強行移乗

 

 陸の上では、足を基本として移動手段は多種多様です。走って逃げる容疑者をお巡りさんが同じく走って追いかけるなんて事も、ざらにあります。しかし海ではそうは行かない。海の上での移動手段はほぼ例外なく船、という事で、逃げる側も追いかける側も等しく船を使って行動する事になります。ここで追いかける海保の側から見て問題になるのは、逃げる相手の船をどうやって止めるかです。ずどんと発砲して止められるものなら話は早いんですが、法律はなかなかそれを許してくれません。ではどうするか?

 答えは簡単で、相手の船に乗り移って止めちゃうというものです。巡視船は海のパトカー。逃げる船を追いかけて強引に接舷、海上保安官を乗り移らせて容疑者逮捕!という活劇もざらにあります。相手は大体が漁船で、乗ってるのは密漁者であったり不法入国者であったり麻薬の運び屋であったり、色々です。

 ベストは相手の船足止めてから乗り移る事なんで、まずは停船命令と警告です。大体、無線通信・拡声器あるいは電光掲示板で警告を発し、サイレンを鳴らし、夜間なら照明弾を上げたりサーチライトで照射したり。サーチライトで照らすのは、明かりの意味ももちろんありますが、威嚇の意味もあります。大音響のサイレン鳴らされて、加えて強烈な光で照らされたりしたら、やはりちぢみあがるものでしょう。

 しかし、止まれと言っても止まらない、往生際の悪い犯罪者が相手となると、これはもうしょうがないからまだ動いてる相手船に無理やり乗り移る事になります。足の速い小型の巡視船艇は自分から突っ込みますが、中/大型の巡視船ともなるとそうも行きません。自身は足も遅いし小回りも効かないので、代わりに搭載している警備救難艇に行かせて自分は援護に回ります。

 移乗を実施する臨検班を載せた船艇は、まず相手船に思い切り近接します。並走して移乗機会を伺いつつ、引続き警告を実施します。この段階では大きな爆発音と光を出す警告投擲具というものを用い、相手に投げつけたり圧搾空気を用いた投擲筒で飛ばしたりして、相手を威嚇します。もう少し強硬だと、ショットガンで催涙弾を撃ち込んだり、投擲筒で威嚇用ゴム弾を撃ち込む事もあります。警告中は、見晴らしの効く場所にビデオカメラを持った採証員を配置し、一部始終を撮影させます。この撮影内容は裁判で証拠として利用されます。いよいよ、となると臨検班は艇の先端にて待機。艇は双方の大きさや甲板の高さの差、揺れ具合などを見はからって艇首を相手船に押し当て、臨検班がタイミング良く飛び込むのです。

 これを、実際の巡視船に即して見てみましょう。私が知っているのは巡視船「ちくぜん」の、平成14年頃の例です。まず、相手の船を追跡する「追跡部署」が発令され、運航に当たる要員を除いた航海科・機関科・航空科の人員で業務執行班を編成します。執行班は複数編成されるもののようです。どの班が移乗を担当するかは、はっきりとは決まっておらず、現場の状況次第で変わります。移乗・臨検を担当する班は警備救難艇に乗り、支援と採証を担当する班は巡視船上で活動します。活動の内容は、上で触れた通り。

 ちょっと考えればすぐ分かる事ですが、移乗というのは凄く危ない。相手は動いてるし、こっちも動いてるし、そもそも船の大きさからして違います。向こうは何が何でも逃げてやろうと、無茶苦茶動き回ります。場合によっては巡視船艇に体当りかまそうとまでして来ます。機会をとらえて肉薄しても、移乗のタイミングがずれれば、もちろん海にどぼん。これだけでも十分大変なのに当然向こうの抵抗もある訳だから、はた目には無茶と映ります。バイキングよろしく向こうの船が壊れようが構わずぶつけて横付けし、10人20人一気にドヤドヤと踏み込む訳ではないんで、これでは4、5人乗り移るのがやっとです。

 実際、容疑船を追跡中に相手から体当りされて巡視艇が損傷した例は多々あり、また時期・場所は定かでありませんが、移乗したはいいものの相手の抵抗に遭い、逆に海に放り込まれた保安官の方もいらっしゃるとか……。いや、海に落ちる程度で済めば(って、それはそれで大事なのですけど)まだ救いようがあります。相手が武装していた場合なんかは、更に危険な事態になるでしょう。

 かくも激しい抵抗をする訳ですから、制圧される側もさすがに無傷とはいかず、追跡の過程で船が損傷・沈没したり乗組員が負傷したりする事もしばしばあります。例えば、韓国の密漁大型トロール漁船が、巡視艇に体当りしようとして、誤って僚船に衝突・沈没してしまった例(平成10年5月・壱岐沖)、同じく韓国のアナゴ密漁漁船が、巡視艇から追跡され、威嚇用の催涙弾で該船乗組員が負傷した例(平成16年5月・対馬沖)、また海保でなく水産庁がらみの事件ですが、韓国の密漁小型漁船が取締船の追跡を妨害しようとし、誤って取締船と衝突転覆した例(平成13年9月・対馬沖)など。危険は枚挙に暇ありません。

 こうした危険を最小限に抑え、容疑者・捜査員共に無事を確保しつつ検挙する事が海保には求められています。実に困難な任務です。

 最近は密航・密輸・密漁の海上犯罪が益々凶悪化しつつあり、また加えて平成11年3月に不審船事件、平成13年12月には工作船事件が発生したため、海上犯罪摘発のための強行移乗技術にはかなり力が入れられているようです。まず、容疑船を捕捉するための高速性能と抵抗を鎮圧するための各種装備を備えた新型巡視船(PS)が建造され、さらにヘリコプターを利用した空からの強行移乗についても検討が進められています。

 海上警備に配慮し建造された新型巡視船(PS)は今のところ8隻あります(平成17年3月現在)。まず180t「ばんな」型の6番船は、抵抗抑止のために新型のRFS20mm機銃と放水銃、接舷用に大型防舷材を備え、速度性能も向上させる等他の同型船とは異なる独自の改良が施されており、捕捉機能強化型と称されています。同型7番船も、捕捉機能強化型に準ずる装備を整えています。また、捕捉機能強化型をさらに発展させ、中でも速度性能を飛躍的に上げ、容疑船の洋上捕捉任務に特化して従事することを目的とした220t型巡視船が6隻建造されています。公称はずばり、高速特殊警備船。

 ヘリからの強行移乗についても、能都半島沖不審船事件があった平成11年以降、海保はヘリから相手船にラペリング降下して移乗する訓練をやっているそうです。元々海保では、警備業務にヘリを使う時は上空からの監視・支援任務に用いる事がメイン、制圧といえば、相手のすぐ頭上まで降下して威嚇しつつローターの強烈な吹き下ろし(ダウンウオッシュ)で動けなくする……という程度でした。しかし、速くて小回りの効くせっかくのアシを使わない手はありません。

 現に平成11年度海上保安庁観閲式では、密輸船取締訓練の展示において、保安官がヘリから「容疑船」へ降下し制圧する訓練が披露されました。なるほど、これだと巡視船艇から乗り移るよりもスムーズな移乗が期待できそうです。機上から立て続けに警告投擲具を投げつけて、相手が混乱している隙にするするっと降りて行く。スピーディーで良さそうですね。相手に与えるショックもでかいでしょう。

 加えて平成12年より、夜間監視機能強化型と称される中型ヘリコプター(ベル式412型ヘリ)が就役し始めていますが、これらは単に暗視装置を備え夜間監視能力に優れているというだけでなく、一定の防弾性能も備えており、銃による抵抗が予想されるような警備にも投入可能となっております。

 ただし、ヘリからの移乗とてもやはり万能ではなく、相手船のスピードが早いままでは当然のことうまく移乗できません。相手を止められないまでも、せめて船足を緩めておく事くらいは必要です。また荒天時はヘリが飛べないというのも、ネックになります。そもそも、船から乗り移ろうがヘリから降下しようが相手の抵抗はある訳で、「乗り移った後」の問題は変わりません。

 容疑船に乗り込まんとする保安官をTVで見るたびに、こっちは落ちやせんか、撃たれやせんかと冷や冷やします。が、見ている限りでは、乗り移っちゃうと案外あっさり船が止まる。うーむ、これもプロの技なのだろうか。

 

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