調査官はつらいよ(?)

 

 公安調査官の調査活動について、具体的な話を、ほんの少しだけ。

 本編でも述べたところのように、基本的に公安調査官の調査手法は任意調査のそれです。調査対象者の尾行、張り込み監視、集会などの視察内偵、機関誌やパンフなど公刊資料の収集と分析、そして、「協力者」を通しての情報収集。中でも協力者による情報収集は、ほとんど強制調査権を持っていない公調が非常に重視するところのものである。以上、本編で述べた通りです。

 協力者獲得の一連の作業を、公調では「工作」と呼びます。工作はめぼしい対象人物を選定するところから始まり、工作に資するための様々な身辺調査、対象者決定、説得工作の開始へと至ります。説得工作の段階でカネをちらつかせるのは、まあよくある話です。相手が「協力」を承諾すれば、提供する情報によっていくばくかの謝礼金が支払われる事になります。

 このように協力者工作はなかなか手間のかかる作業でありますし、同時に金のかかる作業でもあります。それだけに工作が実施される相手は予算が付くところ、つまりは調査対象指定団体である事が一般的です。本音としては、指定団体でなくても「疑わしい」団体すべてにごそっと工作かけたいところなのでしょうが(協力者を通じての調査だから任意調査!という解釈も成り立たない訳ではないので…苦笑)、現実には指定団体でないと工作予算がつかないので、実行には移しづらいようです。

 こうした工作と「協力者」を通じた情報収集活動ですが、大体スパイなんてもの(^^;;)は、スパイであるとばれたらもうそれでおしまいです。当スパイを通じての情報収集ができなくなるのはもちろんの事、対象団体が警戒を強めるので新たな工作もしづらくなってしまいます。工作する側にとっては大変、手痛い打撃です。それだけに、協力者工作を秘匿するための手は何重にも重ねて打っておかなくてはなりません。

 例えば、工作担当の公安調査官は出来る限り "顔を隠して" 行動します。協力者の関係筋や家族に身分がばれるのを避けるのはもちろんの事、マスコミ露出も避け(協力者の家族がたまたまテレビ見ていて「あっ、この人!」などという事態になったらえらい事ですからね)、庁内でも自分の工作内容については出来得る限りマル秘です。

 ちょっと話は脇にそれますが。公安調査官の多くは協力者工作に大なり小なり携わっているものなので、おいそれとマスコミに顔を晒す訳にはいきません。1995年から96年にかけ、公安調査庁は破防法団体規制適用請求へ向けた作業の一環としてオウム教団から弁明を聞きました。この時会場の警備には調査官も大勢動員されたんですが、その時彼らはみな帽子にグラサン、白マスクで顔を隠していたそうです。一応「法務省」「公安調査庁」といった腕章をつけてとりあえず身分を明らかにはしていたとの事ですが… それにしても大変な格好で。

 また2000年2月、新団体規制法に基づいて公調はオウム真理教改めアレフへの立ち入り検査を行ないました。この時は、一線の公安調査官はあまり表に出ず、工作とは関係ない調査官や幹部職員などが検査を実施したという事でした。これもやはり、現場で動く「大事な」調査官の顔がテレビに映されるのを警戒しての事、かつ調査官の顔が教団側に割れるのを出来る限りふせごうとした結果と言えますね。

 さて話を工作の秘匿に戻しましょう。協力者を通じ情報を収集する過程では、協力者と公安調査官が直接会う事(接触といいます)もあるんですが、工作の秘匿にとってこれは特にネックとなる部分であり、調査官も結構ぴりぴりするらしい。

 まず、会うための連絡電話や呼出がしょっちゅうあっては、怪しまれて元も子もありません。また場合によっては、既に工作に気付いている相手側が接触を逆手に取って公調の手の内を探りにかかる事もあり得ます。こういう事態を避けるためにも、連絡方法や直接会う手はずなどにはいろいろと気を使うもののようです。が、この辺りの具体的な話というのはなかなか分かりませんでね。

 工作の結果入手した情報は、ファイリングに便なように調査書という形にまとめられます。内容はおおむね調査官が協力者から聞き出した話であり、要するに調査官作成の供述調書のようなものです。所定の用紙に文章として落し、自分と協力者の氏名、日付を記載してできあがり。なのですが、何かの事情で調査書を庁外に出す場合には、調査官と協力者の氏名はじめばれると都合の悪い部分にはばんばんスミ塗りなり白抜きなりが入ります。まあ、「協力者」と調査官、詳しい工作内容などが特定されてないように配慮しないといけませんから、仕方ないといえば仕方ないですか。

 こうしてせっせと調査官は工作し情報を集めて回っている訳です。最後に、その結果がどう出たかという事についてもほんの少しだけ書きましょう。

 1995年、すなわち平成7年12月のオウム真理教に対する破壊活動防止法の適用開始決定、そして翌平成8年7月の公安審査委員会に対するオウム真理教への破防法団体規制適用請求。これらは、公調にいわせてみれば、まさしく工作活動をも含めた公安調査官の調査活動の結実と捉えられるものでありました。が、結果は皆さんご存知の通り。公安審査委員会は、かつてオウム教団が政治的目的を持って暴力主義的破壊活動を行なった事は認定しました。しかし「継続し反復して破壊活動をおこなうおそれ」の方は認定せず、よって破防法にもとづく団体規制は実施されなかったのです。

 教団の危険性を証明するために公調が公安審査委に提出した証拠の中には、例の調査書も多く含まれていました。検察庁から入手した検察官面前調書と並び、提出証拠の中核を担っていたもののごとくです。提出された調査書は前述の理由により「白抜き調書」として提出されており、内容の欠落も大きなものでしたが、それでも公安審査委は調査書は証拠となり得る旨認定、すなわち証拠価値を認めたのです。しかし、証拠となるとはいえ、さすがにその実質的な証明力には注文がつきました。すなわち、調査書はあくまで「協力者」個人が言った内容を示しているに過ぎず、そこから教団全体のあり方を規定するところまで持っていくには不十分である。

 公調側にとってはそもそも適用棄却自体が予想外だったようですが、調査書へのこうした評価はそれよりもずっと大きな衝撃として公調を襲いました。積み上げた調査書の内容のみでは団体の性格を規定し得ないというのなら、調査書を破防法適用の中核たる証拠として使えない=今までせっせと集めてきた調査書の価値が一気に暴落!という事になる訳です。

 これはもう、公調の、特に現場にとってはよほどの大事であったようですね。これ以降新団体規制法制定までの3年ほどは、公調にとってはこれまでにない位どん底の期間であったと見えます。あくまで噂ですが、現場調査官の士気はガタ落ち、中央も意気消沈して組織のタガが緩んでしまい、本来機密であったはずの内部文書が多数外部に流出したの何の…。うーんんちょっと、コメントに苦しみますね。

 強制調査権がない中苦労して工作し、そのせっかくの仕事は無駄ボネ扱いと、なんだか現場調査官ふんだりけったり状態といった印象ですが。まあ、工作の是非はともかくとして、ご苦労様です。

 

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