公有林野事務担当北海道庁職員

 

 前項の鳥獣保護・狩猟関連の地方公務員うんぬんにもなかなか驚きましたが、しかしもっと驚いたのはこちらです。「公有林野の事務を担当する北海道庁の(中略)地方事務官及地方技官」であって、知事が地検の検事正と協議した上で指定した者には、司法警察職員として「北海道における公有林野、その林野の産物又はその林野における狩猟に関する罪」を捜査する権限がある。先に出た森林管理局員司法警察職員指定の道有林限定版です。

 公有林野なんて、別に北海道だけでなくどこの都府県にもあるものですが、しかるに北海道を除く他の自治体については特別司法警察職員の制は導入されていません。敢えて北海道を特別扱いする理由は何か。由来は明治時代にまでさかのぼります。

 戦前、北海道の公有林には大きく分けて2種類がありました。一は「模範林」あるいは「北海道地方費林」と呼ばれた林野で、明治36年6月から9月にかけて国から北海道庁に譲渡されたものです。これは、林野経営の模範を示し、並びに林野の収益を北海道が独自の事業を行うのに使う道庁の地方予算(地方費)に充てるためになされた措置でした。経営の模範たる林野なので模範林、あるいは地方費のための林野なので地方費林、と呼ばれました。もう一は、市町村への分配金財源とするために国から譲渡された林野で、単に公有林と呼ばれたものです。こちらは、明治44年から大正10年にかけて国から北海道庁に譲渡され、経営は上の模範林と同じく北海道庁が行いますが、その収益は北海道庁の地方費に充てるのではなく、市町村に分配交付し、教育・産業振興・土木・衛生などの費用に充てられました。模範林・公有林の管理と経営は道庁が一括して行い、例えば後述する大正12年勅令第528号制定の時点では、道庁拓殖部に地方林課があり、現業組織として地方に森林事務所が置かれていました。(*)

 これらの林野の特徴的なところは、まず模範林については、当時の他府県には同様の林野が存在しなかった、というところ。地方費専門の財源たる林野を有していたのは北海道庁だけです。また公有林については、通常公有林という場合、他府県では市町村が保有・経営する形態となっていましたが、北海道では違います。模範林とあわせて道庁が経営し、収益を市町村に分配する形式を取っていました。(*)

 かように独自の制度が導入されたのは、とりもなおさず北海道が独自の地位を有していたからなのですが、その独自の地位とは要するに「未開の地ゆえに費用を投じて開拓を進める必要がある」という事です。北海道開拓といえば、代表としていわゆる拓殖事業が挙げられますが、拓殖事業の他にも開拓に資するための特別措置があり、その一つがこの特別な公有林野の存在です。

 ところで北海道の広大な林野は、開拓上よほど重要な地位を占めていたようで、特殊な扱いを受けていたのは公有林野だけでなく、国有林も同様でした。北海道庁が開庁した明治19年、在道国有林の事務は道庁が行うこととなり、当時国有林の管理を司っていた農商務省から切り離されます。時代が下って明治42年、北海道拓殖事業が始まると在道国有林はその財源の一つに組み込まれ、これは昭和2年から始まった第二期拓殖事業でも受け継がれました(*)。在道国有林の管轄は農商務省でも後身の農林省でもなく内務省・北海道庁である、というところから、当然ながら林野の管理組織も道庁の下に作られており、例えば下記の大正12年勅令528号制定の時点で在道国有林を管理していたのは道庁拓殖部の林務課、及び道庁の地方組織たる営林区署です(*)。農林省の林区署ではありません。

 道庁の公有林野関係職員が初めて司法警察権を与えられたのは大正12年・1923年のこと、翌大正13年1月の刑事訴訟法(旧法)施行を控え、12月に定められた勅令第528号「司法警察官吏及司法警察官吏ノ職務ヲ行フヘキ者ノ指定ニ関スル件」においてです。この勅令では、営林・林野関係職員が司法警察官吏の職務を行うべき者として挙げられていました。その際、林野の形態別に合わせ、

  • 宮内省帝室林野管理局の職員…皇室財産である御料林を管轄
  • 農林省の林区署勤務の職員…一般の国有林を管轄
  • 北海道庁の営林区署勤務の職員…在道の国有林を管轄
  • 北海道庁の公有林野事務関係職員…道庁の模範林・公有林を管轄

がそれぞれ別個に司法警察官吏の職務を行うべき者として指定されました。国有林管理者という事で農林省と並び道庁の関係職員が挙げられている点はまだ分かるとして、「公有林野」の関係職員までもが挙がっているところ。いかにも特別扱いしましたという感じ。

 時代は下って大戦終結後、御料林は消滅し国有林に併合、また北海道の国有林についても内務省管轄から農林省管轄に移され、国有林の行政は農林省において一元的に行うものとなりました。林政統一、と呼ばれる出来事です。御料林の農林省移管は昭和22年4月、在道国有林の移管は翌5月に行われ(*)、これに伴い、宮内省帝室林野局と北海道庁の国有林野関係職員は農林省の営林職員に身分を切り替える事になりました。ところで、林政統一の際、国有・公有林野関係職員の司法警察権についてはなぜか一切手が加えられませんでした。宮内省や道庁の国有林野関係職員の条文の方は、職員そのものが存在しなくなったので自動的に空文化しましたが、しかるに公有林野関係職員に関する規程は、手つかずのまま効力を保ち続けたのです。

 一応、林政統一の時点では、北海道の公有林の経営組織が国有林の経営組織と一体化されていた関係上、道庁の公有林野関係職員の条文も空文となってはいました。これは、戦時中の昭和17年に取られた措置です。林政統一後、道庁の国有林経営組織が農林省所管に移った事に伴い、当初は道の営林区署改め農林省の営林署が国有林と併せて公有林経営を担いました。しかるに統一から5ヶ月後の昭和22年10月、公有林の経営組織を営林署から切り離し、道の下へと置きました。これで、一度は効力を失っていた勅令の条文が息を吹き返します。復活した公有林の経営組織は林務署と称し、これが現在の「森づくりセンター」へと繋がっていきます。(*)

 北海道だけ特別扱いするこの制度は、まだ北海道が開拓途上で内地から遠い酷寒荒涼の地であった明治時代の名残です。特別扱いといえば、その昔北海道は国有・公有林野関係のみならず河川についても特別扱いであり、かつて道庁に置かれていた「河川監守」は他府県の河川監視の職員とは異なり、司法警察権を与えられていました。しかし戦後、河川監守は廃止され(*)、林政統一により道庁の国有林野関係職員も消え、どちらも条文こそ存続しているものの実質的な意味はもうありません。残るはこの公有林野関係職員のみ。個人的には、もうカビが生えたような規程かとも感じられるのですが、今でもしっかり生きています。

 この勅令の規程に基づき司法警察職員としての指定を受けている道の職員さんは、(いささか古いですが)平成6年の段階で33人いらっしゃいました。さすがに少ないですね。で、その仕事ぶりなんですが、平成8年だったかに直接道庁に聞いてみたことがありました。答えは、「ここ何年かは検挙実績はないです」。そうなのか……いやでもまあ、さもありなんという気はする。

 
 
主要参考資料;
『北海道山林史』 編;北海道山林史編簒委員会 刊;北海道 1953
『新北海道史』第四巻・通説三 編・刊;北海道 1973
『新北海道史』第五巻・通説四 編・刊;北海道 1975
『新北海道史』第八巻・史料二 編・刊;北海道 1972
『北海道山林史・戦後編』 編;北海道山林史戦後編編集委員会 監修;北海道林業経営協議会 刊;財団法人北海道林業会館 1983

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