理事官等

 

 先に本編のところで、海難審判の事を「海難専門の裁判みたいなもの」と表しました。海難審判庁が裁判所で、海難審判が裁判、審判官が裁判官だとするならば、そこで検察官の役目に当たるのが理事官になります。細かく言うと、理事官と副理事官に分かれ、任命資格や権限が微妙に異なっています。ここでは、まとめて理事官等と記しておきます。

 海難審判庁には海難審判理事所という特別の機関が附属しており、理事官等はここに所属しています。理事所は東京にあり、また地方に7つの事務所があります。理事所は高等海難審判庁に、地方の事務所はそれぞれの地方海難審判庁に応じて置いてある訳です。

 理事官等の仕事は大きく分けて2つ。まず1つ目は、海難が起きた場合これを調査し、審判の必要があると感じたら審判開始の申し立てを行う事です。2つ目は、海難審判が決し裁決が下った場合、その裁決を執行する事です。

 海難の調査をするに当たり、理事官等は以下の方法でもって調査を行います。

  • 海難関係人に出頭をさせ、又は質問をすること
  • 船舶その他の場所を検査すること
  • 海難関係人に報告をさせ、又は帳簿書類その他の物件の提出を命ずること
  • 公務所に対して報告又は資料の提出を求めること
  • 鑑定人、通訳人若しくは翻訳人に出頭をさせ、又は鑑定、通訳若しくは翻訳をさせること

 本編を見てもらえればお分かりかと思いますが、これらの調査手法は、本編で触れたところの、海難審判に当たり審判官が行う証拠収集の方法とほとんど変わるところがありません。しかるに、理事官等が行うこれらの調査は、関節強制でもない、まったくの任意調査です。

 なぜこういう事になっているかというと、強制力を行使する調査は、真実発見のために、審理担当の機関がその任務のためにのみ行うのがよい、という考え方にもとづいているためです。理事官等と海難の当事者はまったく同等の権限でもってそれぞれの立場から審判に向けた準備を行い、審判の場では対等に対決、そこで真実究明のためにさらなる調査が必要となったところで審判官が強制力を行使して証拠を集める。こういう事になっているのです。弾劾主義、というそうです。

 強制力もなにもなしできちんとした調査できるのか、と心配になりますが、今のところ大きな問題にはなっていないようです。海難事故は社会の耳目を集めるものですから、「協力義務はありません、お引き取りを」なんてって理事官の調査を突っぱねてはなおさら立場をまずくするだけ…なのでしょうか。

 強制力なし、相手の協力に拠る任意調査ですが、海難審判の開始はひとえに理事官の申し立てによるため、その調査は決しておろそかにはできません。任意の調査で海難審判の要否を判断するために、理事官等には高度の専門性が求められています。まず、いわゆる理事官の資格は、以下の通り。

  • 一級海技士免許(航海、あるいは機関)を持ち、航海区域「近海」ないし「遠洋」の船舶にて二年以上船長あるいは機関長の経験を積んだ者
  • 以下の職を一ないし複数、通算五年以上経験した者
    • 一定以上の職階にある海難審判庁副理事官
    • 海事補佐人 (※詳細は略します)
    • 一定以上の階級にある海上保安官
    • 一定以上の職階にある海難審判庁事務官
    • 一定以上の職階にある船舶検査官、あるいは海技試験官
    • 船舶運航・船舶用機関の運転に関する学科の教授または助教授
    • 簡易裁判所判事の資格を持つ者

 また副理事官の資格は、以下の通りです。

  • 一級海技士(航海、あるいは機関)の免許を受けた者
  • 以下の職を一ないし複数、通算六年以上経験した者
    • 二級海技士(航海、あるいは機関)免許を受けた海上保安官、海難審判庁事務官、あるいは船舶検査官
    • 同じく資格を持ち、学校教育法で定める教育機関において船舶運航・船舶用機関の運転に関する学科の教員
    • 航海区画「近海」ないし「遠洋」の船舶の船長、航海士、機関長または機関士
  • 以下の職を一ないし複数、通算八年以上経験した者
    • 三級海技士(航海、あるいは機関)免許を受け一定の階級にある海上保安官
    • 同じく資格を持ち、一定以上の職階にある海難審判庁事務官
    • 同じく資格を持ち、一定以上の職階にある船舶検査官、あるいは海技試験官

 一見して分かる通り、船舶の運航や検査に関する学識や経験が重視されています。Sea Manとしての経験、Legal Manとしての知識を兼ね備えた人物が、選ばれるという事です。……ただ、民間船舶の船長や機関長を理事官として採用する事は、実際には少ないとの事です。理由は、法律判断に携わる者としての訓練を充分に受けていないことから、実務家としての判断を優先させてしまう部分があるため、とか。言葉を変えれば、Legal Mindの問題。

 審判が終了し裁決が下り、そこで海員を懲戒するとなると、理事官等のもう1つの仕事がやって来ます。すなわち、裁決の執行です。

 懲戒として、海技士や水先案内の免状を取消、あるいは一定期間業務停止とする裁決が出た場合、理事官等は、その海員から免状を取り上げます。取消であれば、免状は国土交通大臣に送付、一定期間業務停止であれば、これを保管し、懲戒期間が過ぎた後に還付します。

 ここで、相手がゴネたり逃げたりして免状を差し出さなかった場合。この時は、強制的に取り上げる訳ではなく、理事官等が免状無効を宣言しその旨を官報に載せるのです。これで、当の免状は紙切れ同然という訳。……でも、官報なんてみんながみんな見るものではないから、これだと無効になったはずの免状使って悪さするやつも出て来そうな気もしますけど……

 あと、裁決では、海難防止に向けての「勧告」が出される事もあります。この勧告も立派な裁決の一部分なので、理事官等が執行します。具体的には、その全文あるいは要旨を、官報と、高等海難審判庁長官が指定した新聞に掲載します。

 裁判所の判決や決定だと、司法機関の判断たる判例という事で、具体的な力を持ちます。けれど海難審判の裁決は、あくまで一行政機関の判断でしかないため、そのままでは勧告内容の実現までは至り難い。そこで勧告内容を広く一般に知らしめて、その実現を図る、というものです。

 審判庁に属する理事官の人数は、やや古い数字ですが、平成8年現在で41名、副理事官は9名います。副理事官が理事官よりも人数少ないのは、副理事官を理事官の補佐役ではなく、理事官への出世コースと位置付けているからです。とりわけ、海難審判庁事務官中から理事官を育てる時、一旦副理事官職に就けて、調査や法律判断のあれこれについて経験を積ませてから理事官にするため、こういう事になっているそうです。副理事官は理事官に較べ権限が制限されており、審判開始申し立てをするに際し、審判官1名で行われる簡易審判の開始申し立てしかできません。まだ半人前扱いなんですね。

 

戻る inserted by FC2 system