海の向こうの郵政捜査

 

 前項がショーン・マグレディ著『郵政捜査官』からの受け売りねただったので、ついでに合衆国郵政捜査官そのものについても少し。

 アメリカ合衆国の郵政捜査部門は、Postal Inspection Service(USPIS)といいます。郵政監察部とでも郵政捜査部とでも、訳すのでしょうか。同部のWeb Pageによると、合衆国の連邦法執行機関としては最も古い部類に入る機関なのだそうです(*)。

 アメリカがまだ独立する前の1737年、フィラデルフィアの郵政局長(Postmaster)をしていたベンジャミン・フランクリンに、「郵便局を監督し、各郵政局長から会計報告を徴する」(regulating the several post offices and bringing the postmasters to account)任務が与えられました(*)。その当時、後の「建国十三州」となる北米東海岸地方はまだイギリスの植民地。本国政府が任命したアメリカ郵政総監代理(deputy postmaster general of America)の下、各主要都市にPostmasterが点在するという組織形態になっていたようです。この時点で、アメリカ郵政総監代理はバージニア植民地の副総督(lieutenant governor)だったアレキサンダー・スポッツウッド。フランクリンは前述の通りフィラデルフィアの郵政局長で、この他バージニアのウィリアムスバーグにも郵政局長がいました(*)。

 郵便局のレギュレートを行っていたフランクリンは1753年にアメリカ郵政総監代理へと指名(*)、さらに1772年には、補佐役として監視官(surveyor)の職を設けます。理由は、「もはや一人で郵便局を監督・検査することができなくなったから」(because he could no longer single-handedly regulate and audit post offices)でした。

 18世紀後半の独立戦争を経てアメリカ独自の郵便制度が出来上がった後も、監視官の制度は拡大を続けます。1801年には名称が監視官から特別調査官(Special Agent)へと変わりました。1850年には、郵政総監(Postmaster General)が特別調査官の業務のアウトラインを定めており、この中には「郵便物盗犯の逮捕および有罪立証支援」(Arresting and helping convict mail thieves)も含まれていました。

 一方、1829年には首席郵政捜査官(Chief Postal Inspector)が置かれ、翌1830年には、当時の郵政省(Post Office Department)に「指令および郵便物略奪事務所」(Office of Instructions and Mail Depredations)なる組織が発足しています。任務は個人や郵便強盗・郵便物紛失事件の捜査、地方検事との連絡、各種の調査活動などなど(*)。その後、1835年に一旦この組織は消滅し、事件捜査などの諸機能は郵政省郵政総監室(Office of the Postmaster General / OPMG)はじめ幾つかの組織に分散されるのですけれども、程なくして「郵便物略奪事務所」(Office of Mail Depredations)という名前で復活します(*)。

 復活した郵便物略奪事務所は、後に「特別調査官および郵便物略奪部」(Division of Special Agents and Mail Depredations)と改名していることから、特別調査官もここに配属されたと見て良いでしょう。これ以降、時代に応じ組織の名前は逐次変わっていきますが、組織そのものがなくなることはありませんでした。ここが、現在のPISの直接の源です。

 1853年には特別調査官の人数が18人にまで増え、この時から、各特別調査官は郵政業務・施設を監督するに当たりそれぞれ国内の特定地域を分掌するようになります。間に独立戦争を挟んで1872年、合衆国憲法に郵便詐欺に関する条文が追加されたことで、この手の事件を特別調査官が手掛けることができるようにもなりました(*)。さらに1880年、フランクリン以来の伝統を持つ特別調査官は「郵政捜査官」(Post Office Inspector)と名前を変えました。1939年には、組織がDivisionからBureauに格上げされています(Division of Post Office Inspectors → Bureau of the Chief Inspector)(*)。

 PISが発足するのは20世紀後半、1971年のことです。前年の1970年郵政再構築法により郵政事業体全体が再編成され、その一環としての措置だったようです。同法では、郵政省を廃止し郵政公社を設立、これに伴い、当時省内で警察活動を仕切っていた首席郵政捜査官局(Bureau of the Chief Postal Inspector)もU.S.PISへと衣替えしました。さらに、従来は私服部門だけだった同部局に、捜査活動を支援する制服部門(uniformed security force)が新しく設立されています。

 現在の郵政捜査部の構成は以下の通りとなっています(*)。すなわち、首席郵政捜査官が、郵政総監から捜査部の長官として任命されています。その下に、本部活動(Headquarters Operations)を監督する首席捜査官代理(Deputy Chief Inspector / DCI)が1人、地方での活動(Field Operations)を監督するDCIが3人います。本部担当DCIの下には上席捜査官(INspector in Charge / INC)が3人、首席捜査官補(Assistant Chief Inspector / ACI)が2人。INCはそれぞれ特別捜査(Special Investigations)・連絡(Liaison)・戦略計画及びビジネスモデリング(Strategic Planning and Business Modeling)を担当し、ACIは捜査・保安活動(Investigations and Security Operation)と捜査・保安支援(Investigations and Security Support)を分担、でもってACIの下に本部内各部局がずらっと並んでいます。各部局の長は大抵INCですが、中にはそうではなさそうな人もちらほら。また地方担当のDCIは各自東部・南部・西部を受け持っており、この3人の下に地方局(Division)を統括するINCが6人ずつの計18人。

  • Chief Postal Inspector
    • DCI (Headquarters Operations)×1
      • INC×3
      • ACI (Investigations and Security Operation)×1
        • 内部部局
      • ACI (Investigations and Security Support)×1
        • 内部部局
    • DCI (Field Operations)×3
      • INC×18(※合計)

 いわゆる郵政捜査官はおよそ1,500人おり、郵便システム関連の事件を捜査します。連邦捜査官に該当し、武器携帯権・逮捕権を持つほか、「連邦捜索令状および召喚状の送達」(serve federal search warrants and subpoenas)ができるんだとか(*)。装備している武器は、写真から見るにベレッタM-92系のけん銃(*)。また、H&K MP-5を携行して訓練中の写真や、ドアブリーチング用のラムらしきものを持った捜査官が写っているものもありました(*)。なお、2005年に出たPISのパンフレットには1,970人の郵政捜査官がいると書いてある(*)ので、ここ数年で少し人員削減されているようです

 さらにPISには、郵政捜査官とは別に、制服を着て勤務する要員が650人ほどいます。先にも触れたSecurity Forceです。正式にはPostal Policeといい、所属する要員はPostal Police Officer(PPO)と呼ばれます。任務は、重要な郵便施設の周辺警備や、貴重な郵便物の輸送時における護衛など(*)。連邦捜査官には該当せず、犯罪捜査には従事しませんが、武装はしています(*)。このPPOも、前出2005年のPISパンフにはおよそ1,020人いると書いてあるので(*)、捜査官と同様ここ数年でリストラがなされている模様。

 もともと郵政捜査官が追いかけていたのは、駅馬車や汽車などに積まれた郵便物をつけ狙う盗犯や強盗犯でした。為替が普及する前は、郵便で現金をそのまま送るという事も珍しくはなく、よってそれを狙うやつも当然のように涌いて出てきます。武器もて襲い来る強盗団に対抗するため、捜査官も銃を持って郵便物を守り、またひとたび強盗が起これば、どこまでも追跡していきました。PISのパンフを見ると、往時の手柄を自慢する話が色々と載っています。中でも、1881年に、既に逮捕されていたビリー・ザ・キッドを駅馬車強盗の容疑で取り調べたことがある、というのが自慢らしい(*)。19世紀という時代も時代、まさしく西部劇の荒っぽい世界です。

 しかるに、自動車と鉄道の発達による馬車の衰退、為替の普及による現金郵送の減少などに伴い、郵便物強盗は段々減って行きます。郵政捜査官が最後に駅馬車強盗犯を検挙したのは、20世紀頭の1916年なんだそうな(*)。その一方で問題となったのが、郵便を用いた詐欺行為でした。

 郵便詐欺は、南北戦争直後に大流行したらしく、合衆国憲法に郵便詐欺に関する条項が盛り込まれたのは前述の通り1872年。この法改正で郵政捜査官が郵便詐欺を捜査できるようになった……というのも既に記した通りです。銃にモノを言わせて金をふんだくる世から、紙と鉛筆と甘言で人をだまくらかし金を巻き上げる世へ。時代の変化というやつなのでしょう。

 最初は駅馬車強盗、次に郵便詐欺、そして新たに問題として浮上したのが、児童ポルノです。現在では、児童ポルノといえばInternetで……という事なんでしょうが、従来は郵便でやりとりするのが普通でした。秘密サークルの勧誘状やら、アングラ発行の雑誌やら、あれこれの生写真やら、やりとりするなら普通は郵便。ツールとして郵便を使っているので、これは立派に「郵便と関連する犯罪」になる訳です。よって、郵政捜査官もこれを捜査する。いつ頃から捜査するようになったのかは定かでありませんが、1984年児童保護法の制定以後、本格化したようです。

 1984年児童保護法では、州間もしくは海外との間で意図的に児童ポルノを輸送、頒布、受領することを禁止しており、この場合の輸送手段には郵便も含まれています(*)。このため、例えばよその州や海外から郵便でもって故意に児童ポルノを取り寄せたりすると、連邦法違反の容疑で郵政捜査官が動き出します。捜査の仕方はなかなかアグレッシブで、架空の組織を名乗り、児童ポルノ収集の容疑者に「うちのブツを買いませんか」と偽の勧誘をかけたり……(*)。つまりはおとり捜査で、ひっかかって児童ポルノをオーダーしたら、待っているのはお縄です。

 西部劇の時代からある組織で、銃を持って荒事はするは、おとり捜査はするは、かと思えば詐欺のよう知能犯罪も追いかける。この辺は日本の郵政監察官とかなり違います。日本の郵政監察官は、基本は職員の監察にあり、次いで郵政業務に対する犯罪の捜査。ここには、観念上は強行犯や強盗犯も含まれ得ますが、しかるに実際そうした犯罪を捜査・検挙していたかというと……どうでしょう。例えば、郵政監察官が一線の郵便局に対し強盗対策のための防犯指導を行ったり、郵便局強盗の容疑者に関する情報提供を求めるポスターに所轄の警察署と並び郵政監察局の連絡先(電話番号)を併記することはありました。しかし、実際に監察官が強盗犯を検挙した例があったとは聞きません。どうやら日本では、この手の強行犯・強盗犯は、「郵政業務に対する犯罪」であったとしても郵政監察官の手には負いかねる部分があるということで、実際は警察にお任せするのが普通だったように見えます。

 アメリカの場合、郵便局に武装強盗が入ったり郵便配達中の局員が襲われたりしたら、当たり前のように郵政捜査官が捜査に乗り出しますし、検挙もしています(*)。例えば、マイアミで郵便物輸送トラック(postal mail truck)が乗っ取られ郵便配達人(letter carrier)が人質となる事件が発生した際、車4台に分乗した郵政捜査官が逃走するトラックを追跡し、その途中乗っ取り犯から357マグナムおよび(ロシア製の)バイカル・ピストルで2度銃撃を受けた(*)、とか。カリフォルニアのPostal Contract Station(郵政契約本部とでも訳すのでしょうか)へ夜盗(Burglary)に入った容疑者の自宅を捜索したところ、盗品の小切手や偽造小切手と共にMAC-10サブマシンガン(!!)を発見し押収した(*)、とか。さすがにこれは極端な例とはいえ、えらい勇ましさです。

 考えてみれば、けん銃どころかサブマシンガンまで持って突入もこなすアメリカ郵政捜査官とは異なり、日本の郵政監察官は非武装で、令状執行権がなく、現行犯を除くと逮捕も不可。そもそも監察官設置の趣旨は「専門的知識経験を生かした証拠保全」にあり、かつ「郵政犯罪は知能犯であり、また部内犯罪が多いため、身柄の拘束が必要となる場合は少ない」と考えられていた……とは本編でも触れた通りです。これでは、強行犯や強盗犯を監察官が捜査・検挙するのは、施設上/権限上/装備上/ノウハウ上の問題から困難だったことでしょう。警察に任せてしまうのも自然な流れ。もっとも、それが間違っていたとまでは思いません。無理して自前で片付けようとせず、任せられる分は任せるのが、効率いいやり方でもありますからね。

 

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