執行官

 

 西洋史をおやりになっている方なら、「フェーデ」という単語を耳になさった事がままある事でしょう。専攻でもない私がこんな事いうのは非常〜におこがましいんですが、ここは一つお許し頂くとして。フェーデというのは、中世ヨーロッパ(ドイツ辺りだったと記憶しますが)における「自力執行」の事を指します。中世ドイツにおいては、元々争い事の解決はこの自力執行が中心的でした。これが、領邦権力が確立して行くにつれ領邦君主の持つ領主裁判権に吸収され、私人が自力で=自分の腕づくで事態解決を目指す自力執行は認められなくなって行ったのです。(こういう理解で、正しいですか?>西洋史の方)

 私人が腕づくで自力執行する事がおおっぴらに認められると、力ある者の天下になりますから、法の下の平等なんて到底保障できません。近代法治国家において自力執行が認められていないのは、極めて当然の事と言えましょう。

 ところで、日本のような自由主義国家においては(どこでもそう、という訳ではないでしょうけれども)、原則として私人間の紛争に行政は介入しません。犯罪取締だとかいう、そういう特別な場合を除いては。しかるに、私人が紛争解決を自力執行する事は禁止されています。では、私人の紛争はどうやって解決すれば良いのか? お話し合いで円満解決すればなんら問題ないんでしょうけど、そううまく解決しなかったらどうするか。

 そういう場合に出てくるのが、司法です。具体的には裁判所です。私人間で紛争が起こり、当事者間の話し合いではどうにも解決しそうにない時、裁判所で民事裁判を行い、紛争解決を目指す事になります。まあ大体は、和解や調停=裁判所が間に入っての話し合い解決という道を選択なさるみたいですけどね。

 ところが、不幸にしてと言うべきか…… 調停には失敗し和解にも到らず、本訴で判決にまでもつれこむ紛争もこれまたある訳でして。ここで、いよいよ執行官の出番となります。

 執行官は地方裁判所の職員で、仕事の内容は「他の法律の定めるところにより、裁判の執行、裁判所の発する文書の送達その他の事務を行う」事です。裁判の執行も文書の送達も、要は裁判所の決定を具体化する作業であり、これが執行官の任務です。

 分かりやすい例を挙げましょう。あるところに債権者Aさんと、債務者Bさんがいました。BさんはAさんから土地を借りており、このほどその借用期限が切れました。そこでAさんはBさんに土地返還を求めますが、Bさんはなかなか返してくれません。何度返還請求を繰り返しても一向にらちがあかないので、AさんはついにBさんを相手取って民事訴訟を起こす事にしました。

 裁判の結果、裁判所はAさんの主張を認めBさんが借りた土地を返すべきである旨の判決を出しました。しかし、それでもBさんは土地を返そうとせず、そこで裁判所とAさんは、強制的にBさんの借用地を返還させる事にしました。かくして決定は下され、その執行に当たるのが執行官です。

 Bさんのもとにやって来た執行官はBさんに裁判所の決定文書を手渡し、そうして借用地を差し押える事を通知しました。土地にあったBさんの私物は運び出され、Bさんは退去、しかる後土地はAさんへと引き渡されました。

 こういった、現場において実際に執行権を行使し、それなりの強制力をもって裁判所決定の執行のためあれこれやるのが執行官の仕事です。

 もう少しきちんとした話をすると、執行官は地方裁判所に所属する職員(特別職国家公務員)であり、民事訴訟法にいう執行機関として強制執行権を持ち、民事執行を担当します。いわゆる民事訴訟は、単に権利関係を白黒つけるだけに過ぎません。裁判所が出した判決を相手側に提示して「ここに書いてある通りしかるべくせよ」と言っても、相手側が従わなかった場合、強制的に判決を執行しなければならなくなる訳ですが、狭義の民事訴訟ではそこまで行われません。そのためには、改めて裁判所に依頼して民事執行を行う必要があるのです。

 民事執行の手続きは、まず、以前もらった判決(※実際は判決だけではありませんが、ここでは省略)に執行力を付与してもらいます。債務名義に対する執行文の附記、というやつ。執行力が得られたら、それを今度は執行機関に提出し、民事執行を依頼します。執行機関とは、実際に民事執行を行う組織の事ですが、これは裁判所あるいは執行官になります。民事執行は、さらに金銭執行と非金銭執行の2種類に分けられ、前者を主に裁判所が担当、後者を主に執行官が担当します。担当機関が違っている事からも分かる通り、両者の中身は微妙に違う。

 執行機関たる裁判所は執行裁判所と呼ばれ、地方裁判所が担当します。ここが行う金銭執行とは、つまりは債務者の財産を換金して債権者に渡す事であり、債務者の財産差押・換金・債権者への引渡しまでが一まとめになっています。差し押えた財産をそのまま引き渡すのではなく、競売なり何なりにかけてお金の形にするところまでやるので「金銭執行」。

 国税職員のところで、国税徴収についての話をしましたね。税金払えといっても払わない滞納者に対し、国税庁が強制的に財産差し押え等滞納処分を行なう、という話。極端に言うと、あれと似たようなものです。国税庁は自分で強制的な取り立てができるけど、私人はそうはいかない。そこで、払えといっても払わない債務者Xに対し、債権者に代わって取り立てを行なうのが執行裁判所……と。

 これに対して執行官の行う非金銭執行は、換金までは行わず、差し押えた財産をそのまま債権者に引き渡します。あるいは、財産を差し押えるのではなく、何かの役務を行え/行うな、という命令を出します。上で例え話に出した土地・家屋の明け渡しや、特定の活動を行わせる事などがこれに当たります。

 金銭執行の場合、「換金」という手続きが間に入っている関係上、極端な話ブツそのものをいちいち差し押えるところまで行かなくとも済む場合があります。例えば家を売るという場合、家の権利書を売るという言い方もできる訳で、その時中に誰かが住んでいたとしても、買い手がそれを問題にしなければそのまま競売にかける事ができます。書類のやりとりだけで済む事も多く、裁判所の仕事になじんでいると言えます。しかるに非金銭執行の場合は、ブツそのものの引き渡しが問題となって来ますので、ちゃんと現場まで出向いて直接差し押えを行う必要が出てきます。そこで、そういう現場仕事に従事するために設けられたのが執行官です。

 ちなみに、現場仕事に従事する必要があるものなら金銭執行であっても執行官が担当する事があります。具体的には、不動産やそれに準ずる登記可能な財産を対象とした金銭執行は執行裁判所が行い、そうではない、動産や裏書可能な証券を対象とした金銭執行であれば執行官が担当して出向きます。動産ですから、実際に出向いて差し押えて手もとに置かなければきちんと換金できない、という訳ですね。

 ……と、以上のように書いておりますが、ここで少々余談を。実をいうと、趣味柄刑事制度ばかりに目が向いているこの私が果たして正確に民事訴訟や民事執行やそれにまつわる権利関係を把握して話が出来ているのか、あまり自信がありません(汗)。おかしなところがあれば、どうか気付いた事を気付いた折にびしばし指摘してやって下さいませ。

 さて、改めまして本題。こういった、強制執行権の行使を担当する執行官ですが、 実際現場において差し押えに従事するという活動の性格上、妨害に遭う事もなくはありません。そんな時はどうするのか。例えばの話、「裁判所が何と言おうと、俺の財産はビタ一文渡しゃしねェ!」なんてって、家の前に立ちはだかってとおせんぼしたりするやつが出たら。

 妨害があったから執行ができませんでした、では話にならない訳でして、執行官には妨害を排除する一定の権限が与えられています。

 まず前提として、民事上の債務には、債務者が債権者に何かサービスをやってあげる「なす債務」と、債務者が債権者に何か物を提供する「与える債務」があります。後者の「与える債務」というのは、例えば現金の支払いであったり物品の譲渡であったり土地・家屋の明け渡しであったりするんですが、この「与える債務」の場合、執行官には、債権者のためにその物を取得する当たって捜索を行う権限を有します。対象物発見のために、債務者の住居や倉庫に立ち入ってそこを捜索し、また封をした容器を開封し、あるいは施錠された扉を開ける/開けさせる事ができます。この捜索は、裁判所の決定に基づく強制執行活動であるからして、令状は要りません。

 そして、この捜索に活動に対し妨害や抵抗があった場合、これを(必要最小限の)実力でもって排除する権限もまた、民事執行法で与えられています。

 実力による妨害排除。なかなかどきどきする(笑)文言ですが、実際の妨害排除は、例えば道をとおせんぼする人間を押し退ける、座り込みする人間をゴボウ抜きする、土地や建物の中に居座る人間を外へ連れ出す、開かない鍵を壊す、障害になっている物をどかす、そういった形になるようです。……うーん、私は、もう少しハードなやつを想像していました(苦笑)。例えば、執行官の指揮の下、ガードマンと作業員の混成部隊が、土地を占拠している市民団体を深夜暗闇に紛れて急襲するとか。(爆)

 ……市民団体のテント村を、突如アークライトのぎらぎらした白光が照らし出した。驚いてテントを飛び出す人々。笛が鳴り、足音が交差する。テント村は、ガードマン部隊に完全に包囲されていた。ガードマンは制服の上にアラミド繊維の防護ベストを着用し、フェイスガードの付いたポリカボネートのヘルメット、コンバットブーツ、手には強化プラスチックのタワーシールドを持ち、完全装備である。執行官が指揮棒を振ると、ガードマン部隊は無言のまま前進し、人々をじわじわと予定地外へ追いやり始めた。後には作業員が入り、手際良くテントを取り払い、境界を示すフェンスを張り巡らしていった…… なんちゃって。(爆爆)

 なお、こうした妨害は公務執行妨害、強制執行妨害といった犯罪に該当する可能性が高いのですが、しかし執行官に逮捕取締の権限まではありません。また、妨害排除の過程で相手側が暴行や傷害などの犯罪行為に及んだ場合でも、犯罪を捜査し相手を逮捕する権限はありません。執行官の仕事はあくまで民事執行のみ、執行上必要最小限の範囲で実力を行使し妨害を排除できるだけです。執行官には民事執行法にもとづき警察官に援助を求める権限がありますので、妨害がひどくて手に負えないという場合は、そっちにお願いすることになります。

 ところで。ここまでは「与える債務」の話でした。もう一方の「なす債務」については、少し事情が異なります。「なす債務」とは、債務者が債権者に業務・サービスを提供するというものであり、これも非金銭執行に含まれ執行官の担当領分になるのですが。ここで、債務者当人が知らんぷりをしてやるべき業務をやらないと、裁判の結果はいつまでたっても実現しません。ここで、相手の行為が公務執行妨害やら強制執行妨害やらに該当する場合、警察を呼んで相手をしょっぴいてもらうのは簡単です。しかし、提供されるべき業務やサービスを「債務者が」実行するという形式上、当人がしょっぴかれたからといって執行官やらが代わりに自分達でやるという事はできません。警察に引っ張ってもらう事で相手に痛い目を見させる事はできても、肝心の「裁判結果の実現」には全然繋がらないのです。

 このように、業務・サービスを提供する義務を負った人物がその義務を果たさない場合。こういう場合には、御本人に義務履行の期待をかける事ができませんので、債務者本人に代わって誰か別の人に義務を履行してもらわなくてはなりません。これを「代替執行」といい、民事執行法やら民事訴訟法やらに規定があるそうです(←自分では条文を読んでない・汗)。しかし、ここまで来てしまうと、執行官の影は相当薄れてしまいます。という訳で、こちらについては別項にて。

 こういった執行官の仕事の内容を正しい用語で言い表すと、「民事執行法の規定による民事執行、民事保全法の手続きによる保全執行その他私法上の権利を実現しまたは保全するための手続きを構成する物の保管、管理、換価その他の行為に係る事務で、裁判において執行官が取り扱うべきもの」となるそうです。…………すみません、よく分かりません。(汗)

 
 
主要参考文献;
『執行妨害対策の実務 新版』 編;民事執行保全処分研究会 刊;社団法人金融財政事情研究会 1997
『民事執行・保全法講義 補訂二版』 著;山木戸克己 刊;有斐閣 2000

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