライフル銃と並んで自動小銃を挙げているのに対し、銃器対策部隊の装備紹介でライフル銃と並び出て来ているのはサブマシンガンです。自動小銃とサブマシンガンを、しっかり使い分けている。また既にSATの項でも触れたように、SAT装備品の「自動小銃」を写真付きで紹介している資料も存在します。いわゆる「自動小銃」を、銃器対策部隊は持っていないけれど、しかし警察が持っていないという訳ではない。

    歴史

     銃器対策部隊としての歴史は、平成8年から始まりまして、まだそんなに長いものではありません。しかし、かつて存在していた狙撃班を銃器対策部隊の前身と考えるならば、歴史はそれなりに長くなります。

     狙撃班も、銃器対策部隊同様、銃器を使用した人質立てこもり事件への対処部隊として発足しました。警察の接近・突入が難しい場合において、遠距離狙撃によって人質を傷つける事なく犯人を制圧しよう、というのがその趣旨です。

     警察が遠距離狙撃部隊を持つようになったのは昭和44年から。前年の2月に静岡で起きた人質籠城事件、いわゆる金嬉老事件がきっかけでした。犯人がライフル銃とダイナマイトで武装し、人質を取って88時間に渡り籠城したこの事件は、犯人側の強力な武装のため警察側が容易には接近できず、これが大きな問題となりました。この事件が、遠距離狙撃部隊本格整備の契機となります。(*)

     とはいえ、事件後すぐさま全国に部隊設置の動きが広まった訳ではありません。昭和43年中には予算請求がなされたのみで実際の配備までは届かず、翌昭和44年度になって初めて狙撃用ライフル25丁を調達し、警視庁・大阪・北海道・神奈川・愛知・福岡の6都道府県警に配備、1丁当たり2名の射手を指定して訓練を開始しました。これが警察狙撃部隊の始まりです。(*)

     ちなみに発足当初の狙撃部隊の概要は、報道によれば、警視庁がライフル8丁を有し警部を筆頭とする射手16名で編成。大阪府警はライフル5丁射手10名、残る4道県警はいずれもライフル3丁射手6名から成っていた、という事です(*)。ただ、常設のいわゆる「部隊」として、普段から隊編成を取り隊行動を取っていたかというと、そうでもないみたい。後に触れる「ぷりんす」号乗っ取り事件に関連し当時の大阪府警の狙撃班の概要が明らかになっていますが、それによると、大阪府警が警察庁より狙撃銃(豊和工業製ホーワゴールデンベア・スタンダードを一部改良、30口径弾5発装填可)の配分を受け狙撃要員を指定したのは昭和44年8月。府下各警察署から推薦のあった人物中から府警教養課で10名を選考選抜し、特殊銃要員に指定、同月5日から8日にかけ自衛隊富士学校で講習を受けさせました。指定を受けた要員の所属は様々で、府警本部教養課、第一機動隊、第二機動隊などなど。普段はそれぞれの所属で勤務し、訓練や出動の際にのみ招集を受ける仕組みになっていました。(*)

     狙撃銃の配備が始まった翌年、金嬉老事件から数えると2年後の昭和45年5月、広島で観光船乗っ取り事件(「ぷりんす」号乗っ取り事件)が発生しました。本事件の概要等についてはまた後に改めて触れますけれども、金嬉老事件の際と同じく犯人側の強力な武装により警察は接近する事が困難であり、結果、遠距離からの狙撃で犯人を制圧しました。この事件で狙撃部隊の重要性が再確認され、事件後狙撃部隊の整備が加速、同年末には前年に倍する50丁のライフルを保有するようになります(*)。そして昭和48年に至り、ついに全国の警察がそれぞれ狙撃銃の配備を受ける事となったのでした(*)。

     で。その狙撃班整備の動きを加速するきっかけとなった、観光船「ぷりんす」号乗っ取り事件とはいかなる事件であったか。

     この事件は、昭和45年5月に発生しました(*)。犯人は、山口県内で警察官を殺傷し拳銃を奪い、次いで広島県内で銃砲店を襲ってライフル銃と猟銃を強奪、それでもって観光船を乗っ取りました。乗っ取られた船は広島から愛媛の松山へ向かい、一旦松山観光港へ入港した後、再び広島へと戻りました。途中、乗客及び一部乗員を解放しはしましたが、それ以降は人質を解放する気配がありません。説得に応じず、またライフルを度々発砲して警察を寄せ付けないため、犯人に人質殺傷の暇を与えず突入制圧するのは非常に困難。狙撃制圧は、事件発生から長時間が経ち人質・犯人とも限界であるとの判断に基づく、最後の決断だったようです。かくして犯人は、大阪府警から広島県警に応援派遣された射手により狙撃されました。

     実に画期的な解決手法でしたが、何分それまでの日本流のやり方とは一味も二味も違う強行策であり、しかも当時は今以上に警察が人権抑圧機関・権力の弾圧装置として目の敵にされておりました。加えて、どういう訳だか狙撃手の名前がマスコミに公開されてしまい、結果その狙撃手が事件後左翼系の弁護士から告発を受けてしまうのです(*)。画期的な一方、事後処理で紛糾した事件でもありました。

     これ以降、現在に至るまで、人質籠城事件で狙撃班が事件解決に積極的な役割を果たした事はありません。1972年・昭和47年2月のあさま山荘事件でも、警察によるライフル狙撃は行われませんでした。狙撃自体については、調べがついた範囲内からだけですと、平成8年10月に宮崎で起きた事件で行われています(*)。この事件では、猟銃で殺人を犯した容疑者が自分の子供を車に乗せ、移動しました。警察当局はこれを人質を取っての逃亡と判断し、この車を捕捉、包囲しました。そして容疑者が下車した際、足を狙って県警の狙撃手がライフル銃を1発発砲しました。結果は見事命中。しかしその後容疑者は警察の包囲網を突破して逃走しており、狙撃によって事件が解決した訳ではありません。

     さて、昭和44年に編成が始まり翌45年に早くも「実戦」を経験した狙撃班ですが、しかるにその後はぱたりと姿を見ない。どういう経過を辿ったのか定かでありませんが、SATの項目でも触れたように、昭和47年9月には「特殊部隊」の編成に関する通達が出ており、翌々年(昭和49年)の『警察白書』には「銃器使用事件をはじめ、ハイジャック事件など高度な逮捕制圧技術を要する事案の発生」に備えた「特殊部隊」が全国の機動隊に編成されている旨が記してあります。ここで謂う特殊部隊の中に狙撃班も含まれているのかどうかは明らかでありませんけれども、少なくとも白書に謂う特殊部隊に関しては、対処する事案の内容や全国の機動隊に編成されているという点から見て、狙撃班とも関係ありそうです。

     そして、時代は下って平成8年4月。既に触れたように、警察庁から銃器対策部隊の編成に関する通達が出ます。これを受けて全国の警察で銃器対策部隊が編成され、遠距離狙撃専門の狙撃班は、狙撃から突入まで幅広く人質事件対処・銃器犯罪対処を行う銃器対策部隊へと改組/吸収されて行きました。

    活動

     凶悪犯罪・銃器犯罪対処を主眼に置いた刑事警察的側面と、テロ対策を目的とした警備警察的側面の、2つがあります。ここで取り上げるのは、警備警察的な側面の方です。

     平成13年末以降、銃器対策部隊は機関けん銃ことサブマシンガンの導入で装備強化を行いましたが、この装備強化は、同年9月に起きたアメリカ同時多発テロを受けての事でした。銃器対策部隊に新装備を導入して強化し、その強化された銃器対策部隊を警備活動に参加させるのが狙いです。同部隊が参加する警備は、重要防護対象、具体的には政府中枢施設や他国の大使館、原発といった施設の警備です。実際の警備に当たっては、通常の機動隊員が表に立ち、銃器対策部隊は車両の中などで目立たないよう待機することになっていました(*)。テロリストの襲撃を受けた場合など、非常時にのみ武器を持って姿を現わし活動する訳です。銃器対策部隊が表に立たない理由は、サブマシンガンを持っている姿は刺激的に過ぎるから、ということらしい。

     また平成14年6月の韓国・日本FIFA-W杯開催期間中、警察庁は、全国の原発の内12道県の16施設について「原子力関連施設警戒隊」を組織し重点警備に当たる事としましたが、この隊の中心になったのもまた各道県警の銃器対策部隊です(*)。平成13年9月以降、原発関連施設は管区機動隊が警備を行って来ましたが、管機がW杯警備に振り向けられ手薄になる関係から、臨時にこうした警備強化措置を取ったのでした。

     さらに、銃器対策部隊は、テロ未然防止のための重要施設警備を担う他、実際にテロ事件や警備犯罪が発生した際における対処任務も負っています。まず一般論として、平成14年版『警察白書』において、

    「銃器対策部隊の主な任務は、銃器等使用事案の制圧・検挙であるが、SATが出動するような重大事案発生時には、SATの到着までの第一次的な対応に当たるとともに、到着後は、その支援に当たることとしている。」

    平成14年『警察白書』第2章「国際テロ情勢と警察の対応」第2節「テロ対策」第4部「テロに対する警察の取組み」第2項「テロ対処部隊の活動」より

    と述べられています。具体的な面では、平成17年10月以降全国各地で行われている、自衛隊の治安出動を想定した共同実動訓練。これに、サブマシンガンや狙撃ライフルを装備した銃器対策部隊と思しき警察部隊が参加する例もしばしば見られます(*)。

     これは武装工作員による攻撃を想定した訓練ですが、武装工作員の攻撃とは一方で犯罪であり、かつ警備犯罪といえる。警備犯罪に対処するのはまさに警察警備部隊!ということで、この種の事案を想定した訓練には警察部隊も大いに参加しています。細かな内容は公表されないのですけど、自衛隊のヘリや車両で警備部隊を輸送したり、自衛隊の支援を受けつつ警備部隊が鎮圧に当たったり…といった訓練をするらしい。

  3. 爆発物処理隊

     EOD、という単語に覚えのある方、どのくらいいらっしゃるでしょうか。先に出て来たSWATは、今では市民権を得た(?)単語になってるみたいですけれども、でもEODはまだまだみたいですね。

     EODとは、爆発物処理隊(Explosive Ordnance Disposal team)の事です。あるいはもっと直接的にBomb Squodなんて呼ばれる事もあるみたい。日本では、一頃「S班」と通称された事もありました。Special略してSということなのでしょう、多分。上記2つの特殊部隊とは毛色が違いますし、さらに地味な話になりますが。しかし日本警備警察特殊部隊の元祖な人々って事で。

     古くは明治時代、加波山事件のような反明治政府活動に始まり、現在では革共同中核派や革労協狭間派といった極左過激派の犯行に至るまで、日本の治安史をひもといてみると爆弾事件というものはそれこそひきもきりません。各々の事件の性格から見てみても分かるように、爆弾事件は警備事件の筆頭格のようなものです。

     手持ちの爆弾が投げつけられる、というケースだとどうしようもありませんが、仕掛け爆弾は、その破壊力の大きさもあり、極力炸裂前に見付け出して解除/処理しなければなりません。

     戦前は手持ちの爆弾が主流で、ことさらに爆発物の処理に頭を悩ませる事もなかったといいます。さて大戦後、日本から軍隊がなくなり、治安維持の大任はすべて警察において負う事となりました。しかも期を同じくして左翼による集団暴力事件が激化し、これに伴って爆発物が使用されるケースも出るようになりました。

     一番最初、いつどこの警察に爆発物処理隊が設置されたのか、正確なところは分かりません。天下の警視庁の場合、公刊の史書などによると、昭和46年(1971)8月25日に第一機動隊および特科車両隊に爆発物処理班を設置したということです(*)。おそらく、これが一番早い例なのではないでしょうか。この他、1950年代の共産党による武装闘争、通称 "火焔瓶闘争" の際に早くも一部で設置が始まったという噂も聞いたことがあるのですが、さすがこれはなさそう。……と言いつつ、一時私はこれを信じちゃってたりしたのですけれども。

     この後、昭和49年の『警察白書』内に爆発物処理班についての記述が見られます。また昭和50年4月10日には、警察庁警備局より警察庁次長名での通達「爆発物処理班の整備について」(昭和50年4月10日付警察庁乙備発第3号等)が出ています。通達の詳しい内容は非公開ですが、「爆発物処理班編成、要員の確保等、その整備について示したもの」だそうです。昭和50年といえば1975年、前年からこの年にかけては連続企業爆破事件が起きており、まさに極左暴力集団の活動に合わせて同部隊の整備が進んだ事が分かります。

     上記2チームと同じく、爆発物処理隊も機動隊に置かれています(*)。またまた天下の警視庁を例に出しますと、昭和46年に一機・特車に処理班を設置した後、昭和50年には10隊ある機動隊すべてに爆発物処理班を設置しました(*)。一方私の地元福岡県警の場合、設置は昭和49〜50年頃で、現在(※平成20年1月現在)では第一機動隊・第二機動隊にそれぞれ爆発物処理班を編成しているようです(*)。

     ところで、爆発物処理班は機動隊だけに置かれるものでもないらしく、警視庁は、昭和50年に爆発物処理班を拡充した際、機動隊だけでなく都内の指定署20署にも同班を設置したそうです(*)。現在でもこの制度が残っているのかどうは分かりません。処理機材が複雑・高度になっていることを考えると、所轄署では手に負えなさそうで、さすがに現在ではもう廃止されているような気もします。……それにしても、10機動隊+20警察署で処理班30隊……さすが金持ち警視庁と言うべきか、それとも、かほどに当時の爆弾事件は熾烈であったということでしょうか。

     さてそんなEOD、基本的に機動隊の機能別部隊として存在しているところまでは分かるのですが、それ以上の細かい編成については不詳です。また、爆発物処理という危険で特殊な任務を帯びている事から、装備も一般の機動隊員とはかなり異なります。その一部をおおまかながら紹介してみましょう。

    防爆防護服

     現代の鎧、とも言うべき、防護服です。万一爆発物の解除/処理に失敗して炸裂してしまっても、これさえ着ていればある程度の爆弾までなら最低限命だけは助かるという代物です。

     以前は出動服の上から胴巻きのようなものを付ける程度で、その効果にも疑問がありましたが、最近ではきっちり高性能化し、中には空気ボンベ・マスクも備えた全身防護タイプのものもあります。

    処理機材各種

     小はペンチやニッパーから、大は偵察用の遠隔操作ロボット、液体窒素を用いた処理装置まで。専門性・特殊性が高くて資料もなく、写真を見ても何が何だかさっぱり。「各種」としか書けないところが残念でなりません。

     機材開発は、実は部隊員の創意工夫によるところが多いとか。任務の特殊性の故なんでしょうね。

    爆発物処理車

     処理班の車両です。トラックに所要の改装を施した車両で、処理機材一式を載せる他、車体には大きな釜状の容器が取り付けられ、爆発物を安全な場所まで輸送する設備が整っています。

     ざっと挙げると、こんな感じ。

     もっとも、これだけの装備が揃うのは1970年代も後半になっての事で、それまでの処理班は規模も小さく装備も貧弱、爆発物の解除/処理作業といってもほぼ素手素面で行なうに等しいあり様だったとか。特に70年代前半に相次いだ赤軍派やRG、京浜安保共闘による爆弾事件に際しては、(これが本格整備のきっかけになったのですけど)体制不備が大きな被害を生む事となりました。

     さて、これらの装備を用い、いかにして爆発物を処理していくか……についてですが、さすがにこれについては何とも言えません。例えばの話手製の鉄パイプ爆弾のような、プリミティブなものではあれば、液体窒素で凍らせて「不活性化」し、広い野外(例えば自衛隊の演習場だとか河川敷だとか)に持っていって爆破処理してしまうことになるらしい。日本の場合、マニアの犯行にしても極左過激派の犯行にしてもこの種の手製爆発物が多いので、結構使える手のようです。

     ただし、一頃のIRAやその他大手のテロ組織が使ってたような、軍用爆薬と専用の信管を利用し精密に設計された高度な爆弾になると、必ずしもこの手でいける訳ではないという話です。ではそんな時どうやって処理するか、というところまでは分かりませんが……不活性化できない、撤去もできない、となると、最悪その場で爆破処理!という事になります。住宅地や繁華街のど真ん中に仕掛けられても、そうするしかないのか? 恐ろしい事です。ともかく、このように、爆発物処理は、処理対象の何如によって様々に変化します。一筋縄では行きません。

     ちと脱線しますが、爆発物処理といえば、「配線を読みきった上でペンチやニッパー駆使し現場解体!」などという場面を、我々は映画などでしばしば目にします。けれど実際のところ、この手法は、こと日本においてはほとんど行われてないみたいです。基本は、液体窒素をぶしゅうとかけて凍らせて、処理車に積んで、どっかにもってっちゃう。ドラマチックじゃないと言われればそうでしょうが……しかし、現場解体なんて一番危なさそうな手ですから。やらずに済むなら、やらないに越したことはなし。

     脱線ついでに。現在のところ爆発物処理隊の任務は「発見された爆発物を安全に処分する」ことが任務です。これは、裏返せば、爆発物が発見されて初めて処理隊の出番が来るということです。未発見の爆発物の捜索は、処理隊の仕事ではありません。

     困ったことに、仕掛け爆弾というのは、できるだけ発見しにくいように仕掛けられるものです。事前に「どこそこに仕掛けた」という予告があれば助かる(?)んですが、世の中そんなに甘くありません。今のところ、爆発物の捜索は、レクチャーを受けた警察官が自分の五感で探す、 "人海戦術" に頼るところが大きいようです。技術に頼るといっても、せいぜいX線検査機を積んだ車両を出すくらい。これでは覚束ないので、処理隊の装備・処理能力向上を図る一方爆発物発見技術の開発も、最近では同じく重要視されている課題らしい。まあ、処理隊そのものの話というよりは、いささか余談めいた話題ですけど。

     爆発物処理隊は「爆発前に処理する」という仕事の性格上、任務に成功しても守られた利益が目に見えにくい。凶悪犯の逮捕や人命救助に比べ、報道面での取扱いも小さいものです。それでいて失敗するとさんざん叩かれる訳ですから、不公平な気がしないでもない……。ともかく、この世に爆弾テロがある限り処理隊の仕事は終わりません。これからも、頑張ってもらわねば。

  4. NBCテロ対応専門部隊

     警備警察の香り漂う特殊部隊として平成14年に彗星の如く(?)出現しました、NBCテロ対応専門部隊。こういう部隊が出てくる所にも、警備事件分野(特にテロ)における昨今の情勢の変化が伺われます。いやいや、随分な時代になってしまいました。

     平成6年の松本サリン事件・翌年の地下鉄サリン事件以来、毒ガスや病原細菌を用いテロ事件は、もはや可能性の問題ではなく、現実に起こり得る脅威となりました。こうした凶悪テロ事件が発生した場合において、現場で効果的な捜査活動ができるよう編成されたのがNBCテロ対応専門部隊です。

     同部隊のはしりは、平成12年4月、警視庁公安部公安機動捜査隊内に編成された「NBCテロ捜査隊」です。それ以前にも、酸素マスクや防護服を装備した化学部隊は機動隊内などに存在してはいました。しかしそれら既存の部隊はNBC対策の専門部隊ではなく、能力の面などの点において力不足であるとみられたらしい。そこで、既存の隊とは別に、新たに事件発生時の初動捜査を効果的に行い得るようにとの意図で警視庁が設置したのがNBCテロ捜査隊です(*)。犯罪を捜査し検挙するのは警察の重要な任務ですから、なるほどこれは妥当な措置といえます。

     この後、大阪府警内にも同様の専門部隊が設置されました。警視庁が部隊を編成した2ヵ月後の平成12年6月、大阪府警は機動隊内に「NBC初動措置隊」を設置しました(*)。編成目的は警視庁と同じ、NBC関連事件の初動措置・初動捜査能力の向上です。

     部隊設置の動きはこれで一段落、他の道府県警については、部隊設置について目立った動きは見られませんでした。……が、平成13年9月、アメリカで同時多発の航空機テロ事件が発生し、さらにその直後からテロと疑わしき郵便を利用した炭疽菌ばら撒き事件が連続発生。状況は一変してしまいました。何といっても、日本はアメリカの同盟国、同様の炭疽菌事件が日本国内で起こる可能性も否定できません。加えて平成14年には世界的大イベントたるFIFA-W杯の開催を控え、これを狙ってテロでも起こされた日には、結果は目を覆わんばかりになろうかと…。そこで、専門部隊のさらなる増強・増設が行われます。

     『警察白書』などによると、まず平成13年度補正予算により、NBCテロ対応専門部隊の増設が実施されました。部隊が新設されたのは北海道・宮城・神奈川・愛知・広島・福岡の6道県警です。ちょうど、近畿・四国を除く各管区と北海道にそれぞれ1隊ずつ部隊を配置する形です(*)。ちなみに除外された2管区中、近畿管区については大阪府警があり既に部隊設置済み。四国管区はなぜ除かれたのかよく分かりませんが、テロの脅威が比較的薄い……とでも判断されたのでしょうか。4年後の平成17年度には千葉県警にも設置(*)。これで現在(※平成19年9月現在)、全国9都道府県警にNBCテロ対応専門部隊があります。

     専門部隊の増設・増強と平行して行われたのが、専門部隊がない府県警察のNBCテロ対応能力の強化です。オウム事件以降、全国の警察に防護服、化学剤検知器、除染装置などの配備を進め、平成13年9月のアメリカ同時多発テロ以降は化学防護服や生物剤検知器等を増強配備。さらにその後、専門部隊非設置府県警においても、初動対処の中核となる「NBCテロ対策班」を編成しました。(*)

     他の特殊部隊と同じく、NBCテロ対応専門部隊についても分からないことづくめなのですが、とりあえず報道などから漏れ伝えられる話をまとめると、次のようなものになります。

     部隊呼称は、いきなりですが、分かりません。NBCテロ捜査隊・NBC初動措置隊というのは、あくまで警視庁・大阪府警の部隊名であって、それがNBCテロ対応専門部隊の一般呼称である訳ではありません。所属は、やはり(?)機動隊で、機能別部隊の一として置かれているということです(*)。所によっては機動隊の爆発物処理隊がNBCテロ対応専門部隊を兼務するらしい、という噂も聞きます。この点、公安部に置かれている警視庁の部隊は例外になります。部隊の編成内容はもちろん不明。ちなみに警視庁の部隊は、専門知識を持つ隊員十数人で編成されている、と報道されています(*)。確かに、専門性が求められる部隊なので、そんなに大規模な部隊編成はできないでしょう。

     部隊が装備するのは、化学防護服や出動用の化学防護車、毒物の検知と分析に用いる各種機材などですが、注目すべきは値段です。警視庁のNBCテロ捜査隊の場合、報道によれば、隊員10名余の小部隊のために装備費およそ1億円が注ぎこまれたとの事(*)。なかなかな値段です。

     ちなみに、私の地元福岡県警の場合、NBCテロ対応専門部隊とされる隊は県警第一機動隊にあり、「化学処理隊」と称されるようです。人員・規模・編成などは不明ですが、そんなに大きい部隊でないのは確か。オレンジ色の陽圧防護服始め各種防護装備、紺色に塗られた出動用化学防護車などを装備しており、最近は防災訓練の場などでちらりちらりと目にします。

     これら部隊の、実際の活動について。同部隊設置の目的は、警察の、NBCテロ捜査活動能力の強化にあります。先に書いた通り、これまでも警察は化学防護装備を持ってはいましたが、NBC対策という点において能力不足が否めなかった。平成7年の地下鉄サリン事件の場合、初動で現場に臨場した警察官や証拠収拾に携わった警察官の中に、二次被害に遭った者が多数出ました。NBCテロ対応専門部隊は、そのような被害を出さず安全確実に初動措置・初動捜査を遂行するため設けられました。具体的に部隊が行なうのは、毒物やその散布に使われた容器類を確保すること、その他証拠となる品物を回収すること、現場の様子を詳しく検証すること、などといった活動です。もちろん、可能な範囲で被害者の救助活動、さらには原因物質の除染も行います(*)。

     SATや銃器対策部隊といった他の警備警察特殊部隊が、表立って犯人逮捕に当たる鎮圧・制圧部隊としての側面を強く持つのに対し、NBCテロ対応専門部隊は捜査部隊としての側面を強く持っているのが特徴です。最初に部隊を設置した警視庁が、同隊を公安部に設置したのも、こうした特色に配慮したためでしょう。それでは、その他の警察において同隊の設置先が鎮圧担当部隊ともいえる機動隊内である理由は何か、というと「既存の資源の有効活用」となるらしい。台所事情が苦しく化学屋さんの人数も少ない警察では、捜査部隊と警備実施部隊を分けるような「贅沢」はできないということなのでしょうか。

     世界で初めてNBCテロを経験してしまった、という、ある意味不名誉なトップ記録を日本は持っています。その一方、日本のNBCテロに対する捜査能力は決してトップとは言えないものでした。世界に先駆けてNBCテロの脅威に晒されておきながら捜査能力で遅れを取る、というのもナニな話です。今回の対策部隊の設置で、さて、日本のNBCテロ捜査能力はどれくらい上がったでしょうか。是非とも、テロリストが犯行を思い留まるくらいに高い能力であって欲しいですね。

  5. 一般部隊

     おまけ……といっても、他意はないので、誤解しないでくださいね。特殊部隊のサポートに回る一般部隊の話です。一般警察官であっても、特殊部隊が出るような大事件では重装備になるもんだ〜、ちう話。

     テロリストによる籠城といった大事件には、特殊部隊が対応します。しかし少し考えてもらえれば分かりましょうが、事件発生当初から特殊部隊が出動する訳ではもちろんありません。事件の一報があった時、一等最初に現場に駆けつけるのは他ならぬ一般警察官です。

     また大事件には特殊部隊で対応とは言っても、何から何まですべて特殊部隊様の方で片付ける訳でもありません。例えば事件現場を遠巻きに包囲して封鎖線を張ったり、封鎖線の外で野次馬をさばいたり、不意の状況急変に備えて特殊部隊の背中を固めたり……といった事をやっているのは、他ならぬ一般警察官です。

     さらに。こと警備という側面から考えてみても、一般部隊の出番は少なくありません。テロ事件の危険性が高まった時、目標になると予想される施設に警備部隊を配置するのはごく一般的な対策であります。この時警備配置につくのは、特殊部隊などではなく、やはり一般部隊になります。

     その一般警察官も、「一般」と呼ばれながらも、大事件に際してはやはり普段とは違う重装備で出てくるものです。その重装備について、これから少し見てみたいと思います。

     まず最初に挙げられるのが、抗弾ベストでしょう。見た目は、硬い大きな板を布でくるんで体の前後を覆っているような感じです。ポケットもなくのっぺりがっちり、かなり特異な印象で、これを着用した警察官が現場に詰めているのを見ると緊張します。肝心の抗弾性能の方ですが、ライフル弾に対抗するのは難しいものの、拳銃弾くらいなら問題なく止められるということです。

     続いて挙げられるのが、制帽に代えてかぶるヘルメットです。昔は鉄帽が一般的だったようですが、今では軍隊で使うようなデザインの、非金属材料で作られた抗弾性の高いヘルもあります。また、同じく抗弾性のフェイスガードをつける事もあります。が、これらは抗弾といってもがっちり弾を止められる訳ではないようですね。それでも弾に角度がついていれば弾き飛ばすくらいの事はしてくれるので、ないよりゃはるかにましという事らしいです。

     またこの他に、盾と警杖も挙げられます。これらは機動隊が普通に持っているものなので、上述したもの程特殊な重装備という訳ではありませんけれども……。しかし地域課や刑事課にいるふつーのお巡りさんは、普段こういったものを持ちませんから、ある意味特別と見ることができましょう。盾にはジュラルミン製の大盾、強化プラスチック製のやや小さ目のものなどがあります。また警杖には木製のいわゆる警杖の他、先が「さすまた」のようにU字型になっていて捕物に便な金属製のものもあります。

     こういった装備を、大事件に際しては一般警察官も着用して任務に当たる訳ですね。ベストとバイザー付きヘル着用の上、盾を手に現場を遠巻きにするとか。または、KEEP OUTロープの外で警杖片手に野次馬をさばくとか。あるいは、警備用バリケードの脇で重装備に拳銃携帯の上立番中、とか。

     ところで、一般部隊向けのこういった重装備は大概は署なり隊本部なりに置いてあるものです。そういうものは、通報後すぐさま付近の警察官が現場に向かう、初動の中でもごく初期の段階ではあまりアテにはできません。彼ら「最初に現場に駆けつける」サツ官は、大体は交番か自動車警ら隊に勤務する地域課の警察官、あるいは機動捜査隊所属の刑事課捜査員でしょう。彼らは、交番あるいは乗っている車両備えつけの装備品だけでなんとかしなければなりません。

     備え付けの装備品は警杖とヘルメットである事が多いのですが、少し大きな交番になると盾もあるようです。また最近ではパトカーに抗弾ベストを積む例も多いようで、これがあると、ここで取り上げたような事件の初動には役立つでしょう。

  6. 撃たせろぉ!

     ここで取り上げるのは、特殊部隊とは切っても切れない、武器と権限の話。特殊部隊の技能や任務は、とてもスペシャルなものです。しかし特殊特殊とは言っても警察の部隊である訳で、その行動を支配するのは警察の論理です。装備も、権限も、警察の論理に従って決定されます。ここで、その警察の論理と特殊部隊の論理が一致するものであれば良いのですが、現実はむしろ両者ぶつかり合う場面の方が多くあります。

     中でも人質救出部隊や狙撃隊のような特殊部隊にあっては、強力に武装した容疑者に直面したり、あるいは場合によっては発砲制圧も辞さず、というような場面にしばしば遭遇する関係上、そうした葛藤は特に多いと考えられます。特に威嚇などではなく容疑者相手に実際に発砲する場面においては、この両者の葛藤は最高潮に達する事でしょう。

     平成9年の4月に劇的な解決を見たペルー日本大使公邸人質事件のお陰(?)で、特殊部隊は一躍脚光を浴びる存在となりました。特殊部隊と言えば、当然のようにその装備と戦術が問題となります。日本のSATはまともな装備をしているのか? ちゃんと働けるだけの訓練はしているのか? とまぁ、疑問はひきもきりません。

     特殊部隊の出番となるような人質事件において、日本の警察は伝統的に説得を主とする戦術を採用して来ました。容疑者も人間であるからして、その人権は極力尊重されねばならない……という訳ですが、これは建前で警察のイメージダウンを避けるのが狙いだという見方も成立するでしょう。いずれにしても日本の警察は強攻策は余り好みとしないところのようで、一部の人にはそれが手緩いと映りもするようです。GUN関係の雑誌の中には、装備も戦術も生温い、もっとガンガン行かんといかん!という主張をするものもあり、成る程そういう見方もあるでしょう。

     しかるに、敵の排除がまず第一の軍隊ならいざ知らず、容疑者逮捕が目的なはずの警察でガンガン行かれるのは、少々困りものであります。警察比例の原則、というものがあります。警察が実力を行使する際の指針となる原則で、曰く「警察機関による実力行使は、相手方の抵抗の度合に合わせた必要最小限度のものにとどめるべし」。この原則は、警察が実際に現場で武器や実力を行使するに当たっての指針となる他、警察の装備を決定するに当たって応用されもします。つまり、警察はその時々の治安情勢に応じたそれなりの装備を整える事が出来る、しかしあくまで最小限度にとどめられる、という訳です。

     特殊部隊であっても警察機関である限り、この原則は常に付いて回ります。特殊部隊の装備も、実力行使も、警察機関の原則に従わねばなりません。警察を支配する原則は容疑者逮捕。テロリスト相手に何を甘い事を……という見方もあるかもしれない。しかしいかなる理由であれ、警察に容疑者の人権軽視を許すのは、結局は巡り巡って安易な武器の使用による悲劇に帰着します。

     さて、以上は原則論です。原則には例外が付き物で、それはこの場合も同じ事。容疑者とて人間、人権軽視はまかりならん、と言っても、容疑者の人権を重んずる余り被害者の人権が踏みにじられたのではたまったもんじゃありません。やむを得ない場合には、容疑者に対する発砲を含めそれなりの実力行使が許されるのであり、やる時はやるのも公安を維持する警察の任務であります。

     ここで翻って考えてみるに、実際のところ日本の警察が強制力を行使した事例というのは、沢山あるわけです。で、それらの実力行使というものは、どんなものだったんでしょうか。容疑者制圧には生温いようなものだったのか? 結論を先に言うと、いやいやどうして日本の警察もやる時はやるやんけ、というのが個人的感想なんですけどね。

     まずは基本から。警察法67条にて、警察官はその職務遂行のために「小型武器」を所持する事が認められています。この小型武器の定義ですが、「警察官が個人装備として携帯できる程度の武器」として確立しているそうです。具体的には、拳銃やライフル銃など。また手榴弾やロケットランチャーも個人で持てますから、これらも理論上小型武器に含まれます……が、武器は職務執行のためのもの、という事で、職務執行の必要以上の威力を持った武器は装備できません。どんな小型武器が装備できるかは、その時々の治安情勢次第(*)。

     続いては、装備した武器の使い方の問題。警察官の武器使用に関する法令としては、警察官等職務執行法が挙げられます。この法律の第7条において、警察官が武器を使用できる条件は、次のように定められています。

     警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。ただし、刑法三十六条(註.正当防衛)若しくは刑法三十七条(註.緊急避難)に該当する場合または以下の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を加えてはならない。
    1.死刑または無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる凶悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる十分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき、又は第三者がその者を逃そうとして抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
    2.逮捕状により逮捕する際又は拘引状若しくは拘留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき、又は第三者がその者を逃そうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するため他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

    警察官等職務執行法 第7条

     以上の条件に合致する場合に、警察官は武器を使用する事ができるのです。その武器使用の細かい内容は、国家公安委員会規則「警察官等けん銃使用及び取扱規範」(昭和37年5月10日国家公安委員会規則第7号)、同「警察官等特殊銃使用及び取扱い規範」(平成14年5月17日国家公安委員会規則第16号)で定められています。特に後者の「特殊銃〜規範」は、特殊部隊の武器使用と関わり深い規則です。

     規則では銃の使用から、手入れから、訓練から、なかなか細かく指定してありまして、いちいち条文を挙げ出すと煩雑になるので、ここではそこまでしません。事態に当たっての銃の扱いに係る部分だけを適宜まとめて列挙してみると、次のようになります。

     まず拳銃ですが、「取り出し・構え・威嚇射撃・危害射撃」の4段階に分かれています。

     警察官は、拳銃の使用が予想される場合、あらかじめ取り出しておく事ができます。拳銃の取り出しは、「使用」には当たらないため、取り出すだけなら警職法の要件を満たす必要はありません。

     状況が警職法7条の要件を満たす場合、警察官は、相手に向かって拳銃を構え、また発砲することができます。発砲する場合、原則として事前に警告が要り、またなるだけなら威嚇射撃だけで済ませる事が求められますが、事態が急迫し警告・威嚇射撃をする暇がない場合や、警告・威嚇射撃がかえって逆効果になりそうな場合は、この限りではありません。

     またSATのように部隊で行動する場合、拳銃の取り出し・構え・射撃は、いずれも部隊の現場指揮官の命令によって行うものとします。ただし、状況が急迫し指揮官の命令を受ける暇がない時は、この限りではありません。

     拳銃に続いては特殊銃の扱いについて。特殊銃とは、重要防護対象の警備や、人質事件・立てこもり事件など高度な対処能力を要する事件に対処するため、それらの任務を遂行する課や隊に配備される銃の事です。具体的には狙撃用ライフル銃や機関けん銃(サブマシンガン)を指し(*)、配備先は「指定所属」と呼ばれる特定部署ですが、主として機動隊になります。

     拳銃は警察官各人が使用できるのに対し、特殊銃はそもそも使う人間が厳密に制限されており、所轄長(警視総監・警察本部長)から指定を受けた警察官しか使用することはできません。かつ、特殊銃は必ず部隊で使用すること、それも所轄長の命令ないし承認があった任務においてのみ、となっています。

     所轄長から特殊銃を用いての任務遂行命令が出ると、部隊は特殊銃を携帯・取り出し・使用する事ができます。特殊銃は拳銃と違って警察官が常時携帯している訳ではないため、その携帯からして命令によることとなっているのです。

     特殊銃の携帯は、専用の特殊銃入れを用い、直ちに取り出すことのできる方法で行なわれます。言い方を変えれば、現場に特殊銃を持って行っていい、という事です。この段階では、まだ銃を手に持っている訳ではありません。取り出しの命令があって、始めて銃を実際に手に持つ事ができます。機関けん銃のような連射が可能な特殊銃については、連射の設定如何も命令によります。

     実際使用するに当たっては、拳銃の場合と同じく、相手に向かって構える・威嚇射撃・危害射撃の別があり、それぞれ警職法7条の要件に従う必要がありますが、その他原則として部隊の現場指揮官の命令がある事が必要です。拳銃との違いが顕著なのは威嚇射撃。事態が急迫していたり、威嚇が逆効果になりそうな場合にあっては、威嚇射撃を「しないものとする」と定められています。つまりは、こういう場合、威嚇抜きで即危害射撃というのが特殊銃使用のスタンダード。

     特殊銃を用いた任務遂行命令を出す場合、所轄長は、特殊銃の携帯・取り出し・使用(構え・威嚇射撃・危害射撃)について判断の基準を示します。この基準に基づいて、より細かい指示が指定所属の長から現場指揮官へ下ります。で、この指示に従って指揮官から命令が出る訳です。

     例外的として、特殊銃を用いた任務について命令を受ける暇がないと思われる場合(特殊銃使用が予想される大事件が突然発生!した時とか)にのみ、指定所属長判断で特殊銃を携帯する事ができます。ただしこの場合にあっても、事後すみやかに所轄長に報告しその承認を得なければなりません。また特殊銃の取り出しと使用についても、状況が急迫し命令を受ける暇がない場合のみ、各警察官の判断で銃の取り出しと使用ができます。

     こうして見ると、拳銃の使用に比べると特殊銃の使用はいかにも細かく、かなり制限がかけてある事が分かるでしょう。所轄長命令なしには銃を現場に持って行くこともできないという辺り、いかにもです。しかしその一方で、特殊銃が必要になるという事態の性格上、相手や状況によっては威嚇抜きでの危害射撃が原則。この点、拳銃の場合は、相手や状況によっては威嚇射撃を「することを要しない」という記述になっていますから、特殊銃の方が踏み込んでいます。

     ところで。警察官の武器使用に係る法令はこのところとみに更新が進んでいるところであり、「警察官等けん銃使用及び取扱い規範」については、平成13年11月に改定され内容一新、「警察官等特殊銃使用及び取扱い規範」に至っては、平成14年5月に制定されたばかりのぱりぱりの規則です。

     長年、日本の警察は銃の使用に慎重だったと言われていますが、近年の犯罪凶悪化に対応し、警察官の銃器使用を必要以上に抑制しない、むしろ適切な銃器の使用で凶悪犯罪を鎮圧するという方向で更新が進んでいるようです。試しに、平成13年11月に全面改訂された「警察官等けん銃〜規範」旧規定と新規定の違いを挙げてみますと

    • 警職法7条ただし書一号において危害射撃の要件の一つとされる「死刑または無期若しくは長期三年以上の懲役または禁こにあたる凶悪な罪」の具体的内容が各種例示された。これにより、現場の警察官が危害射撃要件に該当するかどうかの判断をしやすくなると考えられている。
    • 上空などに向けた威嚇射撃だけでなく、物に向けた威嚇射撃を明記した。これにより、例えば容疑者の乗った車を止めるため車に向けて発砲する行為などが、法令により根拠付けられた。(この種の発砲は、容疑者に対する危害発砲ではないが威嚇発砲ともいいきれないものであり、旧規定時代はさしたる根拠のないグレーゾーンとなっていたが、所要の実力行使であるとしてグレーなまま実施していた。)
    • 部隊行動をとる場合の他、部隊でないながらも複数の警察官が行動を共にする際において、けん銃の使用が予想される場合、けん銃使用に係る役割分担をしておくこととした。またこのような場合、警察官を現場に向かわせる通信司令担当者が、必要なけん銃使用の役割分担が行なわれるよう指示を出すこととした。要するに、いざという時誰が撃つかをあらかじめ決めておき、担当した警察官は現場においていつでも銃が撃てるよう準備しておく、ということ。例えば包丁を振り回す容疑者を相手にする時、何人かの警察官は警棒片手になだめたりすかしたりするが、一人はいざという時即座にけん銃を使用できるようにしておく訳である。これにより、状況に応じて即座にけん銃を使用し、警察官の受傷や殉職が減ると考えられている。(旧規定時代、けん銃使用をためらう余り警察官が受傷・殉職する例が多かった……という反省に基づく)
    • 同規範の解釈と運用に関連し、警察庁長官官房長名で「警察官けん銃使用及び取扱い規範の解釈及び運用について」と題する文書を発行し(*)、その中で、規範に例示された以外の「凶悪な罪」の例・あらかじめけん銃を取り出しておくことができる場合の取り出し方と具体例・けん銃を構えることができる場合の構え方と具体例・威嚇射撃ができる場合や予告なく相手に銃を撃てる場合の具体例、などが細かく列挙された。現場の警察官が、拳銃を取り出し、使用するに当たっての参考となるようにとの事である。

    という感じです。けん銃の使用要件に変更はありませんが、現場の警察官、特に初動対応で出る地域課や刑事課の警察官がけん銃使用の判断を下しやすくなるように変更が加えられた、ということができるでしょう。なお、この改正を以ってマスコミは「けん銃使用条件の緩和」と報道しましたが(*)、その言い方は必ずしも正確とはいえません。なぜなら、警察官の武器使用について定めた警職法7条に変更はなく、どういう時に撃っていいか、使っていいかという要件そのものは、変わっていない訳ですから。

     さて、少し話が逸れてしまいました…… 本筋に戻りましょう。銃を使用し人質事件を鎮圧する場合における、その銃使用のあり方について。具体的には、特殊部隊が突入し、あるいは狙撃部隊が狙撃を行ない、容疑者を制圧する場合においての銃使用のあり方について。

     先に挙げた通り、狙撃部隊にしても突入部隊にしても、部隊行動をとっていますから、銃使用はもちろん全ては原則として現場指揮官の命令によるものとなります。狙撃用ライフル銃やサブマシンガンを使用する場合、部隊はまず所轄長命令で出動します。臨場後は、現場指揮官の命令で活動しますが、その活動基準は所轄長と指定所属長が示します。先にも触れた通り、命令なしには銃を手に持つ事もできません。

     現場指揮官から特殊銃取り出し命令が出ると、銃を持った狙撃班や突入班が配置につきます。特殊銃の連射設定に係る指示もこの時出ます。また取り出し命令に関連して部隊員に役割分担の指示があり、具体的には

    1. 射撃を率先して行う任務
    2. 前号の任務の遂行を支援するため、射撃を行う任務
    3. 情報を収集し、現場指揮官に伝達する任務

    がそれぞれ割り振られます。1・2に較べ3の任務は少し異色ですが、監視能力の高い狙撃班を特にを念頭に置いて設定されたものです。

     狙撃・突入の実施に当たっては、あらかじめ所轄長と指定所属長による危害発砲の許可とその基準指示があり、これに基づいて現場指揮官が必要あらば射撃せよと命令します。突入開始後ないし狙撃命令後の最終的射撃判断は警察官個々人が下します。

     ごくごく例外的に、サブマシンガンを用いた突入やライフル狙撃が必要な事件が突発的に起こった時、所属長判断で部隊が出動することがあります。また臨場した部隊は、現場の状況急変に合わせて臨機に狙撃、ないし突入することがあります。が、これらはあくまで例外措置、本来はすべて所轄長・所属長の指示に基づく現場指揮官の命令によらなければなりません。

     拳銃のみを用いる場合、部隊の出動と活動に当たり所轄長の命令を待つ必要はありません。所属長と現場指揮官の判断で部隊を出し、活動させる事ができます。が、これは建前。人質事件など重大な事件が発生した場合は、たとえ特殊銃を使用しない場合であっても、所轄長判断があった上で突入などがなされる事になるでしょう。

     なお、上で触れた狙撃や突入の流れは、最近更新された各種法令・規則に基づいたものですが、基本的には以前からと変わりません。規則が整備される以前においても、人質立てこもり事件における発砲制圧は、上層部(普通は警視総監・警察本部長)が「容疑者の発砲制圧もやむなし」と判断した場合にのみ行なわれるのが通常でした。狙撃の場合だと、例のぷりんす号事件直後の昭和45年6月に警察庁から通達が出て、

    • ライフルは、警視総監・警察本部長もしくはその特命を受けた上級幹部が現場において命令を発した時にのみ使用する。
    • ライフル使用に当たっては、国家公安委員会規則「警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範」に準拠する。

    事が原則とされました(*)。準拠する規則こそ違うものの、最高幹部の命令で狙撃を行う点は現在と変わりありません。状況急変に合わせ現場が臨機に対応し発砲制圧、というケースは例外で、調べがついた範囲内では1件だけです。

     これまで国内で発生した人質事件で警察側が制圧のために発砲に至った事例、ですが、調べがついた範囲内では4件あります。以前既に挙げた事例もありますけど、改めて今一度、見てみる事としましょう。

    1. ぷりんす号乗っ取り事件 昭和45年5月(*)

       犯人は山口県下で警察官を殺傷の上けん銃を強奪、広島県下で銃砲店に押し入り、ライフル銃・猟銃を奪う。それらの銃器を以て定期旅客船「ぷりんす号」を乗っ取り、人質を取った。後に乗客および一部乗員を解放したものの、船長以下一部の乗員は人質となったまま、警察官・近親者の説得にも応ぜず、発砲し抵抗を続ける。犯人に人質殺害の暇を与えず一瞬で制圧逮捕する必要上、ライフル銃による狙撃以外に方法なしと判断された。乗っ取り事件発生から16時間後、狙撃制圧。容疑者は死亡。

    2. 長崎バス乗っ取り事件 昭和52年10月(*)

       猟銃・拳銃を所持した2人組の犯人グループが、バスを乗っ取り人質を取った。爆発物らしきものや銃器で人質を脅し説得にも応じないため、突入を計画した。その後突入の時期をはかりつつ説得を継続したが、事件発生より16時間が経過した頃、説得活動に業を煮やした犯人が激昂し発砲、人質に危害が及ぶ恐れが出たため、警察側も発砲し直ちに突入、制圧。容疑者は1人が死亡、1人は重傷を負い逮捕された。

    3. 三菱銀行北畠支店人質事件 昭和54年1月(*)

       猟銃を持った犯人が銀行強盗に押し入り、人質を取って籠城した。押し入った時点で銀行員・警察官を殺害した上、籠城中にも人質1名を殺害した他、人質に暴行を加える等凶悪な行為に及ぶ。説得にも応じないため、犯人に人質殺害の暇を与えず一瞬で制圧逮捕する必要上発砲制圧以外に方法なしと判断された。事件発生から42時間後に突入し発砲、制圧。容疑者は死亡。

    4. 宮崎猟銃殺人・逃亡事件 平成8年10月(*)

       猟銃で殺人を犯した犯人が自分の子供を車に乗せ、移動を始めた。警察当局はこれを人質を取っての逃亡と判断し、車を捕捉、国道上で包囲した。容疑者は猟銃を保持し時折発砲して抵抗。捜査員・人質を危険にさらす事なく逮捕する事を目的として狙撃による制圧が試みられ、容疑者が下車した際足を狙って県警の狙撃手がライフル銃を1発発砲、命中させた。しかし制圧はできず、容疑者は警察の包囲網を突破して逃走し、後逮捕さる。

     以上の4件です。いずれの犯行も、言うなれば「シロウトさん」の犯行ですから、国際テロリストのようなプロの犯行と同一視する訳には行きませんけど。でもこうして見ると、日本の警察もやる時はやるもんだと思えて来ませんか? 上層部がやむをえずと判断すれば、日本の警察だって綿密に計画を練った上で射殺も辞さずと発砲突入したり、狙撃したりするんです。さらに長崎で起こった第2の事例なんか、状況の急変に応じて即座に発砲突入、人質を無事救出しています。突入方針は既に固められていたという背景はあるにせよ、この判断力と即応性は高く評価されても良いでしょう。

     ちなみに、こういう発砲制圧の際に問題になりやすい点として「発砲制圧は仕方ないとして、射殺以外の方法はなかったのか」という疑問の提示があります。つまり、手足を撃って黙らせるという事はできなかったのか?という疑問。私は銃器や射撃の専門家ではないので、残念ながらこれについて確たる事は言えません。

     しかし聞いた範囲では、人質に当てないように且つ犯人の手足を狙って撃つ、という器用なまねは、やろうと思ってもそうそうできるものではないという事です。上記の例を見てみましても、犯人の手足を狙って撃った事例は1件しかありません。それも、犯人が自分の子供(警察はこれを人質と判断した)を載せた車から下車してしかも全身をさらしたからこそできたのであって、通常の状態では撃てるものではありません。むしろ、狙い撃ちができたこちらの方が特殊なケースだという見方も成立します。

     さらに言うなら、仮に相手の手足を撃ち抜いたとしても、それで相手の動きを封ずる事ができるとは限りません。これも聞いた話ですが、下手に容疑者の手足を撃つと、動けなくなるどころか逆に怒って人質に危害を加えるという事態もあり得るそうです。現に足を狙い撃ちした第4の事例においても、それで容疑者の制圧がなされた訳ではありませんでした。容疑者に人質を傷つける暇を与えず一瞬で制圧する、という人質事件鎮圧の原則を考える時、制圧のための発砲が容疑者の頭・胴体を狙ってなされがち(当てやすく、また一瞬で行動能力を奪える)なのは、必要やむを得ない事でもあると言えます。

     勿論、こういった発砲制圧事案は、(しつこく繰り返しますが)警察機関の活動としてはあくまで例外です。やる時はやると言っても、それはやるべき時の話です。いかに人質を取っているとは言っても、やむを得ない場合以外にはむやみに発砲制圧などすべきではない。例えば容疑者が比較的冷静で交渉に応じている時にいきなりズドン!というのは、警察としてはあってはならない事なのです。かつ、発砲によらず、容疑者に人質を害する暇なく逮捕する手段があれば、当然そちらを採用してしかるべきです。

     警察特殊部隊の任務は、人質の救出と容疑者の逮捕。決して容疑者射殺ではありません。逆に言うと、これ故に、警察特殊部隊は究極的には対テロ任務には向いていないのです。なぜなら、「いいテロリストとは死んだテロリストのこと」なのですから。

     とは言え、その限られた条件の中で警備警察特殊部隊は日々任務をこなしている訳で。彼等には、惜しみない拍手を贈りたい。

 

Special Thanks to:CHEETAHさん、森 万象さん、Julietさん、まさやんさん


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