海上警備友の会

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 海上警備友の会へようこそ!

 ここは海上警備を愛する人が作った、海上警備を愛する人のための、海上警備ページです。;-) もっとも、海上警備「友の会」などと称しつつもそんなもんある訳ないのでありまして、もちろん海保オフィシャルファンクラブ「海上保安友の会」とは何の関係もありません。まあ要するに洒落です。;-)

 さてと。くだらない戯れ言は置いときまして。本ページは、先にも述べましたように海上警備ページです。より具体的には、海上保安庁ページです。元々は、同じ書斎にある「治安機関エトセトラ」中の一項目に過ぎなかったページなのですが、何かと好評だったので図に乗って加筆修正の上独立させてみました。

 海上警備友の会という訳で、海保の治安維持活動について取り扱ったページであります。海保の治安維持と言ってもぴんからきりまでいろいろありまして、中でも海上警備を主に取り上げたページなのであります。個人で作ったページなので疎漏も多々ありましょうが、楽しんでもらえれば幸いであります。

1. 海保基礎編

 まずは基本から参りましょう。そもそも海保とはどんな組織ぞや? 名前聞いた事あるよ、という方は多いと思いますが。

 答え。それは海保オフィシャルホームページを見て勉強してね、では余りに不親切なので、こちらにて海保について少しく紹介すると致しましょう。

 海上保安庁が設置されたのは、戦後すぐの昭和23年5月のことです。それまで日本において、海上における治安の維持は海軍に任されていました。それが敗戦により海軍がなくなってしまい、日本の海は無防備そのものとなってしまった訳です。他にも水路業務や灯台業務などなど、戦前海軍が担当していたがために戦後海軍の消滅により支障を来すようになった業務は数多くありました。そこで、こうした海上保安その他の海上業務を管轄する官庁として設置されたのが、海上保安庁です。

 これより以前、昭和21年の春に、運輸省海運総局内部に不法入国船舶監視本部が設置されました。文字通り、不法入国を図る船舶を監視するための機関です。戦前は海軍がやっていたものを、海軍が消滅した事を受けて運輸省が新たに行ったという事ですね。しかしこの不法入国船舶監視本部、肝心の取締能力は非常に貧弱なものでした。取締船艇は古く、性能劣悪、数も少なかったのです。加えて乗組員の身分は運輸省の技官であり、司法警察権もありません。このままでは取締りができませんので、出動の際には武装警察官の同乗を求めていたという事です。警備救難業務を本格的に実施するためには、きちんとした海上保安機構を確立する必要がありました。

 当時、日本の海上保安機構確立のために来日していたアメリカ合衆国沿岸警備隊のミールズ大佐は、新たに海上保安のための組織を設立する事としました。その母体として選択されたのが、この不法入国監視本部です。これに加えて灯台・水路業務も併せて受け持つようにし、さらに安全な航海を実現するための航路啓開(つまりは機雷掃海)をも加えることとします。その結果昭和23年5月に、海上保安庁が誕生したのです。(*)

 この海上保安庁、設置に当たってはコースガードの大佐殿から指導を受けたところからも分かるように、海軍とは違います。しかし、設置当初は中国や英国から「日本海軍の復活だ!」と猛烈な抗議を受けたそうです。かような抗議の存在が物語るように、戦後海保の歩んだ道は決して平坦なものではなく、色々な紆余曲折がありました。

 本ページの趣旨とは多分に離れますので詳しくは述べませんが、例えば1950年の朝鮮戦争時、海保は機雷除去のために掃海艇を(連合軍総司令官の命令に近い要請を受けて)朝鮮半島に派遣しました(*)。又、当時海保内に設けられた海上警備隊と航路啓開部は、後に海上自衛隊へと発展して行くのです。さらに、警察予備隊が保安庁に昇格し海上警備隊が警備隊として海保から独立した際、この際だから海保を解体して保安庁に吸収してしまおうという案も一時ありました。(海上公安局法。実現はしませんでしたが)(*)

 このように結構ドラマチックな官庁なのに、しばらくの間、何かと影が薄い時代が続きました。メディアへの露出は少ないわ知名度はないわ、下手すると海上自衛隊と間違えられたりして。私としては少しく納得行かなかったとこなのですが、これは海保のPR不足に負うところも多いので仕方ありません。最近になって海上保安官を主人公に据えた映画やドラマもちょくちょく出来るようになり、ようやく前進しつつあるのは良い事かと。

 と、少々話がずれてしまいました。元に戻しましょう。海保とは、言うなれば海の警察兼消防、さらにこれに交通関係と各種観測業が加わります。陸では警察と消防が別々にやってる治安の維持、犯罪捜査、防災、消防、救急業務を、海上においては海保が一手に引き受けてやっているとお考え下さい。さらに、道路標識ならぬ航路標識灯台、地図ならぬ海図も、海保の担当。地震や火山の観測も、海の上なら海保の担当です。相当大雑把なまとめ方ですが、外れてもいないはず。

 その海上保安庁本庁の組織構成を示すと、次の通りです。

  • 長官
  • 次長
  • 警備救難監
  • 首席監察官
    監察官2
    総務部
    参事官3、政務課、秘書課、人事課、教育訓練課、主計課、情報通信企画課、情報通信業務課、国際・危機管理官
    装備技術部
    管理課、需品課、船舶課、航空機課
    警備救難部
    管理課、刑事課、国際刑事課、警備課、救難課、環境防災課
    海洋情報部
    企画課、技術・国際課、海洋調査課、環境調査課、海洋情報課、航海情報課
    交通部
    企画課、安全課、計画運用課、整備課

 この海保に属し業務を実際に行うのが、海上保安官です。警察に警察官、消防に消防官がいるように、海保には海上保安官がいます。厳密には海上保安官と海上保安官補とに分かれていて権限が違うんですんですけれど、しかし現在では海上保安官補というのは事実上存在しません。ここでは一応併せて「海上保安官等」と総称する事にします。詳しい階級については、別表参照の事。

海上保安官等の階級
長官
次長
警備救難監
一等海上保安監
二等海上保安監
三等海上保安監
一等海上保安正
二等海上保安正
三等海上保安正
一等海上保安士
二等海上保安士
三等海上保安士
一等海上保安士補
二等海上保安士補
三等海上保安士補

 ここでちょっぴり余談でも。別表中、次長と警備救難監が同列併記なのには意味がありまして、一言で言えば、次長は私服のポスト、警備救難監は制服のポスト、です。海上保安庁は国土交通省の外局ですから、国交省から官僚が大勢派遣されて来ます。で、庁内の様々な部署に配置されるのですけれども、次長もその1つに含まれます。一方の警備救難監には、海保大出身の海上保安官が就きます。ちなみに、海上保安庁長官は官僚ポストでありますから、警備救難監が実質制服さんの最高位ということになります。

 またまた、話がずれてしまいました。本筋に戻りまして、海保の紹介がてら、その陣容でも述べましょうか。職員約12,000名、内海上保安官等はおよそ11,500名になります。職員総数23万人を号する陸の警察と比べるに、随分小規模という気がします。これで日本周辺海域をカバーしようというんですから、なんだか大変そうな。

 さて海保と聞けば巡視船艇がすぐ思い浮かびますが、海保の船は任務別に警備救難業務用船・海洋情報業務用船・航路標識業務用船に分類されており、いわゆる巡視船艇は警備救難業務用船に属します。平成14年度末現在で、巡視船艇に特殊警備救難艇を合わせた警備救難業務用船は総勢432隻います。

 これらの職員や船が実際に配備される先が、全国を11に分けた管区、さらにその下にあって実際に一線の業務を担う66の海上保安(監)部、54の海上保安署なのであります。

 又海保は船だけでなく、航空機も保有しています。同じく平成14年度末現在で固定翼29機、回転翼46機の計75機であり、まとまった官庁航空勢力としては自衛隊に次ぎ第2位に当たります。大したもんですね。船舶は部・署に配備されるんですが、航空機の配備先は少し違って全国に14ある航空基地です。残念ながらこちらは全部が民間や他機関との同居なのですが、この辺は仕方ないでしょう。年間予算4兆円もらって自前の基地も持ってる自衛隊とは比べられません。ちなみに海保の予算は、平成15年度当初予算で約1,689億円。防衛庁の20分の1以下……

 この他に特殊警備基地、特殊救難基地、海上防災基地、国際組織犯罪対策基地といったスペシャルな施設もありますが、こちらは後のお楽しみという事で。(笑)

2. 海保応用編

 応用編。ここからはお楽しみです。

 海保のお仕事の話です。海の警察兼消防兼その他幾つか兼ねてるだけあって、仕事は山積みです。海上保安庁法によると、海保の仕事内容とは

「海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋の汚染の防止、海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上における船舶交通に関する規制、水路、航路標識に関する事務その他海上の安全の確保に関する事務並びにこれらに附帯する事項に関する事務をつかさどることを任務とする。」

海上保安庁法 第2条

 !! なんと多いんでしょう! しかしここではページの趣旨上ばっさりといって、犯罪がらみのみ光を当てます。

 海上における犯罪、という訳でその内容を見てみると、

  1. 海事関係法令違反
  2. 漁業関係法令違反
  3. 海洋環境関係法令違反
  4. 刑法犯
  5. その他

と分類されます。「その他」には具体的には出入国管理法違反や関税法違反、いわゆる密航や密輸が含まれます。刑法、ではないので。でもその他でひとくくりなこいつらが今一番ホットでしかもイメージ強烈だったりするから世の中分からないものです。

 海保本庁でこうした犯罪を取り締まっているのは警救部、その内密輸や密入国・海賊対策については国際刑事課、海上テロや海上デモ対策といった警備犯罪関係は警備課、その他はまとめて刑事課が担任します。環境防災課は危険物事故や海洋汚染の防止に務め、犯罪捜査には従事しません。救難課は海難救助専門です。

本庁警備救難部 当地七管の警備救難部
  • 管理課
    • 航空業務管理室
    • 運用司令センター
    • 留置管理官
  • 刑事課
  • 国際刑事課
    • 不法入国対策官
    • 海賊対策官
  • 警備課
    • 特殊警備対策室
    • 情報調査管理官
    • 不審船舶対策官
  • 救難課
    • 海浜事故対策官
  • 環境防災課
    • 国際海洋汚染対策官
    • 防災対策官
  • 企画調整官
  • 刑事課
  • 国際刑事課
  • 警備課
  • 公安課
  • 海上環境課
  • 救難課
    • 運用司令センター
    • 海上災害対策室
  • 情報通信課
  • マリンレジャー安全推進室

 これが、地方の管区本部になると少し変わって来まして、例えば我が地元七管だと、刑事課・警備課・国際刑事課は同じですが、公害関係の犯罪捜査を海上環境課が担当している点が違います(本庁では、犯罪捜査は刑事課所管)。また本庁では警備課の下に情報調査室を置いて警備情報を取り扱わせているのに対し、七管では公安課として独立させているのも特徴です。ちなみに七管公安課は平成17年度に新設、また刑事課も平成15年度に出来たばかりの新しい課です。刑事課ができる前は、警備課が犯罪捜査関係をまとめて引き受ける形になっていました(※国際刑事課関係を除く)。なお、本庁でいう管理課の仕事は、七管では警備課が引き受けています。で、現場になると、各巡視船艇を活動単位として海上保安官が取締りに当たっているんですね。はい。

 ところで海保には、いわゆる「艦隊」みたいなやつは常設されてません。重大な事件事故に際して、臨時に「船隊」が編成されるだけです。船隊の名称は、指揮を取る海上保安部/署の名前から、アルファベット1文字取って付ける事が多いようですね。例えば昭和61年(1986年)11月、伊豆大島三原山が噴火して全島民避難の措置が取られる事となった時、海保は巡視船艇23隻を集めて船隊を編成しました。第三管区海上保安本部が直接指揮を取り、三管区の名からS船隊と命名されました。またあるいは、韓国船による密漁が多発する対馬の周辺海域。ここでも臨時に船隊を編成して取締りを行なう事がありますが、よく編成されるのは厳原海上保安部が指揮を取るI船隊です。

 こうした船隊は、先にも述べましたように臨時編成ですから、任務が終われば速やかに解散、となります。同じ「隊」でも、海軍の艦隊とは中身が違う。

 このように常設の艦隊はないですが、その代わり(?)特殊部隊は常設されております。それを、これから少し御紹介致しましょう。

特別警備隊

 海上デモ鎮圧組織(!?)。まあ、最近ではデモ対策よりむしろ別の事で忙しいみたいですが…。まずは、いつぞや見たニュースの映像を思い出すところから始めましょう。例えばアメリカ海軍艦艇日本寄港のニュースです。入港・停泊する艦艇の周りを、小型の巡視艇やゴムボートが固めてますね。で、そこに機動隊様の服装をした人々がいる事がままありますけど。実は、彼らは警察官ではありません。警察官ではなくて、海保の人々です。

 先に、海保は全国を11の管区に分けて、その下で巡視船艇を活動単位として業務に当たっていると書きました。それら巡視船の中には、「警備実施等強化」指定なるものを受けた船がいます。目的は「特に海上警備任務に就く」ためであり、この指定を受けた巡視船は、乗組員で特別警備隊、通称特警隊という部隊を編成します。海上デモ等に出動し、集団警備力を活かして不法暴力行為の予防鎮圧に当たるというのがその設立の主旨です。特警隊が乗る船というところから、警備実施等強化巡視船の事を特警船と呼びもします。

 現在、特警船が全国あわせて何隻いるのか、はっきりした事は分かりません。資料によって数字がまちまちなのです。試みに、公刊資料などに挙げられた数字を列挙してみますと、「5隻」(『海上保安庁五十年史』/1998年)、「8隻」(『かいほジャーナル』第9号/2002年1月)、「10隻」(『海上保安レポート 2002』および『海上保安レポート 2003』)、「12隻」(七管本部Web Page/2008年)(*)などなど。時期を追って増えてきているらしい事は分かるのですが、かっちりした数字は出て来ません。

 以下は、海保の発表事項を中心に特警船の配置状況をまとめたものです。依拠した資料が平成12年(2000)のものから平成20年(2008)のものまで、いささかバラけてしまっておりますけれども…とりあえず、この辺りの時期にはこのくらいの特警船がいたらしい、という参考くらいに。

第一管区
平成18年2月の時点で、室蘭海上保安部の巡視船「えとも」が警備実施等強化巡視船。(*)
第二管区
平成18年2月の時点で、塩釜海上保安部の巡視船「まつしま」が警備実施等強化巡視船。(*)
第三管区
平成18年1月の時点で、横浜海上保安部の巡視船「しきね」に特別警備隊が編成されていた。(*)
第四管区
平成15年1月の時点で、尾鷲海上保安部の巡視船「すずか」が警備実施等強化巡視船。(*)
第五管区
平成19年1月の時点で、和歌山海上保安部の巡視船「きい」に特警隊が編成されていた。(*)
第七管区
平成19年11月の時点で門司海上保安部の巡視船「くにさき」に特別警備隊が編成されていた(*)。また平成20年1月に佐世保海上保安部の巡視船「ちくご」の特別警備隊員が訓練を行ったという報道もある(*)。
第八管区
平成19年9月の時点で舞鶴海上保安部の巡視船「わかさ」が警備実施等強化巡視船。(*)
第九管区
平成19年1月の時点で伏木海上保安部の巡視船「のと」に特警隊が編成されていた。(*)
第十管区
平成18年12月の時点で、鹿児島海上保安部の巡視船「こしき」が警備実施等強化巡視船。(*)
第十一管区
平成12年7月の時点で、那覇海上保安部の巡視船「くにがみ」に特別警備隊が編成されていた模様。(*)

 以上11隻。上記の内「ちくご」は改4-350t「びほろ」型、残りはすべて1,000t「しれとこ」型の巡視船です。各船最大搭乗員数が33名〜40名でして、限りある海上保安庁の人材の中にあってもある程度警備要員の頭数を揃えられるよう、気を使ってあるのが分かりますね。ところで、平成20年10月の時点で特警船12隻という数字が出ていますが、残り1隻は何でしょうか。調べきれなかった六管に1隻あるのか?

 なお、お世話になっている方から教えて頂いたところによると、平成15年6月の時点で、特警船は全国に合わせて14隻が存在していたそうです。内訳は、第一・第三・第七管区に2隻、他の各管区に1隻ずつ。上の表との違いは、第一管区の特警船は「えとも」の他に「しれとこ」(小樽海上保安部)があること。第三管区の特警船は「しきね」の他に「しきしま」(横浜海上保安部)があること。不詳だった第六管区の特警船は「いさづ」(松山海上保安部)。また第五管区の特警船は和歌山保安部の「きい」ではなく「しまんと」(高知海上保安部)(*)ということで。

 特警船を指定する警備実施強化指定制度が始まったのは、今をさかのぼることおよそ20年、昭和56年8月になります。モノの本によると、その動機は「警備実施事案の大規模化・長期化の傾向に加え、極左暴力集団等の海上進出により従来にない悪質な妨害行為が予測される」ため、という事でした。要するに、海上デモの激化を警戒しての措置でありました。これにより最初に特警船に指定されたのは、第三管区の巡視船「いず」(初代)です。(*)

 その後随時拡充が計られますが、ペースはゆっくりしたもので、例えば平成9年の段階では全国あわせて5隻しかいませんでした。いささか少ないようにも感じられますが、特警船は他管区への積極的な応援派遣も織り込んで設けられたものらしく、数が少なくともそれをきちんと回転させてやれば事足りる、と見られていた模様です。加えて特警船に準ずる「管区準特警」という指定を受けた巡視船があり(*)、これは全国各管区にありました。いざとなれば、当地の準特警に応援の特警を加えてやればいい、という事です。

 特警船設置のそもそもの動機が海上デモ警備である事は既に書きましたが、海上デモというやつは、大体においていつどこで起きるか予測がつくものです。例えば、沿岸部の大規模開発や米軍艦船の入港などといった海上デモを誘発しそうな情報を把握し、沿岸漁民やその他関係者の様子から実際デモが起きそうだとなれば応援を要請、そしたらどこかの特警船がやって来て、警備体制の整備に務める。これで何とかなるのであれば、特警船を全国隅々まで配置しておかなくともよい。

 そんな訳で、昭和56年の設置以降しばらくの間、片手の指で足りる程度の数しかなかった特警船ですが、しかるに近年とみに拡張され、現在は両手の指でも足りなくなるほどの数の特警船があります。昔に比べ海上デモは減ってそうなのになぜ拡張?と疑問も湧きそうですが、後述するように、海上デモは減っても他に治安上の案件が出てきたためでした。なお、特警船の拡充に伴い、管区準特警の指定制度はなくなった…という話も聞くんですが、どうなんでしょうか。

 さて、この特警船の乗員で編成されるのが特別警備隊、という訳で、日頃隊員は巡視船乗組員として通常業務に就く事になります。特警隊としての編成をとるのは警備訓練・警備任務の時だけ。つまりパートタイマーな組織なのですね。なんか頼りなさそうですがしかし、巡視船に乗って通常業務に就く時間を一般の巡視船乗組員よりも減らしてそれだけ分訓練に力を注いでいるそうですから、パートタイマーとは言えなかなかあなどれません。

 聞いた話では、隊員はおよそ15名程からなる小隊2個に編成され、それぞれ「一機」「二機」と呼び慣わされるそうです。実際警備現場に出る時は、2隻の巡視艇に一機・二機が分乗して出る事が多く、またその場合の巡視艇の指揮は乗り込んだ小隊の隊長が取る事が多いとか。

 服装、装備などは、海上デモ警備用のものを基本としつつも、新たな治安上の案件に対応し、結構多様になって来ています。

 基本的には、おおよそ陸の警察機動隊と同様で、紺色の出動服に、バイザー及び頚椎保護垂れ付きメット、大盾、警杖といったものが挙げられます。これに加えて、銃器を使用した凶悪犯罪にも対応できるよう、抗弾仕様の盾及びヘルメットも導入が進んでいます。また、海保独特な装備としてライフジャケットが挙げられます。黒地に白で海保のロゴが入ったものが警備用のライフジャケなのですが、これは単なる救命胴衣ではなく、防弾防刃仕様にもなっている優れものだそうです。ついでに、海に落ちる時は各種装備を身に付けたままである可能性が高いため、浮力にも定評がある、などという辺りはいかにも海上で活動する組織らしい一面です。とはいえ陸の警察機動隊員に言わせると、「そうは言っても重い装備を身に付けたままで海に落ちたくはない」との事だそうで……。確かに、それは言えてる。

 一頃に比べて海上デモなるものが減った今時分ですが、だから特警隊はヒマしてる……なんて事は全然ありません。先にも触れたように、最近の特警隊はむしろ拡充されています。それだけ警備の仕事が増えているということ。

 例えば、近頃頻発している密航事件対策です。入港船舶の立入検査を徹底してやる時は、人手が要ります。港を管轄する保安部・保安署の警備係に加え、特警隊が出動する事も少なくありません。またいざ密航者発見となると、彼らが逃走・不法上陸しないように警備しておく必要があります。大抵密航者というのは一度にまとまった数発見されるものですから、その警備にも人手が要ります。これまた、特警隊が主力になる事が少なくない。

 またあるいは例えば、密航と並ぶ海上犯罪の雄(?)である密輸。国内外の犯罪組織が提携して行う凶悪な事案も少ないではなく、摘発に際しての抵抗も予想されます。海保による摘発には、密輸船を海上で捕捉するといういかにも海洋組織らしいものもありまして、抵抗を鎮圧するために特警隊が摘発に加わることもあります。

 昔海上デモ、今密航密輸。なんだか時代の変遷を感じますね。いずれにしても、海保さん御苦労様です。

特殊警備隊

 上記の特警隊がパートタイマーなら、こちらはれっきとした警備専従部隊です。しかも、名前がスペシャルなだけに居るところも任務もスペシャルな部隊です。それまで海保にとって、警備といえば具体的には海上デモ対策の事を言いました。しかし時代は移り、海上デモがめっきり少なくなった代わりに別な警備事案が問題となってきました。海保の用語で言うところの「特殊警備事案」であり、この特殊警備事案鎮圧のために設置された部隊が、特殊警備隊であります。

 モノの本なんかによると、通称SST(Special Security Team)、規模は1個小隊8名の5個小隊、一部の新聞で取り上げられた事もある部隊ですが、存在の可否はともかく、その規模や装備については特殊部隊の常として謎が多い。

 大阪府泉佐野(第五管区)にあるその名もずばり「特殊警備基地」が、彼らの根拠地であります。1996年、平成に直すと8年の5月、基地設置と同時に部隊が発足しました。また平成12年には本庁警備二課(当時)内に、部隊運用担当部署として特殊警備対策室が設置されました。

 端的に言えば、これは海保の持つ特殊部隊なのですね。モノの本などで当部隊が対処する特殊警備事案として例示されているのは「サリン散布やシージャック等」でありますし。乗っ取られた船舶への突入だとか爆発物処理だとか、テロや凶悪犯罪に対しそれなりの事はやるようです。警察が特殊部隊SAT保有の事実を公開した事にならってか、部隊の詳細についてはマル秘なものの、部隊の存在そのものは公認されています。平成8年版海上保安白書だとか広報誌『かいほジャーナル』2002年新春号(通巻第9号)だとかで、この部隊の事がでかでかと載っていました。

 これまで特殊警備隊が出動した事例は、少なくとも7件あると言われています。

平成8年(1996)8月 ペスカ・マー15号事件

 平成8年8月24日、鳥島近海の領海内で救難信号を発信して漂流しているホンジュラス籍の漁船ペスカ・マー15号が発見されました。同船では、発見される前の8月2日に船員反乱が発生しており、中国人船員が同僚の韓国人船員・インドネシア人船員を殺害、後に生存者の韓国人船員・インドネシア人船員らが隙をついて反乱船員らを漁倉に閉じ込め、救難信号を発信したものです。
 通報を受けた海保は巡視船「しきしま」「うらが」を派遣し、翌25日現場に到着した巡視船から海上保安官が同船に乗り移り、状況調査と事情聴取を行ないました。状況から見て、日本に捜査権はありません(※船籍は日本でなく、反乱・殺害は日本の領海外で発生しており、また被害者・加害者いずれにも日本人はいない)ので、関係各国と協議した末、捜査は韓国に引き継がれる事となりました。8月28日、現場海域に韓国海洋警察庁の救難艦「太平洋」が到着し、同船と乗組員が引き渡されました。
 この事件では特殊警備隊も派遣され、特殊警備隊員12名が、海保巡視船が到着した25日から28日までの3日間、同号船内で警戒監視に従事したとのことです。(*)

平成11年(1999)3月 能登半島沖不審船事件

 能登半島沖の日本海で漁船に偽装した不審船2隻が発見され、海保がこれを追跡、威嚇射撃を行った事件(詳細は別項にて)。この事件に際しては「特殊部隊」が出動したことが明らかになっており(*)、これは特殊警備隊のことだと考えられます。具体的にどういう活動を行なったかは不明ですが、追跡船隊中の巡視船に同乗し突入を計画していた、という報道がなされています(*)。

平成11年10月 アロンドラ・レインボー号事件

 平成11年10月22日にインドネシアのスマトラ島クアラタンジュン港から日本に向けて出港した貨物船アロンドラ・レインボー号が、出港後消息不明になりました。同船乗組員には日本人も含まれていた事から、海上保安庁も対策に乗り出し、関係各国に情報提供を行なうと共にヘリ1機搭載型巡視船「はやと」及び大型航空機を派遣して捜索を行ないました(*)。この時、「はやと」には特殊警備隊が同乗していたという話を見聞します。
 同事件の顛末ですが、乗組員は、11月9日にタイ沖合いをゴムボートで漂流中のところ救助され、全員無事でした。同船自体も船籍と船名を偽って航行していたところを発見され、11月16日、インド沿岸警備隊に捕捉されました(*)。

平成12年(2000)8月 アセアン・エクスプレス号事件

 平成12年8月4日、韓国の釜山からフィリピンのマニラに向け東シナ海を航行中であったシンガポール籍の貨物船アセアン・エクスプレス号内にて船員暴動が発生しました。同船から早急な救助を要請する連絡を受けた海保は現場海域に巡視船・航空機を派遣し、さらに旗国シンガポールの要請を受け、負傷者救助と事態鎮圧のため武装海上保安官を同船に移乗させました。翌5日未明までに、暴動を起こした乗組員は全員身柄を拘束され同船内に隔離、また負傷した同船の船長は宮古島へ搬送されました。(*)
 この事件に際しては「特殊部隊」が出動したことが明らかになっており(*)、これは特殊警備隊のことだと考えられます。具体的にどういう活動を行なったかは不明ですが、一説には、同号に乗り移った武装海上保安官がすなわち特殊警備隊であるとも言われています。

平成13年(2001)9月・10月 米空母キティ・ホーク横須賀出港に伴う海上警備

 米国内における同時多発テロ事件の発生直後、9月21日に米空母「キティ・ホーク」は横須賀を出港、同30日に同港へ帰港し、翌10月1日再び出港しました。この空母出港・帰港に際し海保はテロを警戒した海上警備を行いましたが、9月21日と10月1日の警備には「テロ対応特殊部隊」が参加したことが明らかになっています(*)。この部隊が特殊警備隊かどうかは確認されていませんが、9月30日の海上警備において、特殊部隊の隊員と思しき要員が巡視船「やしま」に降り立つところが報道陣に捉えられており、その装備などから見て特殊警備隊であると考えられます(*)。

平成13年12月 九州南西海域工作船事件

 奄美大島沖の東シナ海で漁船に偽装した不審船(後日の調査で北朝鮮の工作船と断定される)が発見され、海保がこれを追跡、捕捉した事件(詳細は別項にて)。この事件に際しては、特殊警備隊も出動しています(*)。具体的にどういう活動を行なったかは不明ですが、追跡船隊への応援のため出動した巡視船「おおすみ」に隊員17名が同乗していたという報道が一部でなされています(*)。

平成15年(2003)2月 海賊対策のための東南アジア海域巡視船派遣

 平成13年以降、海賊対策を目的として東南アジア海域に年4回巡視船が定期派遣されるようになりました。平成15年2月に派遣された「りゅうきゅう」には、新たにテロ対策も視野に入れ、特殊警備隊が同乗した模様です。(*)

 以上7事例。ただし付言すると、海保が特殊警備隊の出動を出動を認めたと厳密にいえる事例は、上記7例中わずか1例、平成13年12月の九州南西海域工作船事件だけです。この他、平成13年9月・10月の海上警備の際にも「テロ対応特殊部隊」の出動を公式発表してはいますが、特殊警備隊だとは言っていませんし……(報道写真から見て、まず間違いなく特殊警備隊なのでしょうけど)

 残りは絡め手から攻めたもので、まず平成8年8月のペスカ・マー15号事件は、学術論文に事例として載っていたものです。平成11年3月の能都半島沖事件と平成12年8月のアセアン・エクスプレス号事件は、テロ対策の現状・問題点について触れた海保の資料中に、「特殊部隊」の対処事例としてさりげなく挙げてありました。また、平成15年2月の東南アジア巡視船派遣の際には、テロへの対応として「事案発生に備えた特殊部隊の即応体制」を取る云々と発表があり、白書に載った写真などを見ても、特殊警備隊の同行が推測されます。これらについては、公式発表はないものの、出動事例として確実視できましょう。

 ただ1件、平成11年10月のアロンドラ・レインボー号事件については、特殊警備隊同行という話をしばしば耳にするのですけれども、根拠らしい根拠が見当たらない。報道や雑誌などで出動事例として挙げられる事も多いのですが、出動事例であるとするその根拠は定かでない。個人的にはまだ未確認です。

 ところで、この特殊警備隊は平成8年に突如として現われた組織ではなく、前身となる部隊がありました。海上警備隊という組織です。と言っても、海自の前身となった海上警備隊の事ではありません。正式名称は関西国際空港海上警備隊といいました。

 関西国際〜という正式名称が示す通り、この部隊は関空建設現場周辺海域の警備のために創設されました。つまり、関空建設反対派による海上デモを規制するということですね。設置されたのは1985年、すなわち昭和60年の10月、場所は大阪府岸和田海上保安署(第五管区)です(*)。関空完成後の平成6年(1994)6月、岸和田保安署から関空併設の海上警備救難部(第五管区)に移り、引続き周辺の海上警備に当たります。

 警備艇という警備専用の巡視艇(通常、巡視船艇は警備・救難両用)を2隻保有し、入念な警備訓練も受けた、当時においては海保唯一の警備専従常設部隊。なかなか特殊な存在です。こういう部隊を、関西空港周辺の警備のため「だけ」に働かせるのは(それがそもそもの目的であったとはいえ)いささかもったいない話であります。ということで、海上警備隊は、通常は関空周辺の警備に当たるものの、重大事件が発生した際には応援部隊としての活用が図られていました。

 実際に海上警備隊が応援に出た事例だといわれるのは、次の2件です。

昭和63年(1988)4月〜10月 ソウルオリンピック関連海上警備

 ソウルオリンピック開催に関連し、北朝鮮による妨害テロを警戒して各種警備を実施。警備は4月から始まり、9月1日からは厳戒体制に。とりわけ日韓間の定期旅客船の警備には注意を払い、下関─釜山間を結ぶフェリーなどに巡視船の護衛を付け、武装海上保安官を警乗させました。警備の中核を担った七管の公刊史書では、この警備へ「特殊訓練をした海上警備隊」が参加した点にも触れています(*)。ただし、同隊が警備の期間中どういう役割を負ったかという具体的な内容は不明。一説には、フェリー警乗の武装海上保安官というのがすなわち海上警備隊であるとも言われていますが、未確認です。

平成元年(1989)8月 EB.キャリア号事件

 東シナ海を航行中のパナマ船籍の鉱石運搬船「EB.キャリア」号において船員暴動が発生し、救援要請を受けた海保が出動・鎮圧した事件。警備活動に直接従事した十一管の公刊史書によると、事態鎮圧のため同号に移乗した保安官は「特警隊員など16名」とされていますが(*)、海上警備隊が鎮圧に従事したという話もあります(*)。

 このように海保の警備部門上独自の地位を保っていた海上警備隊に、やがて転機が訪れます。平成7年3月に地下鉄サリン事件が発生し、これを直接のきっかけとして警察機関に特殊部隊設置の機運が高まりました。この点海保も例外ではなく、平成8年5月に上記の通り特殊警備基地・特殊警備隊が設けられます。この時、海上警備隊は新部隊の母体となり、発足後10年余りで「発展的に改組」されたのでした。(*)

 今はなき部隊ですが、海保の海上警備を語る上では外せない話題の一つと言えましょう。

 警備に関係するような特殊部隊といえば、こんなもんです。警備には関係しないけど治安に関係する特殊部隊としては、国際組織犯罪捜査隊というのがあり、また治安には関係しない特殊部隊には、救難では特殊救難隊、機動救難隊、防災では機動防除隊という部隊があります。機動防除、とは聞きなれませんが、油の流出に対応する部隊であります。横浜の海上防災基地(第三管区)に併設されている機動防除基地にいる部隊です。特殊救難隊の方は、テレビなんかでもよく報道されるから、御存知の方もいらっしゃるんでは。白書でも海保の華とばかりに取り上げてあります。特救隊と通称され、羽田航空基地併設の特殊救難基地(第三管区)にいる救難のエキスパート部隊です。機動救難隊は、福岡航空基地(第七管区)にいる小部隊で、まあ、特救隊ローカル版とでも考えてもらえばいいんでしょうか。国際組織犯罪捜査隊は、三管の国際組織犯罪対策基地にいる部隊で、密輸・密航の対策に当たっています。

 本項の締めを飾るのは、海保の武装についての話です。海保もちゃんと武装してるんです。海上保安官等は職務に当たって小型武器の携帯が認められており、巡視船艇だって、消防船艇を除いた巡視船の大半と領海警備に当たる巡視艇は武装してます。…不謹慎な話ではありましょうが、治安ヲタクともなれば、武器の話にはちょっと心躍ってしまうものであります。

海保武装事始め;

 海上保安庁が設立された当初は、巡視船艇・海上保安官等は丸腰でありました。ですから鎮圧しようにも実力が伴わないために効果が上がらず、犯行船舶の足を止められずに逃げられる事もしばしばあったとか。中には巡視艇に積んである薪やじゃがいもを鉛弾の代わりに相手に投げつけて足止めしようとしたという、誠に涙ぐましい話も伝わっております。(*)

 もっとも、海保丸腰時代もそう長く続いた訳ではなく、まず昭和24年の11月、国家地方警察本部から海上保安庁に拳銃2,000丁が移管されました。翌年、さらに拳銃3,000丁が追加移管されました。いずれも旧陸軍の南部14年式自動拳銃です。昭和26年3月には、今度は機雷処理を目的とした小銃の貸与が始まります。M-1小銃111丁が、アメリカ極東海軍より都合3度に分けて貸与されました。そうして昭和28年11月になるとついに、外務省を通じて米国に行った巡視船艇用武器の貸与要請が通り、76mm砲と40mm機関砲・20mm機銃が貸与・搭載され始めるのでした。(*)

武装の根拠;

 警察同様、海保もその任務遂行のためしっかりと武装を固めている訳ですが、さてところで、その根拠は何か。

 海上保安庁法第19条によると、海上保安官等は、任務遂行のために武器を携帯する事ができます。ただし、「職務に当たって」携帯が認められるもの、言い方を変えると必要が生じた時に身に付けてよろしい、という事です。裏を返せば、必要ない時は携帯してはいけないと言っている事になります。警察官は小型武器の「所持」が認められているため、四六時中銃を持っている事ができます。しかし海上保安官等は「職務に当たって携帯」のため、四六時中持ってまわっている訳ではありません。海保官等の武装はこれを根拠に行われています。

 ところで。庁法19条はあくまで海上保安官等の武装について述べたものであって、巡視船艇の武装についてまで述べたものではありません。ここで、海保法19条にいう武器の「携帯」が、巡視船艇への武器搭載をも意味するものであれば難はないのですが、さすがにそうは読めない。では巡視船艇に機関砲を(これに加え、昔なら76mm砲も)搭載する根拠は何かというと、これは庁法4条になります。すなわち、同条によると、海保の巡視船艇および航空機は、任務遂行に適当な構造、設備、性能を有するものでなければならない。ここで、海保の任務には治安維持も含まれていることから、任務遂行に適当な「構造」「設備」の中には武器も含まれる、という解釈です。(*)

 ちなみに。現在(平成16年6月)のところ海保の航空機は武装していませんが、今後仮に航空機にも武器を搭載する場合、根拠法規は、巡視船艇と同じく庁法第4条になります。

巡視船艇;

ボフォース40mm機関砲、エリコン35mm機関砲、エリコン20mm機銃、ゼネラル・エレクトリック20mm6銃身機銃、ブローニング13mm機銃

 列挙するとざっと上記の通り。一応、ごくごく簡単ながら、武器の説明をしておきましょうか。13mmとあるのは実際は12.7mmです。でも呼び名はなぜか13mm。さらに、海保は口径35mm以上の火器を砲、それ未満を銃と呼んでいます。なにゆえそうなのかは分かりませんが、ものの本など見てみますと、どうやら、昔からの慣わしでそう呼んでいるようです(*)。20mm機銃としてエリコンと共に挙げたゼネラル・エレクトリック(GE)の6銃身機銃は、いわゆるバルカン砲です。オリジナルの発射速度は最大で100発/秒もあるんですが、巡視船にそんな発射速度はいらぬと、実際の搭載に際しては発射速度を落してあるそうです(*)。

 この中から、1隻当たり1〜2種類、1〜2門程度を装備するのが通常の姿です。例外として、巡視船「しきしま」が35mm砲2基4門、20mm6銃身銃2基2門を積んでおり、巡視船「こじま」も35mm、20mm、13mmを各1基計3門積んでいます。前者はもともとプルトニウム護送のために建造された警備重視の船、後者は海保大の練習巡視船、いずれもある意味で特殊任務船であり、その結果こういう装備になっている模様。

 ところで、仮にも警察機関である海保に機関砲だの機銃だの、また随分なものを……と感ずる向きもないではないかもしれません。しかるにものの本によれば、軍艦や警察船舶は伝統的に砲や機銃を海上における意思表示の手段として用いており、かつ、相手船の停止を要求する意思表示手段として砲や機銃を用いることは、強行接舷などの手段に比べ安全にして合理的である(*)。別に、もっぱら相手船を攻撃し撃沈するための武器として積んでいる訳ではない(もちろん、武器として使うことを排除してもいないのですが…)。少々こわもてではありますが、こわもてなりに意味ある装備だということです。換言すれば、船を相手にする海上ならではの装備だということにもなりましょう。

 なお、上に挙げたのに加えて、既述の通り昔は一部の巡視船には貸与装備の76mm砲を積んでいました。しかしなにも戦争する訳じゃないし、治安維持には「刺激的」に過ぎるという事で、早々に船から降ろされました。アメリカからの貸与武器は、昭和30年に至り正式な国有財産となって海保の備品に繰り入れられますが、しかし76mm砲だけは大して日の目を見る事もなく、お倉入りしたまま。そのうち廃品となり、今ではどこを探してもありません。

 さて、海保巡視船艇の武装が始まったのは、アメリカからの武器貸与が始まった昭和28年末からの事なのですが、しばらくの間は巡視船のみ武装を施し、巡視艇は非武装でした。こういう事になった事情は定かでありませんが、思うに、必要性が認められなかったのと、後は予算の都合という気がします。ともあれ、巡視艇乗組員が使用できる火器は携帯している拳銃のみ、という状態が続きました。

 そんな折、昭和39年(1964)5月末、対馬沖の領海内に国籍不明の武装不審船が現れるという事件が起こります。当の不審船に対し海上保安官が立入検査を行ないましたが、逆に該船乗組員から自動小銃などを突き付けられ、保安官はやむなく退去、当船は逃亡し行方をくらまします。この事件をきっかけに、海上保安庁の装備強化が政府内で検討されました。(*)

 実はこの不審船、隣国韓国の税関監視船光明号なのではないか?という推測が事件後に出て、また海保側の事態対応にもいささかあやふやなところがあって、少々気まずい展開を見せます(*)。さらに、近年海保が発表した北朝鮮のものと推定される不審船の確認事例20件(21隻)の中にも、この事件は入っていません。海保の公刊書籍でも取り上げられた事のある事件ではあるものの、あくまで「国籍不明」と見ている、なんとも微妙な事件なのですが……それはそれとして、領海警備に当たる海上保安庁の巡視艇に満足な装備がなされていないという点は問題視されました。

 事件後の閣議において、これまで固定武装なしだった巡視艇の内、日本海側で警備に当たる二管・七管・八管・九管の巡視艇11隻を選抜し機銃を搭載、また乗組員用の武装として小銃の配備を進めるという方針が了承されました。巡視艇搭載用の機銃・小銃は、予算措置を取って新たに調達を進める他、当面の必要分を確保するために本庁が調整して管区間の融通をしたり、また一部は防衛庁からの移管も受けたようです。(*)

 巡視艇への武装はこの後も推進され、当初は日本海側の艇のみであったのが、後年には太平洋側の艇にも拡大されました。現在では、領海警備に当たる大型巡視艇は、ほぼ全艇が機銃(13mm機銃)を搭載しています。

 一方、巡視船の武装も、時代に合わせて変遷を遂げています。物騒な76mm砲が早々にお倉入りしてしまった事は、先にも述べました。よって、巡視船の主武装はボフォース40mmあるいはエリコン20mmのいずれか、という時期がかなり長く続きました。

 状況が変わって来たのは、昭和50年代に入ってから(1975〜)です。詳しくは別項ででも書くかと思いますが、この時期日本は「新海洋秩序」と称して領海を拡大し漁業水域を設定し、結果海保の管轄すべき水域が大幅に広がりました。それまでは3カイリの領海のみであったのが、12カイリの領海プラス200カイリの漁業水域、面積でいえば実に50倍に拡大したとも言われています(*)。この事態に対応すべく、海保は船隻の増強を図りますが、この時に合わせて新しく導入されたのが35mm砲と20mm6銃身機銃です。ちなみにこの時設定された200カイリ漁業水域は、今日の排他的経済水域(EEZ)の前身に当たります。

 現在では、巡視船の主武装はこの35mm・20mm6銃身が占めています。40mm砲は35mm砲ないし20mm6銃身機銃へ換装、20mm単装は20mm6銃身へ換装するか、でなければ銃そのものを降ろしてしまう。なお40mm砲については、つい最近新型のPLにおいて搭載が復活しましたが、しかるにこの40mm砲は最新鋭で、かつてのそれとはまるで違うものです。

 武器の交換に歩調を合わせ、最近では自動化も進んでいます。従来、巡視船艇の搭載武器は、砲側に操作員が付き、目視照準・手動射撃が当り前でした。小型・旧式の銃砲だと旋回や仰角決定といった操砲に至るまで全手動。人力万歳です。しかるにここ数年、砲側を無人化し、照準から射撃まで全て自動で行う武器が登場しています。操作員はブリッジに居て、カメラの画面を見ながら照準、ボタンを押せばはい発射。RFS(Remote Fire System)と呼ばれています。またRFSほどの全自動ではないですが、FCS(Fire Control System)と呼ばれる装置も登場しており、こちらは砲側に操砲要員がつくものの照準・射撃は実質全自動化されています。

 RFS・FCSは平成4年に登場した巡視船「しきしま」で初めて採用されました。「しきしま」では、20mm銃がRFSで完全無人化、35mm砲はFCS付きでした。この後一旦RFS・FCSの採用は途絶えますが、平成11年の能都半島沖不審船事件を契機に再び採用の動きが広がりつつあります。PM・PSクラスの中小巡視船にRFS化した20mm6銃身機銃が広く搭載されつつある他、平成13年の奄美沖工作船事件を教訓として建造された高速高機能PLではFCS付きの新型40mm砲が搭載されています。

海上保安官等;

拳銃、自動小銃、サブマシンガン、ショットガン

 いきなり余談めいた話から始まってしまいますが… 海上保安庁が、装備している武器の詳細を公式に発表する事はまずありません。先に挙げた巡視船の武装にしても、船舶専門の雑誌に載っていたものを丸写ししたに近い状態です。保安官の武装に至っては、専門の雑誌などもなく、人から教えてもらうか、銃器関係の雑誌の記事見るか、後はテレビの特番やニュース映像などでちらりと映ったブツを見て判断するといった事しかできません。なので、少々信頼性に欠けるところもあるのですけれども……とりあえず。

 まずは拳銃の話から参りましょう。発足当時海保が装備していた拳銃は、先にも挙げたように警察譲りの南部式自動拳銃でした。これは旧軍上がりの使い古しであり、耐用年数も長くはありません。程なくして実用に耐えなくなるものが続出し、新品に切替える必要が出て来ました。

 昭和30年、海上保安庁は、老朽化した不良拳銃(大戦ものの南部式自動拳銃)を処分するのに伴い「ベルギー製ブローニング拳銃」を購入しています。拳銃購入は昭和30年度から32年度にかけて実施され、合計500丁が導入されました。(*)

 聞くところによると、この時導入されたのは、ブローニングハイパワーという拳銃であるようです。これは、第二次大戦以前にアメリカ・ブローニング社のジョン・ブローニングがデザインし生産した拳銃です。ところでこの拳銃の開発・生産にはベルギーのFN社も一枚かんでおりまして、そういういきさつから「ベルギー製ブローニング拳銃」とはつまりBrowning High Power。BHPが開発されたのは第二次大戦前なのですけど、よくできた名拳銃だという事で戦後もかなり長くに渡り使用されました。口径9mmで、装弾数は最大で13発あります。世界の軍事・警察機関で愛用され、特にイギリス陸軍の特殊部隊SAS(特殊空挺部隊)が一頃装備した事で結構名が売れたようですが。

 この後の拳銃更新の流れは不明ですが、現在海保が装備していると見られる拳銃は、国産リボルバーのニューナンブM-60と、アメリカのスミス&ウェッソン社の自動拳銃M5906(*)、およびスイスのSIG社が製作した自動拳銃P-228(*)です。これに加え、オーストリアのグロック社が開発した自動拳銃G-17を装備しているとも言われていますが、確認された話ではありません(*)。

 ニューナンブは、警察の装備している銃という事で名の売れている国産銃ですね。装弾数5発の38口径リボルバー。いかにもという感じ。一般の海上保安官が使用する銃として広く普及しています。一方の自動拳銃は、口径9mmで、いずれも10発以上の装弾数があります。こちらは、特殊警備隊や特別警備隊のような、一部警備部隊にのみ配備されているような気配です。

 拳銃に続いては長物の話。既述のとおり昭和26年に、機雷処理を目的として米軍のM-1ガーランド小銃111丁を貸与の形で取得したのが海保における長物装備の事始なのですけれど、初期の海保はこの他にBAR(Browning Automatic Rifle)と、トンプソンサブマシンガンを装備していたという話を聞いたことがあります。BARとは、アメリカのブローニング社が製作した、自動小銃似の手持ちの機関銃です。

 BARとトンプソンは、装備が始まった時期や具体的な数量は分かりません。調達元も不明です。M-1同様に極東米海軍から貸与ないし供与された武器と見て良いようにも思われますが、1964年(昭和39年)以降海保が装備を強化した際に調達、ないし防衛庁から移管された火器である可能性もあります。BAR・トンプソン双方とも海保内部においてそれなりに広く用いられたらしい。ちなみに、貸与品のM-1は、後日正式に海保の備品となりました。

 さて、当初、これらの火器は一部の巡視船にのみ限定装備されており、巡視艇には装備されていませんでした。先に、上の巡視船艇固定武装の項でも触れましたが、海保発足直後の巡視艇には固定武装なし、その乗組員は手持ちの拳銃のみが頼れる武器だったのです。小銃も搭載されていませんでした。しかるに1964年の対馬沖不審船事件の結果、日本海側で領海警備に当たる巡視艇11隻に固定武装を施す事が決まり、合わせてそれらの巡視艇に小銃を積む事も決まりました。

 この時に装備がなされた小銃の具体的な種別、数量等は分かりません。出所については上でも書いた通り、新規調達を進める他、管区間で融通したり、一部は防衛庁からの移管も受けた模様。そしてこれ以降、それまで固定武装なし・小銃搭載なしだった巡視艇に対する武器の搭載が進みます。

 その後の小銃等整備の動向は不明ですが、上で挙げたM-1・BAR・トンプソンはやがて国産の64式小銃で代替されます。自衛隊の正式自動小銃として有名ですけれど、海保でも採用されました。ただ現在では、開発から既に40年以上も経った小銃であるため旧式化著しく、新開発の89式小銃への移行が進んでいるという事です。もっとも、89式小銃はまだまだ数も少なく、64式小銃はいまだ主要装備としての地位を保っているとか。ちなみに装備先は、巡視船及び領海警備に当たるPC型巡視艇です。

 自動小銃の他に船艇に常備されている火器としては、ショットガンが挙げられます。散弾銃ですね。こちらの導入時期は分かりませんが、持っている事だけは間違いありません。海保の特集番組があった時などにちらちらと姿を見る事ができます。装備が確認されているのはアメリカ・レミントン社製のM870、ポンプアクションタイプのショットガンです(*)。ただし対人用にではなく、主として催涙弾を撃つために装備してるという辺りが海保流。

 なお、同じ長物でも、サブマシンガンは一般的な装備ではありません。昔持っていたトンプソンは、広く用いられたとの事ですが、現在は事情が異なるようです。現在海保が装備しているといわれるのは、MP-5という銃です。ただこのMP-5、かなり細かく形式が分かれているのですけど、海保がどの形式の銃を持っているかまでは分かりませんでした。装備しているのは、海保の中でも、特殊警備隊のような一部警備部隊だけという事です。

 もともとMP-5シリーズは、ヘックラー&コッホ社が、旧西ドイツ連邦警察・国境警備隊向けに開発したサブマシンガンでした。高価格にして高性能、世界の、主に特殊部隊で用いられ、実績も十分にあります。特に、1980年5月の在イギリス・イラン大使館人質事件の際、SASが突入に当たっての携行火器として用いた事で大きく名が売れました。

 以上、海上保安庁が装備する個人火器に関してでした。で、以下は雑談。

 私は決して銃器に濃い人間ではないんですけれども、しかし最初に自動小銃やサブマシンガンの話を聞いた時には、「ウソだぁ」と思ってしまったものです。警察機関の武装にはことさらやかましい日本で、自動小銃やら短機関銃やら、本当に購入装備できたのか? ガセじゃないのか? 私は最初疑ってかかっておりました。自動小銃っていうけれど、実は昔導入された半自動の小銃M-1の事言ってるんじゃないの……なーんて思っておりました。

 ところが。銃器関係の雑誌にて「スクープ!」と称して写真は出るし、またニュースや海保特集番組でそれらしい姿も見られます。海保は何にもコメントしないけど、こりゃどうやらほんとらしい。……それが分かった時の私の衝撃を、理解してもらえるでしょうか。

 今となっては、海保が自動小銃やらサブマシンガン持ってるなんて、マニアの間では常識みたいなものです。海保側も、特別宣伝する事はありませんが、特殊警備隊の広報写真を発表する時に、長物持った写真を堂々と公開してます。観閲式での展示訓練でも、これ見よがしに長物持った保安官が動き回りますし、空砲ながら64式なり89式なりを発砲してみせます。あんまり隠そうとするそぶりがありません。

 オウム真理教事件や不審船事件が起こって、警察機関の武装が前ほどにうるさく言われなくなったせいなのでしょうか。いやはや。一昔前では考えられない事です。隔世の感、と言ってしまうと、ほんとに昔を知ってる人から怒られそうですが。ちなみに聞いた話では、海保内においては、自動小銃など別段珍しくも何ともないそうな。なるほどそうなのか……

発砲;

 発砲について。本ページを作った当初は、「海保は、機雷処分業務と訓練以外で発砲した事があるのか? 答え。あります」などと大層えらぶった書き方をしていたんですが…その割には、きちんとした内容ではありませんでした。恥ずかしい過去です。素人のくせにでかい態度は取るものではない。

 海上保安庁法により、海保は、業務遂行のため武器の使用ができます。武器使用に当たっては基本的に警察官等職務執行法が準用されますが、海保法独自の使用規定も存在します。これらによると、武器を使用してよいのは

  • 犯人の逮捕又は逃走の防止
  • 自己もしくは他人の生命・身体の防護
  • 公務執行への抵抗の抑止
    (以上警察官職務執行法7条)
  • 海保による検査を忌避し逃走する船舶について、海上保安庁長官が以下の事項を認定した場合。すなわち、当船が領海内にあり、外国船であると見なされること。その航行目的が凶悪犯罪の準備のためであると思料されること。かつその凶悪犯罪に対策措置を取るために当船を停船させ検査する必要性が極めて大きいこと。
    (以上海上保安庁法20条第2項)

という事になります。簡単に分類すれば、警職法7条にもとづく武器使用とは犯人逮捕のための一般的な武器使用、海保法20条2項にもとづく武器使用とは逃走する外国船足止めのための特別な武器使用、と分類することができるでしょう。またこの規程は、海上保安官等が携帯する武器、巡視船艇に設備として搭載されている武器、いずれを使用する場合であっても等しく適用されます。船艇搭載の機関砲は手持ちの銃とは訳が違うので別な法律で……なんて事はありません。

 手持ちの拳銃や小銃だけでなく、比較的大型の機銃や機関砲(そして昔は76mm砲まで)警職法7条準用で使える、という解釈には、一時、左翼政党から反論が加えられたこともありました(*)。が、大きな問題になることはなく、現在では普通にこの解釈で通っています。

 上記条件における武器の使用範囲は、当然ながら必要最小限にとどめるものとされます。つまり基本は威嚇、相手に危害を加えてもやむを得ないケースというのは、正当防衛・緊急避難に当たる他は

  • 相手が死刑・無期ないし3年以上の懲役/禁固刑に該当する凶悪犯罪を犯したとき、あるいは、逮捕・拘留に際し本人ないし第三者から抵抗を受けるとき。
    (警察官等務執行法第7条にもとづく武器使用の場合。)
  • 事態に応じ合理的に必要とされるとき。
    (海上保安庁法20条第2項にもとづく武器使用の場合。)

に限られます。前者はともかくとして、後者はずいぶんと曖昧、どういう時にどこまで撃っていいのやらまるで分かりにくい内容…なのですが、これはまだ容疑が固まった訳ではない、凶悪犯罪を準備していると「思料される」段階で船を足止めするための規定ですので、こういう書き方しかできないのでしょう。関係者の苦労が伝わってくるようです。

 内容が内容なので、これを実際応用するとなるとどうであるか、というところは未知数になってしまいます。実際には使いにくそうな規定ですが、しかしこれでもないよりははるかにまし。この規定ができる以前は、実際に凶悪犯罪を実行した相手でないと船体に発砲して停船させることは難しいとされていたのです。

 従来、海保の武器使用は警職法のみに準拠して行なわれていました。しかし平成11年3月24日の能登半島沖不審船事件、平成13年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の発生を受け、従来の方式では業務に差障りがあると考えられるようになります。特に能登半島沖不審船事件では、海保は威嚇射撃以上の手を打つに至らず、不審船をとり逃がしてしまいました。船体射撃の敷居の高さがまさしく障害となってしまった訳です。

 平成13年11月に海上保安庁法は一部改正され、その際上記の海保独自の射撃規程が盛り込まれました。この規定によれば、停船命令を無視して逃げる外国船に対しては、現に凶悪犯罪に及んだものでなくとも、その準備をしていたと見なされれば、海保長官の判断一つで危害を加えるような武器使用もできます。実際どこまで撃っていいのかは、研究と運用実績を積んで見極めていくしかないとはいえ、それでも以前に比すれば一歩前進。

 さて、機雷処分を除く実務上の発砲ですが、どうやら過去6件(※平成20年4月1日現在)の例があるらしい。

昭和26年2月19日 野母崎沖密漁船事件

 長崎で起こった密漁事件です。

 長崎県野母崎沖の漁業禁止区域内にて2隻の密漁船が発見され、巡視船「うぐいす」が停止命令を発しました。しかし密漁船は停止せずに逃走を図ったため、「うぐいす」は強行接舷し海上保安官を移乗させようとします。その際、相手船の乗組員が包丁を振りかざして抵抗したため、海上保安官が拳銃を発砲しました。保安官9名が都合23発を撃って抵抗を制圧、乗組員全員を逮捕しました。なおこの時、銃撃により密漁船の側で2名が軽い怪我を負っています。(*)

 海上保安庁が武装を始めて間もない頃の事件です。時にまだ巡視船非武装時代ですので、使用しているのは手持ちの武器です。

昭和28年8月8日 ラズエズノイ号事件

 北海道で起こった、ソ連(当時)の工作船事件です。(*)

 近くスパイ船が北海道稚内へ工作員を迎えに来るという情報を得た海保は、宗谷海峡に巡視船「ふじ」および「いしかり」を配備し、網を張っていました。8月8日深夜、領海内に侵入して知来別海岸に接近する不審船を巡視船「ふじ」が探知します。「ふじ」は直ちに停船するよう命じたものの、相手は逃亡を図ったため、上空に向けて拳銃で威嚇発砲(5丁で27発)を行いました。さらに、巡視船に向け発砲して来たため、逃走防止と正当防衛として自動小銃で相手船を射撃(1丁で40発)(*)。この後、接舷して拿捕した上、該船の船長及び乗組員全員を出入国管理令及び船舶法違反で検挙した、とこういう事件です。

 拿捕されたのはソ連の漁業巡回船ラズエズノイ号で、海保側の射撃により操舵装置が破壊されたため、操船困難となり逃げられなくなったものでした。船体への命中弾は9発、この内1発が操舵装置に命中していました。やはりまだ巡視船非武装時代ですから、使用したのは手持ちの銃です。加えて、足場の悪い船上からの射撃。それでも綺麗に当たったのはまさに「僥倖」で、これがなければ、あるいは相手船を取り逃がしていたかもしれない…のだそうです。

昭和28年8月13日 陸奥湾密漁船事件

 青森で起こった密漁事件です。

 哨戒中の巡視艇「いそなみ」が密漁船を発見、停船を命じましたが、相手船は命令に従わず逃走します。これに対し「いそなみ」は、漁船の協力を得て、漁船に保安官2名を移乗させて追跡します。この漁船が密漁船に強行接舷し保安官が移乗しようとした際、妨害に遭い1名が海中に転落。なおも密漁船が逃走しようとするため、もう1名が拳銃で上空に向け2発威嚇発砲し、相手船を検挙しました。(*)

昭和29年2月17日 宮崎沖密漁船事件

 宮崎で起こった密漁事件です。

 哨戒中の巡視艇「あさなぎ」が密漁船を発見し、停船を命じました。しかし相手船は命令に従わず逃走の上、巡視艇の追跡を妨害する行為に出たので、拳銃2丁を使用、11発を撃っています(*)。この時期になると、一部の巡視船には固有武装が搭載され始めています。ただ、この件で出たのは巡視艇であるため、使用されたのは手持ちの火器でした。なお、射撃が威嚇なのか相手に向けたのかは定かでなく、検挙に至ったかどうかもはっきりしません。

平成11年3月 能登半島沖不審船事件

 能登半島沖合で漁船に偽装した不審船2隻が発見された事件です。

 3月23日の未明、まず海上自衛隊の多用途哨戒機P-3Cが、能登半島沖合と佐渡島周辺海域の領海内で、相次いで漁船を装った不審船舶を発見します。どうやら、不審な電波をキャッチした自衛隊が独自に調査をして発見したもののようです(*)。海自から通報を受けた海保は直ちに巡視船艇を急行させ、該船の捕捉に取りかかります。不審船はいずれも日本の漁船名を船体に書き込んで(「第一大西丸」「第二大和丸」)いましたが、明らかに偽装でした。

 発見された事に気付いた不審船は直ちに領海外に逃走します。海保も追跡しますが、荒天にも係わらず不審船の駿足は驚くばかりで、海保の船艇はなかなか追いつけません。しかも、巡視船艇の側では長時間に及ぶ連続高速運転のせいで、肝心の燃料が尽き始めました。23日深夜、海保は停船命令執行のため海面に向けて威嚇射撃を行いました。威嚇射撃は、不審船「第二大和丸」に対し巡視船「ちくぜん」が20mm機銃にて50発、巡視艇「はまゆき」が13mm機銃にて195発、一方不審船「第一大西丸」に対しては巡視艇「なおづき」が自動小銃で1,050発を射撃しました(*)。自動小銃が64式なら弾倉1個当たりの装弾数が20発、1,000発余という事は弾倉50個分以上に相当する、へぇぇ結構弾積んでるもんなんだ……とつまらぬ事で感心してしまったりして。

 しかし巡視船艇による懸命の追跡・威嚇射撃にもかかわらず該船は停船せず、燃料の尽きた海保船艇はついに追跡を断念したのです。巡視船「ちくぜん」の20mm機銃による威嚇射撃シーンは、TVでも大きく報道されました。3月の日本海、闇夜の大しけ、20mm銃の銃座(結構高いとこにあります)にまで波が打ち上げる荒々しい映像は記憶にもよく残っています。

 海保が追跡を諦めた後の翌24日未明、事態は自衛隊の海上警備行動の発令、海自による追跡へと移って行くんですけれども、それを扱うのはここの趣旨ではないので。省きます。

平成13年12月 奄美沖工作船事件

 奄美大島沖合で漁船に偽装した不審船が発見された事件です。(*)

 まず、12月21日の午後4時、海上自衛隊の多用途哨戒機P-3Cが、奄美大島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国漁船に偽装した不審船を発見します。前回の能登半島沖での事件の時と同じく、不審な電波を探知した自衛隊が独自に調査して発見したもののようです(*)。翌22日未明、調査の結果該船が漁船でない事が濃厚となったため、海自から海保へ通報されました。かくして、海保が追跡を開始します。

 能登半島沖の時とは異なり、今回の不審船は鈍速でした。このため、海保の巡視船隊は逃走する不審船に追い付くことができました。該船の捕捉に当たったのは「あまみ」「きりしま」「いなさ」「みずき」の4隻の巡視船です。

 まず「いなさ」が、停船命令と警告を発した上で海面と上空に向け5回の威嚇射撃を行ないました。しかし不審船が停船することはなく、ついにはEEZの日中中間線を越えて中国側に至り、一刻の猶予もならなくなりました。そこで海保は船体に対する直接射撃に踏み切りました。射撃は、まず「いなさ」が不審船の船尾に向けて発砲、さらに「みずき」が船首に向けて発砲しました。射撃を受けた不審船はたびたび停船しましたが、いずれも航行を再開し逃走を試みます。

 22日午後10時、再度停船した不審船に対し「あまみ」「きりしま」が両側から強行接舷する作戦に出ました。この時、不審船から銃器による激しい抵抗があり、さらにRPGらしいロケット弾も発射されました(ただし命中せず)。銃器による抵抗を受けた海保は、正当防衛に該当すると判断して直ちに反撃し、「いなさ」が該船の船橋に向け機銃を発砲しました。この直後該船は爆発を起こして沈没してしまいますが、後日の調査では、自爆したもののようです。

 海保による射撃は主に20mm機銃によって行なわれました。照準と射撃を自動化したRFSと呼ばれる新型機銃です。またこの他、自動小銃も使われました。報道によるとこの事件における海保の射撃は計590発ということですが(*)、これは20mmRFSと自動小銃の射撃両方あわせてこの数だと考えていいんでしょうか。具体的な内訳は、同じく報道によると「いなさ」が20mmRFSを366発(威嚇射撃として180発、正当防衛射撃として186発)、「あまみ」が自動小銃を1発撃ったということです(*)。「みずき」については弾数明らかでありませんが、差し引きすると威嚇射撃として20mmRFSで223発撃っているはず。

 海保としてはかなり踏み込んで果断に手を打ったものと言えます。能登半島沖の事件から汲み取ったところが大いに影響しているのは明らかです。が、惜しむらくは、該船が沈んでしまったことです。もう少しで完全に捕捉できたところなのですが……

 なお、不審船から巡視船に対する攻撃は自動小銃、具体的にはAK-47系の自動小銃複数によってなされたと見られています。この抵抗により「あまみ」「きりしま」「いなさ」の3隻が合計168発を被弾しました。特に「あまみ」は接舷したところ至近距離から船橋を狙い撃ちされ、100発以上を被弾、3名が負傷しています。(*)

 沈没した不審船は、およそ半年後の平成14年9月に、海保の依頼を受けた民間サルベージ会社によって引き揚げられました。船内及び沈没現場周辺からは多数の武器を回収し、また金日成バッヂやハングル文字の書かれた物品も発見され、調査の結果該船は北朝鮮の工作船であったと断定されています。

 以上6件。なおこの他に、昭和34年にも1度発砲事例があった…という話も一部にありますが、これについては未確認です(*)。

3. 海上警備実践編

 ……というような題名をつけたはいいものの、「実践」というには偏っている上に中身も乏しい……と悩ましく思うのですが、まあそこは大目に見て下さい。海保の仕事の実際についての話を10程御紹介してみたく思います。犯罪鎮圧だとか海上警備にまつわるエピソードなんですけど、本文として載せるにはまとまりがない内容なので、別ページにしてあります。下にリンクを張っておきます。

 
 
主要参考資料;
『海上警察権論』 著;飯田忠雄 刊;成山堂書店 1961
『十年史』 編;海上保安庁総務部政務課 刊;財団法人平和の海協会 1961
『海上保安庁三十年史』 編;海上保安庁総務部政務課 刊;財団法人海上保安協会 1979
『海上保安事件の研究 ─国際捜査編─』 編;海上保安大学校海上保安事件研究会 刊;中央法規出版株式会社 1992
『南西海域の海上保安20年の歩み』 編;第十一管区海上保安本部編集委員会 刊;海上保安協会沖縄地方支部 1992
『海上保安庁ハンドブック』 編;木津徹 刊;海人社 1997
『海上保安庁を知る本』 編・刊;六甲出版 1998
『海上保安庁五十年史』 編;海上保安庁50年史編簒委員会事務局 刊;海上保安庁 1998
『第七管区海上保安本部五十年史』 編・刊;第七管区海上保安本部 1999
『海上保安白書』『海上保安の現況』『海上保安レポート』 編;海上保安庁 発行;独立行政法人国立印刷局
『かいほジャーナル』 編集・発行;財団法人海上保安協会

Special Thanks to:CHEETAHさん、akasataさん、RMさん、森 万象さん、まさやんさん、はやぎりさん、ゴンタさん


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