入国警備官

 

1.入管基礎編

 海外旅行に行ったら税関と並びお世話になるところ、入管。その入管のお話であります。

 空港のゲートでパスポートのチェックをやっている人が一般になじみありますが、あの人々は入国審査官といいます。この人々も治安維持に貢献している事は確か(偽変造パスポートの見破りなど)なんですが、ここで取り上げるのはより直接的に治安に関与している人々、入国警備官です。

 入管制度というのは独特かつ複雑で、しかも一風変わっています。じつは私自身も完全には把握出来ていないんですが、制度の理解は仕事の理解に欠かせない、って事で。

 入管の目的は密航の阻止、特に密入国の阻止に力が入れられています。具体的には、密航者を国内に入れないか、入れても摘発して送還する。犯罪捜査と似てますが、犯した罪を云々するんでなくて身柄そのものを云々する、且つその目的は犯した罪に相応する刑事罰を与えるんでなくて入国阻止・送還であると、通常の刑事制度とは違うんですね。

 そういう訳で、入国管理制度は通常の刑事制度からは独立して存在しています。入国審査官が裁判官(時には検察官)に該当し、外国人の入国滞在の是非・送還の是非を決定します。入国審査官の決定に不服がある時は特別審理官への、さらには法務大臣への異義申立制度があります。裁判の三審制に倣っての事でしょう。ちなみにこれはあくまで「行政処分」ですので、変更不能な最終的決定という訳ではなく、さらに裁判所に不服を申し立てるという道もあります。(実際は、いろいろと問題がある様子ですが……)

 違反事件の強制調査に際しては、臨検・捜索・押収の権限が与えられており、また密入国者を発見した場合は「収容」します。この内臨検・捜索・押収については裁判官から許可状を発布してもらい、刑事制度上の逮捕に相当する収容については主任審査官が収容令書を出します。とまあ、刑事訴訟法とそっくりながらほぼ完全に独立して存在しています。で、ここでお巡りさんの役目に当たるのが入国警備官なのでした。

 入管制度のお巡りさん、ですからつまり実際に違反事案を調査し、摘発に赴いて密入国者・不法滞在者を捕まえます。密入国者等を送還まで収容しておく入国者収容施設の警備も、警備官の仕事です。強制送還が決まれば、それを執行するのも警備官です。とりあえず、入管法に明記されているところの入国警備官の任務を列挙しますと。

  • 入国、上陸又は在留に関する違反事件を調査すること。
  • 収容令書及び退去強制令書を執行するため、その執行を受ける者を収容し、護送し、及び送還すること。
  • 入国者収容所、収容場その他の施設を警備すること。
入国警備官の階級
警備長
警備士長
警備士
警備士補
警守長
警守

以上のようになっています。

 実際に体張って摘発に従事する政府関係者だから、彼ら/彼女らの事を「入管Gメン」なんて呼ぶ人もいます。私はそんな呼び方しませんが(笑)。最近ではテレビの情報番組に出て来る事も多くなりました。この入国警備官には階級もあります。別表に記しておきました。収容所警備の時なんかは隊行動を取る事も多いんで、階級もあるみたいですね。

2.入管歴史編

 さて、かように一種独特の姿を見せる出入国管理体制ですが、その出自もかなり独特なものです。治安機関の雄たる警察や、入管と並び "CIQ" の一翼を担う税関の場合、いずれも明治以来の由緒正しい歴史ある機関です。しかし、入管はそうではありません。戦後、ほとんどゼロから作り上げられたと言ってもいい、新しい機関です。

 現在の入国管理体制が出来上がったのは1952年、昭和27年の事です。出入国管理体制そのものは、もちろんそれ以前から存在するのですが、しかるにその中身は現在のそれとはまるで違う。

 戦前の出入国管理行政は、詳しい事は割愛しますけれども、一口で言えば内務省・警察が担当していました。今の入国管理局のような、Immigrationと呼ぶべき専門機関は影も形もありません。(*)

 戦後は、当初、外地からの日本人引揚および動員労務者の朝鮮・中国・台湾への送出を除き、外国人の日本への入国/日本人の日本からの出国は原則禁止となりました。後に昭和22年頃より、この制限は一部緩和されるようにはなりますが、しかるに出入国に際しての各種手続はすべて占領軍当局が直接行う事となっており、日本側に出入国を管理する権限は与えられませんでした(*)。昭和22〜23年当時、日本側が行っていたのは、不法入国者の摘発と送還、および外国人の登録 です。

 まず、不法入国者の摘発・送還ですが、これはかなり早くから始まっています。ものの本によると、昭和20年10月頃から朝鮮人の不法入国が現われ始め、翌21年3月頃にはその数が急増、不法入国の手段も計画的で悪質なものが増えて来たという事です。当時日本は敗戦直後で疲弊の極みにあり、入国したところで何のうまみもなさそうに思えるのですが……しかし、朝鮮の経済状態も日本に劣らず悪いもので、生活に困窮した挙げ句日本を目指す、という例が後を絶たなかった模様。(*)

 当初は、不法入国の摘発・送還について手続が定まっておらず、とりあえず博多および仙崎へ移送し、そこから一部引揚船の空きを利用する等して送還していたようです。摘発から送還までの手続が定まったのは昭和21年6月の事で、同月12日にGHQから指令が下り、制度が整えられました。すなわち、占領軍の許可を受けない朝鮮からの密入国者があればこれを逮捕し、仙崎、舞鶴、あるいは佐世保に移送して現地の連合軍官憲に引き渡すべし(*)。実際は、佐世保の引揚援護局内に警察が管理する収容所を作り、そこを密入国者専用として収容。後、逐次送還。戦後の混乱期にあって、これは筆舌尽くし難い苦労を伴う業務であったとか……(*)

 一方外国人の登録は、これは昭和22年5月2日制定の外国人登録令によって行われました。同令では、「外国人は、当分の間、本邦に入ることができない。」と定められ、外国人一般の入国を原則禁止していました。その上で、既に国内に居る外国人、あるいは占領軍の許可を得て入国した外国人に対し、登録を義務付けました。違反者に対しては刑罰が科される他、国外退去の処分もあります。国外への退去命令は内務大臣の権限で、具体的には、内務大臣が地方長官に退去強制を訓令し、この訓令に基づいて地方長官が令書を出し、警察官に交付。警察官がこれを執行します。同年末に内務省が解体された後は、「法務庁設置に伴う法令の整理に関する法律」および「内務省官制等廃止に伴う法令の整理に関する法律」にて法務庁(※後に法務府)法務総裁が退去強制の訓令を出す権限を持ちました。

 いわゆる出入国管理行政が復活のきざしを見せるのは、1949年・昭和24年2月の事。GHQからの指令により、入国/出国者の旅券審査を行うようになったのが始まりです。ただ、当時はまだ入管はありませんから、税関が旅券審査を担当していました。(*)

 その後同年6月に至り、GHQは、進駐軍要員を除くすべての外国人の入国管理を日本側の担当とする事を指令しました。これを受けて日本政府は、外務省に入国管理部を新設、同部の指揮を受ける実働要員として税関に入国監理官を置きました。入国管理部は出入国に関する記録を作り、入国監理官を指揮し、また不法入国の取締りについて関係機関と連絡調整を行います。入国監理官は、税関の職員ですが、入国管理部の指揮を受け出入国する人物の旅券を審査します。(*)

 時いまだ入管はありませんので、税関が入管の代わりを果たすいささか変則的な体制が続いています。ただし、税関で旅券審査の一線を担った入国監理官は、本来の税関職員が就任する他、外務省から税関へ職員が出向し就任する例も多くありました(*)。この外務省からの出向人員は、後に入国管理部が独立し現在の入管へと成長していく時、一線で働く中堅幹部として組織を支えて行く事になります。

 1950年・昭和25年2月20日、GHQより出入国管理機構設立に関する新たな指令が下り、日本政府は新組織設立に向けた研究・検討を開始します(*)。しかるに同年6月25日、朝鮮戦争が始まり、9月15日にはGHQから早急に出入国管理機関設置を求める指令が下ったことを受け、昭和26年度を予定していた新機関設置は前倒しとなり10月1日に外務省外局出入国管理庁が設置されました。同庁は、入国管理部時代と同じく出入国に関する記録を作成し、税関職員(入国監理官改め出入国監理官)を指揮して旅券審査を行し、また不法入国の取締りに関して関係官庁と連絡調整を行うほか、従来は他省庁の管轄であった不法入国者の摘発(警察・海保)、退去強制令書の発布(法務府)および執行(警察・海保)、収容所の設置・維持管理(引揚援護庁)・警備(警察)、さらに外国人登録(法務府)をも任務に含めました(*)。複数の省庁にまたがっていた出入国管理業務を単一の組織にまとめ上げたという事で、この出入国管理庁が設置された昭和25年10月1日は、入管の設立記念日とされています。

 また、「入国警備官」「入国審査官」という官職もこの時初めて登場しました。ただし、当時の警備官/審査官は、今のそれとはかなり違っています。

 まず当時の入国審査官は、不法入国者に対する退去強制令書の発布と、その執行指揮を担当していました。出入国の審査そのものは担当せず、旅券の審査さえも行いませんでした(※出入国および旅券の審査は税関の出入国監理官が担当)。ちなみに、武器の携帯権もありません。一方入国警備官は、司法警察職員として外国人登録令第3条違反(※外国人の不法入国)の罪を捜査し、入国審査官の指揮を受けて退去強制令書を執行し、また入国者収容所を警備しました。武器の携帯権も持っていました。現在の入国警備官と異なっているところは、司法警察職員扱いとなっている点ですが、これは当時、不法入国の検挙を犯罪捜査の一環として行っていたためです。検挙された不法入国者は、まず送検され、起訴して有罪となるか、あるいは起訴猶予となるか、もしくは服役が終了してから改めて出入国管理庁に身柄が送られ、退去強制となっていました(*)。現在では行政上の強制調査という形で不法入国の検挙が行われていますが、当時は司法警察権を行使して検挙という形になっていたため、警備官もまた司法警察職員扱いであった訳です。

 この出入国管理庁の特徴(と言うか、限界)は、出入国管理と称しつつも実際は不法入国の取締りが中核的任務となっているところです(*)。同庁の業務内容は上に挙げた通り。ここには、出入国管理政策の企画・立案は入っておらず、出入国管理に関する関係省庁との総合調整といった任務もありませんでした(「不法入国の取締に関する」事務の調整任務ならあった)。また、発足に際して新たに得た業務は、不法入国者の摘発、収容所の維持管理と警備、送還。新設の入国審査官・入国警備官が行うのは不法入国の摘発と退去強制。地方支分部局たる出張所にしても、不法入国対策の側面がはっきり現われた配置になっているといいます(*)。すなわち同庁は、政策の企画や立案といった根幹部に関わる事はなく、与えられた行政課題・業務をこなすだけの存在。しかも、出入国管理の名を冠しつつも、その実は不法入国対策の面を大きく突出させていました。これは、GHQが意図した「出入国管理機関」の姿とはかけ離れたものであり、早晩修正を迫られる事になります。

 出入国管理庁設置からおよそ1年後の昭和26年11月、入国管理庁設置令と出入国管理令が新たに施行され、出入国管理庁は外務省外局入国管理庁となりました。この時、ようやく出入国管理に関する政策の企画・立案や出入国管理に関する事務の総合調整といった任務を帯び、不法入国に偏った体制から抜け出すに至りました。また、入国審査官/入国警備官も今と同等の権限を持つようになります。旅券審査は税関ではなく入国管理庁の入国審査官が行うやり方に改まり、税関の出入国監理官は廃止。これに伴い、かつて外務省から税関へ出向し入国監理官/出入国監理官として経験を積んだ職員の多くは入国審査官に任命されました。入国警備官は、入管令で不法入国事件の検挙を司法警察権ではなく行政上の強制調査権に基づいて行うようにした結果、司法警察権が消滅し、代わりに強制調査権が付与されました。あと、従来は非武装であった入国審査官に武器携帯権が与えられたのもこの時です。

 これで、現在に繋がる出入国管理法制・組織がほぼ出来上がりました。出入国管理令は、ポツダム勅令に基づく政令として定められたものですが、昭和27年の「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」によってサンフランシスコ平和条約の発効と同時に法律としての効力を与えられました。後年「出入国管理及び難民認定法」と改名し、現在に至ります。外務省外局出入国管理庁が法務省に移り入国管理局となったのは、昭和27年8月1日、「法務府設置法等の一部を改正する法律」が施行され法務省が設置された時です。以来現在に至るまで活動を続けて来ているのは、御承知の通り。

3.入管警備編

 改めまして、入国警備官と、彼らが取締りに当たる密入国・上陸および不法滞在について。まず、年間通してどれだけの人数が強制送還になっているかというと、若干古い数字ですが、平成15年の1年間で4万5,910人が送還されています(*)。しかし摘発されていない不法滞在者は推定25万人(平成16年1月現在*)といいますから、まさに氷山の一角という感があります。バブル弾けたりとはいえ依然世界有数の経済大国である日本を目指す密航者の数は、このところ増えるばかりで、減る気配はありません。一方国内にも、一部製造業や風俗産業(……)に人件費の安さに注目して外国人を雇う向きがあるようで、需要もあれば供給もあると、問題の根は深い模様。

 こうした密入国を取り締まる入管の体制は、平成16年6月現在、法務省入国管理局を頂点に、地方入国管理局8(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、高松、福岡)、支局5、出張所72。一見なかなかな数ですが、職員は本省・地方支分部局合わせて2,800名余り、この内入国警備官は、半数以下の1,183名しかいません。警察や海上保安庁などと比べるとずいぶん小振りです。実際、国内あちこちにある出張所というのは、警察の警察署や海保の海上保安署のような取り締まり拠点ではありません。それら出張所は大抵、外国人の出入国が許可された「出入国港」と呼ばれる海港や空港にあり、パスポートチェックする入国審査官のための事務所となっています(*)。事件調査と摘発に当たる入国警備官は通常、各地方入国管理局に配備されて業務にあたります。また摘発した密入国者を送還時まで収容しておく入国者収容所という施設も3ヶ所あり、そこの警備も警備官が行います。収容所というとなんだかアレですが、あくまで一時収容施設、刑務所ではありません。

 さて、摘発だ警備だといった強制的な仕事を効果的になすためには、ある程度の実力の裏付けも必要。違反の調査、収容令書・退去強制令書の執行、あるいは施設警備に際し、相手の抵抗や妨害がある場合に備え、入国警備官には武器の携帯が許可されています。入管法61条の4。携帯できる武器とは、要は拳銃です。また武器に準ずるものとして警棒も装備されています。

 なお警備官だけでなく入国審査官にも武器携帯権はあるんですが、現在ではあまり意味のないものになっている模様。モノの本によると、武器に関し「入国警備官については、その扱いについての訓練が行われている」と書いてありました(*)。入国警備官については行われている。では、入国審査官については? ……どうやら行われていないらしい。という事なので、ここではパス。

 その入国警備官が携帯する拳銃ですが、昭和33年に法務省の出した訓令「拳銃等の使用及取扱規程」に記してあるのは、ベレッタ、及びブローニングの自動拳銃です。伝統的に戦後日本の警察機関はリボルバーが好みらしいのに、これはちょっと異色かも。しかし装填弾数は「特別な必要がある場合を除き」原則5発とありますから、結局同じ事かな? ちなみに同訓令がその後どういう変遷を辿ったか、はっきり調べはついていないのですが、元職の方からうかがったお話ですと「昭和の終わり頃でも、大幅な改訂なく、ほぼそのままであったと思われる」という事でした。

 では具体的にどういった銃を装備しているかについては、同じく元職の方より「昭和の終わり頃、ベレッタ1934、ブローニング1910といった銃を使っていたのを覚えている」というお話をうかがっております。ベレッタ1934といえば、9mm弾を使う小型拳銃ですけれど、これは戦前設計の銃です。まあ名銃の誉れ高く、1980年代まで生産継続されたそうですが。またブローニング1910も同様で、32口径の小型拳銃、戦前設計ながら名銃として1980年代まで生産継続、しかるに今となっては20年以上も前の銃。「昭和の終わり頃」を仮に1985年(昭和60年)と見ても、その時点で既に生産は終わっています。結構古いモデルの銃を使っていた事が分かる訳なんですが、モデルのみならず銃そのものも古かったらしく、「射撃訓練の際、ジャムってしまうことが多かった」とか。自動式の拳銃にJamはつきものとはいえ、それがしばしば起こるとは……。以前導入した銃を、更新する事なく使い続けていたらしい。

 なお、現在までにこれらの銃が更新されたかどうかは未確認。 今ではベレッタの自動拳銃M-92Fを装備している、という噂も聞くのですが、これはあくまで噂。確認事項ではありません。

 またこの武器はあくまで「職務を行うにあたり」携帯することができる、すなわち職務上必要ある時持っていって良い、というものです。常時持ち歩いていけないのはもちろん、摘発などの業務に際しても必要がない場合には持ち歩いてはいけません。テレビに出てくる警備官の皆さんは大体手錠と特殊警棒しかお持ちになっていませんが、それにはこういう事情がある訳です。

 では相手が凶暴で抵抗が予想される場合には携帯するのか……と思われますが。法的には確かに「その必要」の条件クリアなんですけど、実際にはどうも携帯していってないようですね。代わりに、警察との合同取締りを行って、危なさそうな時は警察官の手を借りる事にしているようです。入国警備官が違反調査を行って取り締まる不法入国/不法上陸/不法残留などは、退去強制に当たる触法行為であると同時に、犯罪でもあります。従って、警察も犯罪捜査目的で取り締まりに従事することができる。当初私は、入管法中に警察官援助に関する条文がないので、何を根拠に警察官が出張っているのか分からず首をひねっていたのですが、現職さんに教えて頂いたところこういう事なのでした。……罰則に至るまで真面目に法文を読んでいない事がばれてしまった……

 ちなみに、いざ拳銃を携帯していったとして、それを使用する場合。入管法61条の4第2項によると、「職務の執行に関し、その事態に応じ、合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる」ようになっています。なかなかアバウトな(苦笑)な要件設定ですが、人身に危害を加えるような武器使用についてはさすがにある程度具体的な要件設定がなされており、それは

  • 刑法第三十六条(※正当防衛)又は第三十七条(※緊急避難)に該当するとき。
  • 収容令書または強制退去令書の執行を受ける者がその者に対する入国審査官若しくは入国警備官の職務の執行に対して抵抗しようとする場合又は第三者がその者を逃そうとして入国審査官若しくは入国警備官に抵抗する場合において、これを防止するために他の手段がないと入国審査官又は入国警備官において信ずるに足りる相当の理由があるとき。

になります。収容令書というのは刑事訴訟法にいう逮捕状や勾留状に相当する書類ですが、ここで例えば警察官等職務執行法だと、逮捕状執行への抵抗制圧のためには危害を加えるような発砲も許可する旨、定めてあります。入管法の規定内容はこれに類するものであり、刑事制度から独立して存在しているとはいえ、さすがこの辺りは警察同様に定めてある。なお上記以外の場合では、武器使用といっても威嚇射撃にとどまる事になります。ですから、例えば摘発に勘づいた容疑者が走って逃げ出した!というような場合、追いかける警備官は、威嚇射撃までは出来ますが、相手に危害を加えるような発砲はできない訳です。(「逃走」は「抵抗」とは違いますから)

 で、こうした権限に基づき入国警備官が武器を使用した事例があったかどうか。これは、残念ながら分かりませんでした。でも、なんとなく、使った事なさそうな気がします。

 
 
主要参考資料;
『出入国管理の回顧と展望 (昭和55年度版)』 編集;法務省入国管理局 発行;大蔵省印刷局 1981
『出入国管理行政論』 著;竹内昭太郎 刊;信山社出版 1995
『新版 出入国管理及び難民認定法逐条解説』 著;坂中英徳・齋藤利男 刊;日本加除出版株式会社 1997
『平成16年版 出入国管理』 編集・発行;法務省入国管理局 2004

Special Thanks to:ひぐらしさん、IMMIGRATIONさん


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