鉱務監督官

 

 ここらまで来るともう、「なんやそれ?」な世界です。こういう肩書の方がいらっしゃるんですねぇ。鉱山保安法に基づき、鉱山において保安業務が適法になされているかどうか監督指導していくのが仕事です。その中に違反事案の捜査検挙も含まれております。

 鉱山は地の底で仕事をする分労働環境が特殊で、事故も起きやすく、もし事故が起きてしまうとその被害は非常に大きい。そのため保安、つまり安全管理と事故予防には万全を尽くさねばなりません。その監督のために置かれているのが鉱務監督官です。労働関連の取締りを行う点は前に紹介した労働基準監督官とも似ていますが、鉱務監督官の場合、鉱山の安全指導に特化した存在であり、労働時間や賃金といったところには踏み込みません。ここが、労基とは異なるところです。

 鉱山というのは他の職場とはちょっと変わっていて、労働基準法は適用がありますが、労働安全衛生法は適用がありません。厳密には、労災防止計画について定めた同法第二章の適用があるのみで、他は適用除外。鉱山における安全管理や事故予防は、なべて鉱山保安法に基づいて行なわれます。という事で、労働安全衛生法を管轄する労働基準監督官ではなく、鉱山保安法を管轄する鉱務監督官が、労災防止のための指導監督・取締りを行ないます。一方、労災を除いた労働条件一般については、労働基準法に基づき労働基準監督官が行ないます。鉱務監督官は労働基準法に基づく取締り活動は行なわず、あくまで鉱山保安法に基づく取締り一本に絞っているのが特徴です。

 世間一般の職場と同じく労働安全衛生法で労災防止を目指すのではなく、鉱山保安法という特別法を作り、取締り機関も独立させている理由。それは、上で挙げた「特殊な労働環境」という部分の他、どうやら歴史的背景も影響しているらしい。

 労災防止の一般法たる労働安全衛生法は、もともと労働基準法の一部としてあった労働災害防止の諸規程を昭和47年に独立・拡大させたものであり、その労働基準法は商店法・工場法(及びその関連法規)などを引き継いだ法律として昭和22年に成立しました。同法を立案するに当たっては、前年、当時の厚生省内に労務法制審議会という組織が作られ、ここで法の内容に関する具体的な議論が行われました。ここには厚生省関係者に加えて関係各団体や官庁からも参加者があり、鉱山関係者としては当時の商工省外局である石炭庁から人が来ていました。ここで、厚生省側が労働行政一元化を目指すのに対し、石炭庁側は鉱山の「保安」について例外扱いを求め、両者の折り合いが付きません。当時はいわゆる傾斜生産方式に基づく石炭増産政策が取られており、このため商工省・石炭庁側としては、鉱山行政の効率化の観点から、保安に関する事項も含めてすべてまとめて自前で監督したいという意向であったようです。(*)

 結局、折り合いが付かないままに労働基準法は成立し、当初は、鉱山についても新設の労働省及び労働基準監督部署が安全衛生に関する事項を管轄していました。しかるに鉱山の建設物・工作物の監督は、それまで通り商工省が管轄しており、ここに「ねじれ」の状態が発生する事になりました。労働省としては、労災防止のために安全上問題のある不適切な機械や施設等についても指導したい、しかれどもそれらを監督するのは商工省である……。労働基準法成立後もこの点が紛糾し、結果昭和23年に、鉱山保安業務については商工省側が一括して所管する事が閣議で定められ、ようやく話がまとまりました。(*)

 その後昭和24年に鉱業法(明治38年法律第45号。現行法ではなく旧法)の鉱業警察を継承・拡大する形で鉱山保安法が成立しますが、同法では、労働安全衛生に関する労働基準法の規定は鉱山に対して適用しない旨が定められました。かくして、人・物含めておよそ鉱山に関する限りはなべて鉱山保安監督部門で管理する体制が出来上がりました。この体制は、後の労働安全衛生法の立法時にも変更されず、今なお継続しています。

 戦前各分野で個々別々に行なわれてきた労務管理・安全管理を一本化する存在として労働基準法・労働安全衛生法があるのだけれど、鉱業はその流れから少し外れていて、いまだに独自の監督法規を持った半独立状態。戦前の枠組みが戦争直後の特殊事情ゆえに温存され、その後も改められる事なくいまだに残っている……と言うと言い過ぎでしょうか? まあ、独立していても、きちんと労災が防止されておればそれで全く構わないのですけどね。

 さて、上記の通りちょっと風変わりな側面を持っている鉱務監督官ですが、今現在では、鉱山保安・鉱務監督といってもその内容は昔に比べ随分と様変りしているようです。

 日本の国内鉱業は、知っての通り斜陽の時代に入って久しいものがあります。特に、鉱業といえば炭鉱、だったはずのその炭鉱。黒ダイヤと呼んでいたのはいつの事やら、平成9年3月に福岡の三池炭鉱が閉山、平成13年11月に長崎の池島炭鉱が閉山、そして坑内堀の炭鉱としては国内最後となる北海道釧路の太平洋炭鉱も、平成14年1月には閉山してしまいます。炭鉱と聞けばイメージされるであろう坑内堀の炭鉱は、もはや、日本国内には残っていないのです!

 ……まあ正確には、採掘を商売とする坑内堀の炭鉱がなくなった、と言うべきで、採掘を商売としないのであればまだ残っています。平成15年3月末現在、日本の国内に残っている炭鉱の数は12。この内11は規模の小さな露天堀の鉱山であり、残る1つが坑内堀の炭鉱です(*)。この最後の坑内堀鉱山は、旧太平洋鉱山の施設を引き継いで開山した釧路炭鉱です。

 太平洋炭鉱閉山後の平成14年3月から、経済産業省は「炭鉱技術移転五か年計画」に基づき、採炭技術の海外移転を目指した支援措置を開始しました。石炭の採掘を商売にするのではなく、国の支援の元で外国(※具体的にはアジア地域)からの研修生を受け入れ、採鉱・鉱山保安技術の海外移転を図る。研修員の受け入れ先は、上で触れた釧路炭鉱と、長崎の池島炭鉱の施設を引き継いだ長崎炭鉱技術研修センターです(*)。確かに、長年培った高い鉱山技術をなくしてしまうのは惜しいもの。国内で炭鉱の存続が不可能というのであれば、せめてその技術だけでも温存し、海外に移転し、海外からの輸入でもって石炭をまかなう。苦肉の策ではありますが、やむを得ません。

 かくして、国内の炭鉱は風前の灯といった状態ですが、しかるに炭鉱が完全に消えてなくなった訳ではない。露天堀の山は残っているし、坑内堀の山も、国の支援が続く限りはまあしばらく残るでしょう。また炭鉱以外の鉱山は各種合わせて国内に600ほどあるそうですので、鉱業そのものが消滅してしまう事はまだしばらく当分なさそうです。とは言え、やはり勢いのかげりは否めません。

 鉱山が衰退すれば、それに伴い鉱山保安監督の必要性・重要性も当然薄れてきます。そのため随分と前から、鉱山保安監督部門は、鉱山に関係する環境問題の取締り活動を主たる業務の1つに据えて来ました。鉱山保安法の中には鉱山周辺環境の維持に関する規定がありますし、また現実に鉱山や廃鉱に関係する環境問題というのもあります。これはなかなかいい感じの業務展開ですが、しかし鉱山労働者の安全確保と鉱山における事故防止を目指す本来の「鉱山保安」業務とは、微妙に次元の異なるものです。この辺の微妙な次元の差に時代の変遷がにじみ出ている訳なんですが……。しかし、彼らが経験した変化はこれに留まりません。

 鉱山保安監督組織は、もともとは通商産業省の部局であり、本省に鉱山保安局、地方支分部局として鉱山保安監督部、という態勢を取っていました。ずばりな名称を冠していますが、しかし昭和30年代以降炭鉱業が下火になり閉山が相次ぐようになった結果、鉱山保安局は昭和43年になくなり、鉱山保安は公害保安局が担当する事になりました。後に、立地公害局を経て環境立地局へと担当が移っていきます。鉱山労働者の安全確保から鉱山周辺環境の維持へと軸足が移って行った事が分かります。

 平成8年9年辺りの橋本行革の結果、平成13年に通産省は経済産業省に改まりますが、この時、鉱山保安監督部門はついに本省から離され、同省外局資源エネルギー庁、そこの特別機関たる原子力安全・保安院の担当へと移されました。「鉱山」関連部局でありつつも上に頂くのは「原子力」部局、そういうところまで変化した(せざるを得なかった?)のです。

 もっとも、この段階にあっても、地方支分部局である鉱山保安監督部は残っていました。上に戴く機関はともかくとして、鉱山保安を専担する組織そのものは、名前と共に残された訳です。しかし、これさえも消えてしまう時がやって来る。

 2005年(平成17年)4月、改正された鉱山保安法の施行に伴い、鉱山保安監督部は「産業保安監督部」となりました。従来は経済産業省の地方支分部局である経済産業局に属していた電気・ガス・火薬類に関する保安部門を鉱山保安監督部と統合し、産業保安一般を管轄する組織に改めました。数ある産業保安活動の一つとして鉱山保安を担当する……という形態になったのです。これで、鉱山保安を専担する独立組織はなくなりました。またこれに伴い、一部の監督部が出先機関として持っていた鉱山保安監督署も廃止されました。ちなみに我が地元の九州鉱山保安監督部もそうで、長崎県佐世保にあった佐世保鉱山保安監督署が廃止。現在、鉱山保安を担当しているのは、各産業保安監督部の鉱山保安課や鉱害防止課などです。

 ところで、時代の変化に合わせ組織が色々と変化しているのは分かるとして、「鉱山」のための部局がなぜ「原子力」部局の中に?と疑問になりますが、これには幾つか理由があるようです。

 まず1つは原子力安全保安院の性格で、原子力といいつつも実際は原子力関連だけでなく、産業保安全体を監督する機関を目指している事。鉱山保安部門のトップは保安院の鉱山保安課ですが、同院には他にもガス安全課、電力安全課といった産業保安関連の部局があります。高圧ガス・液化石油ガスの保安、火薬類の保安、電力や都市ガスの安全などなど、鉱山保安をも含めた産業保安全体を原子力安全・保安院で担当しているのです(*)。すぐ上で、鉱山保安監督部が「産業保安監督部」と変名した事に触れましたが、これも同院の性格を反映したものといえます。

 2つ目は、鉱山保安監督部門が岡山県人形峠にある旧動力炉・核燃料事業団のウラン採掘場を監督していた事。つまり、ウラン鉱山監督という仕事を通し、鉱山保安監督部門は放射性物質の取り扱いやそれが環境へ及ぼす影響などにつき、ある程度知識やノウハウを持つに至ったようなのです。これらの知識は、鉱山保安監督といいつつ、原子力安全監督の場面でも活用できます。とりわけ、放射性廃棄物関連では……。

 かくして、鉱山保安監督部門は、通産省時代に比べ大幅にその性格を変えて今に至っております。その具体的な体制ですが、トップは、先程も述べた通り経済産業省外局資源エネルギー庁、そこの特別機関たる原子力安全・保安院です。院の地方支分部局として北海道・関東東北・中部近畿・中国四国・九州の各産業保安監督部があり、他に3つの支部と、那覇産業保安監督事務所があります。実際に鉱山保安監督を担うのは、監督部中の鉱山保安課や鉱害防止課などです。職員総数は、最新のものは不明ですが、鉱山保安監督部時代の平成13年頭現在では254人いた事が分かっています。この内鉱務監督官がどれくらいなのかは分かりませんが、参考までに昔の数字をあげますと、平成6年当時職員数が306名、内鉱務監督官は191名でした。その頃よりもさらに小さい……

 変貌した鉱務がこの先どうなって行くのか、それはまだ分かりません。でも本来の「鉱山保安」だってもちろんゆるがせにはできずということで、小さい陣容ながらも日々事故をなくすべく地道に保安状況の検査を行い、違反事案があれば検挙送検をやってらっしゃる。送検件数は年平均1、2件程度に過ぎませんが、この際そんなの関係ないですね。はい。

 
 
主要参考資料;
『労働行政史 戦後の労働行政』 編;労働省 刊;財団法人労働法令協会 1969
『労働基準行政五○年の回顧』 編;労働省労働基準局 刊;社団法人日本労務研究会 1998
『鉱山保安年報』 編;通産省環境立地局

Special Thanks to: おたさん


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