騒擾

 

 囚人が多衆集合して騒ぎ、解散しない。さらには物を壊す、暴行を働く。騒擾は行刑施設で起こる事件としては最も派手、もはや規律違反などというレベルの問題ではありません。立てこもりや人質事件に発展する危険性も大きく、それだけに社会の耳目も集まる事件です。外国の例なんかだと、刑務所暴動は特殊部隊でないと手に負えないくらい狂暴という話をよく聞くんですが、どうなんでしょう。

 本編でも触れたところの警備隊・管区機動警備隊や各種の武装は、騒擾対策という側面も強く持っています。警察の機動隊が部隊行動でもって騒擾や暴動を鎮圧するのと同じで、行刑施設の警備隊や機動警備隊も、施設内で騒擾が起これば部隊行動でもって鎮圧に当たります。ガス銃や武器は大体ここが持っていますし、緊急警備に際しては緊急自動車の取り扱い=赤色回転灯にサイレン吹鳴し出動!というのもあります。騒擾鎮圧のためなら拳銃のみならず小銃の使用も認められ、事実戦前から戦後すぐにかけては騒擾対策に旧陸軍の四四年式騎銃を装備、というのは本編で述べるところですが、それだけ騒擾対策に気を使ってあったという事でしょう。

 ○月×日、○○刑務所において騒擾事件発生、××名の在監者が舎房に立てこもった。彼らは凶器を保持しており、極めて危険である。報告を受けた矯正管区長は、直ちに矯正局長・法務大臣に報告すると共に、管内に非常体制を敷いた。各施設から第一警備隊及び管区機動警備隊が出動し、問題施設に集結する。車体に「法務省」と書かれた輸送車が回転灯をひらめかせ次々と到着し、出動服姿の刑務官を降ろして行く。彼らの手には大盾、腰の帯革には拳銃と警棒がある。彼らは手短に指示を受けた後、ヘルの顎紐を締め直し、現場へと向かうのだ。深夜にも関わらず、問題の舎房郡は大型ライトで昼間のように照らし出されていた。周囲は灰色の制服を着た軍団が遠巻きに固め、手に手に持つ盾を鈍く光らせていた。…そして、少し離れた広場では、抗弾ベストを着た一団が小銃とガス銃を持ち、隊長の話を聞いている…

 などというようなのは妄想であるにしても(爆)。騒擾の鎮圧のためには刑務所側もそれなりに強い手を打つことが認められている訳です。

 ここしばらく、日本の行刑施設では騒擾は起きていません。最後に起こったのは昭和44年といいますから、ざっと30年以上起きてない計算になりますかね。とはいえ以前、それも戦後すぐの昭和20年代なんかには騒擾事件がそれこそ頻発していました。戦後すぐは治安も悪く、在監者数が収監可能人数を上回り、衣食住等刑務所生活の質は劣悪、体質的に騒擾事件が起きやすい状態にありました。刑務官が実務で発砲した最後の例も、騒擾鎮圧に当たっての事です。

 昭和28年7月12日、姫路少年刑務所にて。朝食のみそ汁の配食に関する受刑者同士のこぜりあいに端を発した騒動は、またたく間に2つの所内工場で働く受刑者196名を巻き込んだ大乱闘となりました。これを鎮圧する際に、刑務官が威嚇発砲を17発行なっています。

 さらに翌日、乱闘の関係者を他施設に移送することになったのですが、これを察知した関係者102名が抵抗して施設を占拠し、再び乱闘となりました。これに対し刑務官部隊は威嚇発砲をしつつ突入を敢行し実力をもってこれを制圧、事態はようやく鎮静化するに至りました。

 戦後新たな日本行刑が確立される、その端緒の時代の話です。

 

次の項へ

戻る
前の項へ
inserted by FC2 system