日本の船を守ります

 

 またの題名を、「領海警備・その2」とでも謂いましょうか。領海そのものを警備する活動ではなく、領海外にある日本船を守る活動についてです。

 領海内にある日本船の場合、領海警備活動とあわせて当然のごとく守られる事が期待できます。ところで、領海外にある船はどうか。他国の領海内にあっては、必然的に領域国の当局にどうにかしてもらう事になりますが、公海上ではどうか。

 結論から先に言うと、少なくとも公海上にある限りにおいてはいざという時海保から助けの手を伸べてもらう事を期待できます。海上保安庁法は、その第一条において、海保の設置目的を「海上において、人命及び財産を保護し、並びに法律の違反を予防し、捜査し、及び鎮圧するため」とうたっています。ここで謂う海上とは、何も日本の領海のみを指すのではなく、公海をも含みます。従って、公海上にある日本船が何らかの危機に瀕したとなれば、海保に助けを求める事ができるし、また海保は救助のために出動し活動する事ができます。

 公海上の日本船を助けるために海保が出動する例の大半は、海難救助のためなのですが、不当な侵害や危害を加えられた船を守るために出た例というのもあります。

・いにしえの「だ捕事件対策」

 船舶に不当な侵害・危害を加える存在というのは、普通に考えると海賊や海上武装強盗になるんですが、意外に多いのが官憲による侵害。海賊船と間違えて漁船を威嚇射撃したり、密輸船と間違えて貨物船を臨検したり、時には理由もよく分からないままに拿捕される事もあったりして……。特に多いのは、漁業に関連して起こる事件です。

 自国の領海内あるいは排他的経済水域(EEZ)内で違法に操業している漁船を拿捕するのは沿岸国の権利である訳なんですが、肝心なのは、「領海内あるいはEEZ内」であるというところ。領海やEEZと認められていない水域を勝手に領有宣言し、そこで操業する他国の漁船を拿捕しようとする国が時々出現しますが、これは明らかに不当な行為です。

 この手の事件で日本と関係深いのは、韓国の「李ライン」設定に伴う漁船だ捕事件や、旧ソ連の「ブルガーニンライン」設定に伴うだ捕事件、また国共内戦と朝鮮戦争に関連して中国が行った軍事活動水域の設定とだ捕事件、などなどがあります。中でもとりわけ大変だったのは、韓国との間の事件です。

 事の発端は、昭和27年(1952年)1月に韓国が行った「海洋主権宣言」です。同宣言においては、水産資源保護のためと称し、日本海から朝鮮海峡を経て黄海に至る日韓間の公海上に「海洋主権線」を設定、同線を越えての操業を違法とみなす旨を発表しました。これは、国際法上何の根拠もない一方的な宣言であり、当然無効とされてしかるべきものでしたが、韓国はこれを強行。以降、出漁する日本漁船の多くが被害に遭う事になります。同線は、当時の韓国大統領の名前を取って「李承晩ライン」とも呼ばれました。

 それより以前、「マッカーサーライン」と呼ばれる日本漁船の出漁制限線が設定されていましたが、李ラインはこれの引き継ぎを目論んだものです。マッカーサーラインは日本の占領当局によって設定されていたものであり、日本側に守る義務がある、いわば日本の国内法に近い存在でした。しかし、連合国軍が日本から撤退し占領が終了すれば、同線は消滅します。それはすなわち、日本周辺海域に閉じ込められていた日本漁船の遠洋出漁を意味するため、これを嫌った韓国側が同線消滅後も日本漁船の出漁を封ずるために打った手が、李ラインの設定でした。

 李ライン侵犯といっても、そこは公海。国際法上何の根拠もなく設定されたものであり、それどころか公海自由の原則に違反する疑いもあって、本来は無効です。日本側には守る義務などありません。が、実際に日本側が出漁すると、違法操業だといって韓国側は拿捕にかかります。韓国警備艦からの銃撃で漁船の乗組員に死傷者が出たり、また拿捕された漁船の船員がなかなか釈放されない事も多く、かなり問題になりました。ここで、当時の海上保安庁は、漁船を守るために巡視船を出しています。……といっても、そこは敗戦国の悲しさか、戦後間もない頃にあって周辺国との摩擦にはことのほか気を遣い、実際の活動に当たっては相当の苦労があった模様。

 サンフランシスコ平和条約の締結・発効で日本が独立を回復したのは昭和27年4月、これでマッカーサーラインも廃止されます。しかるに、昭和25年・1950年に勃発した朝鮮戦争に伴い国連軍によって朝鮮防衛水域(「クラークライン」と呼ばれます)が設定されていたため、韓国周辺への出漁はまだ抑制的でした。昭和28年8月に朝鮮防衛水域が廃止されて以降、海保による「だ捕事件対策」は大いにその重要性を増して行きました。

 海保は、独立回復・マッカーサーライン廃止直後の昭和27年5月から半島周辺海域に巡視船2隻を常時行動させる哨戒活動を開始しています(*)。しかるに、当時はまだ朝鮮防衛水域が設定されていたため日本の漁船は近付けず、活動はまだ抑制的でした。しかし、翌年8月に朝鮮防衛水域が廃止されると日本の漁船が大挙して出漁し、拿捕事件が激増、海保の活動も強化を迫られます。同年11月には閣議で「韓国周辺及び東支那海方面公海におけるだ捕事件対策強化措置要綱」が決定され、これによって半島周辺海域と東シナ海にて6隻〜9隻の巡視船を活動させる事になりました(東シナ海への派遣は中国による漁船拿捕への対策。これについては割愛)。担当するのは七管と八管、当管区の巡視船に加えて他管区からも応援派遣を行うという、大規模なものです。(*)

 しかるに、実際に活動するに当たっては穏便に事を済まそうと様々苦労する羽目に……というのは先にも書いた通り。重武装の巡視船を護衛に付けて撃たれたら撃ち返せで行く、なんて事は出来ません。それどころか、だ捕事件対策に従事する巡視船は、敢えて武装を外してさえいました。昭和28年11月以降アメリカ極東海軍から貸与された武器類の巡視船搭載が始まりますが、昭和30年12月、半島周辺海域でだ捕事件対策に従事する船から搭載砲・機銃の砲身/銃身を取り外す事が決まりました。「武器をとう載した巡視船がだ捕防止に当たることは、むしろ悪影響があると考え」られたからです(*)。険悪な空気漂う海域にあって、海保はほとんど丸腰に近い状態で身を挺して拿捕防止に奔走しました。

 例えば、韓国警備艦の動静を監視し、その進路上に居る日本漁船に避難を促すとか。警備艦に追跡されている漁船があれば間に割り込み、煙幕を張って目くらましをかけ、漁船の逃走を助けるとか。漁船の足が遅くて逃げられそうになければ、巡視船で横抱きにし、あるいは曳航し、なんとか逃げられるように手を打つとか。どうしてもだめだとなれば、せめて乗組員だけでも巡視船の側に避難させるとか。万策効を奏さず被拿捕船が出てしまったならば、韓国領海ぎりぎりまで追いかけて行って解放要求を出し続けるとか。この時撃たれたとしても、決して撃ち返さない。(*)

 李ラインが撤廃されたのは、昭和40年・1960年のことです。ラインが存在していた14年の間に韓国側に拿捕された日本漁船の数は232隻、乗組員は2,784名にも上ります。また漁船だけでなく巡視船を銃撃・拿捕した事もあり、連行・臨検と銃撃あわせて18件発生しました。(*)

・東シナ海に不審船現わる

 不審船、といっても、平成11年能都半島・佐渡沖でのあれや平成13年奄美沖でのあれとは違います。国旗を掲げていない謎の船、という程度の意味で。

 平成3年頃から、東シナ海を航行中の船舶が国籍不明の小型艇から突如威嚇・臨検を受ける事件が起き始めました。場所は公海上、被害に遭ったのは日本船に限らず、外国籍の船も含まれています。事態を重く見た海保は現場海域に巡視船を派遣し、特に操業する日本漁船の保護を目的として哨戒活動を行いました。「ES哨戒」と呼ばれた活動です。(*)

 海保が最初に事件を認知したのは平成3年3月18日、日本漁船が不審な小型船から威嚇射撃され、臨検を受けた上に船内の物品が持ち去られる事件が発生してからです。さらに4月に入り、漁船の乗組員を縛り上げて金品を強奪する事件すらも発生したため、海保は哨戒活動を開始しました。担当は十一管で、他管区からの応援派遣も受けた上で、4月6日から現場海域に大型巡視船1隻を常時配備、さらに4月23日からは配備する巡視船を2隻に増やし、体制を整えました。(*)

 先の「だ捕事件対策」活動に比べると、ES哨戒はいかにも小ぢんまりとしていて地味さ漂う活動ではあります。が、公海上にある日本船を守る活動、というところは同じ。相手はどこの誰とも分からぬ不審船で、しかもやっているのは海賊まがいの行為。これは、海上において人命及び財産を保護する海保の出番です。時には、日本漁船が不審船に追跡されている現場に巡視船が急行して、両船の間に割り込んで漁船を保護したり、また巡視船が発見した不審船を中国の領海近辺まで監視・追跡した事もあったそうです。モノの本には、具体例として次のような事件を挙げてありました(*)。

  •  平成3年3月18日午前10時30分ころ、沖縄県魚釣島から337度約135海里の公海上を漁場向け航行中のあま鯛延縄漁船八幡丸(55.9総トン、8名乗組み)に後方から接近してきた国籍不明船A号(鋼船、12〜13名乗組み、約30総トン)及びB号(木船、35〜40名乗組み、約50総トン)が接近し、A号が強行接舷した。接舷後、A号から銃を持った兵士風の者3名とその他の者4名計7名が移乗してきて兵士風の者1名が身分照明書らしきものを提示のうえ、八幡丸の船内を捜索し、約15分後に立ち去ったが、包丁5本、はさみ2丁が持ち去られていた。
     なお、同船は、同年4月5日にも上記A号から臨検を受け懐中電灯1個、ヘルメット1個が持ち去られた。

  •  平成3年4月6日午前8時10分ころ、沖縄県魚釣島から304度約124海里の公海上で操業中のあま鯛延縄漁船第2繁好丸(59.6総トン、7名乗組み)に、国籍不明船C号(底びき漁船型、船名記号番号表示なし、船体黒色、約15名乗組み、約60総トン、長さ約20メートル)が強行接舷し、12〜13名が鉄パイプ及び刃物を持って移乗した。乗組員全員が縛られ27MHZ送受信機等を破壊され、無線機、マイク、時計、食料、衣類、現金約14万円等多数の物を略奪されたが、人命には異状がなかった。
     なお同船は、翌日にも他の不審船に接舷されそうになったが、巡視船もとぶが急行し、間に割って入り無事であった。

  •  平成3年5月14日、午後9時45分ころ、沖縄県宮古島から322度約195海里の公海上で僚船3隻とともに漁場探索中の第78伊豫丸(226総トン、9名乗組)が、僚船と約5海里離れた際、南東から国籍不明船D号(鋼船、船型SHANGHAI II CLASS類似、船首部両舷に白地で「1310」、船首部先端に「赤色星」のマーク有り、船体灰色、中央船橋型、搭載舟艇なし、レーダ、無線アンテナなし、約150総トン、長さ約40メートル)が無灯火で接近し、上空に向け小銃で威嚇射撃を行った後ライトを照射した。同船が停止したところ、D号は右舷側に接舷し、上空に向け威嚇射撃した後、軍服の者4名(小銃所持無帽)、私服の者15名(長さ1メートル径3センチメートルの鉄パイプ所持裸足)が乗り込み、鉄パイプで燃料ポンプ用パイプを損壊して主機を停止させ、乗員に発電機も停止させた。侵入者は、筆談等会話を試みるも双方意思が通じないまま魚倉内等を検査した後、同日午後10時00分頃離船し、同船の南西4海里付近で停船した。甲板員1名が船橋から連れ出される際、鉄パイプでこずかれ軽傷を負ったほかに負傷者はなく、略奪の被害もなかった。
     巡視船くにがみ及びわかさが同日午後11時48分頃現場に到着、D号に対してマイク、無線、発光信号等で呼びかけたが応答はなかった。翌日午前9時47分頃D号は船橋で五星紅旗を振り、同日午後2時10分ころ西方に向け航走を開始し、16日午前9時42分ころ中国淅江省温州沖にて中国領海内に入った。

 十一管区によるES哨戒が始まったのは前述の通り平成3年4月。水産庁とも協力し警備を強化した結果、同年7月18日以降、日本漁船に対する臨検・襲撃事件はみられなくなりました(*)。情勢が落ち着いたという事で、同年11月、ES哨戒は一旦終了しました。7ヶ月に及ぶ哨戒期間中には日本船・外国船含めて13件の臨検・襲撃事件が発生しています(*)。

 さて、以上の通り、東シナ海に大型巡視船を常時配備する哨戒活動は平成3年11月で一旦終了しているのですが、しかるに哨戒を終えた後も、現場海域では外国船や商船に対する臨検・襲撃事件が断続的に発生していました。また一度はおさまっていた日本漁船に対する襲撃事件も再び始まり、結果海保も巡視船の派遣・哨戒を再開している模様です。この時の体制は平成3年のES哨戒よりも大掛かりで、例えば平成5年3月下旬の時点で、現地十一管区に他管区からの応援も加え、現場海域に常時配備する大型巡視船は4隻、内1隻はヘリコプター搭載型巡視船。また那覇と石垣の航空基地から随時航空機による哨戒飛行も行なっています(*)。

 モノの本などを見ると、この時期に起きた事件として次のような事例が紹介してありました。

  •  平成5年1月14日午前3時30分頃、、東シナ海の公海上において、長崎県の漁船団附属運搬船第78源福丸が、約80トンの無灯火の不審船(当初船名、番号、国籍等不詳、船型漁船型)に、距離0.2海里まで接近され、突然探照灯を照射されるとともに2発の発砲を受けた。同船がこれを回避するために全速力で航走したところ、不審船はしばらく追跡した後離れていった。
     同船から通報を受けた海上保安庁では、配備中の巡視船2隻(「もとぶ」「はてるま」)を現場に急行させるとともに、航空機を出動させた。巡視船「もとぶ」では、現場到着まで時間がかかる事から、臨時に第78源福丸にレーダーによる不審船の追跡を要請、並びに11管区本部長宛に武器の使用承認を申請し、武器を擬することと海面威嚇射撃の許可を得た。
     午前6時57分頃、巡視船「もとぶ」は当該不審船を捕捉し、第78源福丸より、同船に発砲した船である事の確認を得た。不審船は船名、番号の表示がないほか、国旗を掲揚しておらず、巡視船からの質問に対しても何等の応答もなかったことから、停船命令の執行に入った。上部船橋に小銃射撃班を待機させ、国際信号旗・汽笛等を用いて停船を命じたところ、およそ30分後の午前7時30分頃、不審船は逃走を断念し停船すると共に船橋両舷に「中国海関」の看板を掲げた。
     午前7時58分頃、巡視船から不審船に向け、小銃等で武装した海上保安官8名から成る派遣班を出し、該船を拿捕した。該船を武装解除した後、応援の「はてるま」と共に調査を行った結果、該船の船名は「=獅漁3632」(※=はもんがまえに虫という字)で、中国浙江省杭州海関の職員と称する者が乗船していた。このため中国政府に対し、外交ルートを通じて照会したところ、この不審船は浙江省杭州海関が用船した公船であり、密輸取締りに従事していたことが判明したという。この結果、同日午後6時42分、該船は釈放された。(*)

  •  平成5年2月2日午後4時40分頃、台湾の基隆に向け航行中であった鹿児島県の貨物船「ゆうしょう」が、船尾方向より船体が青みがかった灰色の国籍不明船に約5mまで接近され、約10発の威嚇射撃を受けた。同船は直ちに巡視船「もとぶ」に事件発生を通報し、そこで指示された通りに国旗を掲げ日本船である事を示すと、不審船はしばらく並走した後同船から離れていった。通報を受けた巡視船は、事件発生の報を11管区本部に報告すると共に、航空機による監視を要請し、これを受けて11管区那覇航空基地より航空機が出動し、現場海域において不審船の監視に当たった。不審船はその後午後10時過ぎにも外国貨物船に対して威嚇射撃を行い、その際上空にて監視中の海上保安庁航空機LA-791(YS-11)が無線及び機外スピーカーで不審船に対する呼びかけを行ったが、応答はなかった。
     事件発生翌日の2月3日午前0時24分頃、巡視船「もとぶ」はLA-791が追尾監視中であった不審船を確認した。「もとぶ」は煙突をライトで照らし、コンパスのマークを明らかにして海上保安庁の船舶である事を示したが、不審船は「もとぶ」を追尾する動きを見せたため、「もとぶ」は逃走を装いつつ応援の巡視船との会合を図った。同日午前2時頃「もとぶ」は巡視船「せっつ」と会合、さらに午前6時頃、尖閣諸島哨戒水域から急行してきた巡視船「くだか」と会合し、同日午前6時をもってE船隊を編成した。
     日出後の午前7時33分より、巡視船「もとぶ」及び「くだか」が不審船に対し無線あるいは拡声器により質問を行ったが、何等の応答もなかったため、午前7時52分頃より国際信号旗・汽笛等を用いて停船命令を実施した。それでも停船の様子を見せない不審船に対し、E船隊各船は35mm・40mm機関砲及び64式自動小銃を擬しつつ停船命令を続行したところ、午前8時6分過ぎに該船は停船し、船橋右舷に「公辺319」の看板を掲げた。
     午前8時18分頃、小銃等で武装した船隊各船の派遣班(海上保安官合計23名)は該船を拿捕し、武装解除、船内捜索、関係者の取り調べ及び実況見分を実施した。調査の結果、該船には中国浙江省舟山辺防支隊の職員を称する者が乗船していたため、中国政府に対し外交ルートを通じて照会したところ、この不審船は浙江省舟山辺防支隊の公船であることが判明したという。この結果、同日午後8時43分、該船は釈放された。(*)

  •  平成5年4月6日午後、東シナ海の公海上において、航行中の外国貨物船に不審船(船名、番号、国籍等不詳)が接近するのを配備中の巡視船が発見した。このため事件発生の防止等を図るため現場に急行し、船名、国籍等をマイクにより質問したところ、不審船は中国国旗を掲げるとともに、外国貨物船への接近を中止し、現場から離れ去った。(*)

  •  平成5年5月11日午後10時54分ころ、沖縄県宮古島の北方約200海里の公海上で魚群探査のため航走中の長崎県の漁船第88大漁丸が、約100トンの不審船(船名、番号、国籍、船型等不詳)に、探照灯を照射されて接近された。同船がこれを避けようとジグザグ航走で航走したところ、さらに接近され、午後11時ごろから2時間にわたって小銃等により断続的な発砲を受けた。
     不審船は同漁船に乗り込もうとして盛んに接舷を試みていたが、翌12日午前1時ごろ、諦めて離れ去った。
     海上保安庁は、11日午後10時56分頃現場付近の僚船第1大漁丸から通報を受け、配備中のヘリコプター搭載型巡視船を含む2隻を急行させるとともに、那覇航空基地から航空機を出動させた。12日午前1時30分頃、航空機が第88大漁丸と会合し、午前3時頃までの間に不審船の捜索を行なったが、発見には至らなかった。巡視船2隻は12日午前4時10分、及び午前7時ちょうどにそれぞれ現場に到着し、巡視船搭載のヘリコプターによって不審船の捜索を行なったが、既に不審船の姿はなかった。
     調査の結果、同漁船の船体には30発の弾痕が確認されたが人命には異状がなかった。(*)

 事態が鎮静化したのはようやく平成6年に入ってからであり、それまでの間、日本船に対して45件、外国船に対して34件、計79件の臨検・襲撃事件が発生しました。(*)

 ところで、この不審船の正体は一体何か。多くの場合、正体は不明で、そもそも国籍さえも不明であったりするんですが、平成5年1月・2月の例については、当該船舶が中国の公船であったと判明しています。もちろん、すべての不審船事件が中国の公船によって引き起こされたものではないのでしょうが、たとえ一部であっても、公船がかような活動に従事していたのは問題です。公海上の船舶を臨検できるのは、当該船舶が自国の国籍を有しているか、領海内あるいは接続水域から犯罪の容疑でもって追跡を継続しているか(※当時まだEEZはない)、さもなくば公海条約(※当時まだ国連海洋法条約は未発効)において設定されたごく一部の例外に当てはまる場合のみ。それ以外は国際法違反です。海保は「外交ルートを通じて中国政府に強く抗議し、事件の再発防止を申し入れた」との事でした(*)。

・当世海賊出没事情

 先のES哨戒のところも海賊行為の話がちらりと出ていましたが、しかしどちらかというと、公海上での不当な威嚇や臨検行為から日本船を守る活動の方に主眼があります。が、相手がものほんの海賊で、威嚇や臨検にとどまらず、船や積荷を強奪する海賊行為にまで及ぶとしたら。その時海保はどうする!?というのがこれからの話。

 これについては別項(「影の(?)国際派」)を立てておりますので、そちらを御覧下さい。

 

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