本編でも少し触れました通り、在日米軍のために働く要員で、米軍の基地・施設を警備する職員です。在日米軍および関係機関では、多くの日本人がパートタイムフルタイム問わず労務者として働いていますが、その中には警備員として採用されている者も大勢居ます。 在日米軍基地ですから、当然米軍兵士が警備に立ってはいるんですが、それだけではない。雇用された日本人がガードマンとして警備に立つ事もあります。米軍兵士による警備と現地雇用警備員による警備、わざわざ二本立てにしている意味は不明ですが、海外の基地である、という特殊性から来る部分も多分にあるとは思います。何といっても、基地の周囲に居るのは日本人だらけ、在日米軍の兵士といえど日本語を解する者が多い訳もなく、同じ日本人を警備に立たせておいた方が便利である側面もあるのでしょう。決して、単なる人手不足のみから来るものではなかろうと感じます。 軍雇用警備員の歴史は結構古いもので、占領期から始まっているもののようです。実際どこまで遡れるかはちょっと定かでありませんが(調べてない、ともいう)、昭和27年12月よりも前から存在していた事は確かです。 軍雇用警備員が通常の民間警備員と異なっている点は、軍雇用なるがゆえに米軍の指揮下で活動し、軍構成員に準ずる者として安保条約に基づく日米地位協定を根拠とした権限付与がなされるところです。警備業法ではありません。この違いが最も顕著に現れているのは、「軍雇用警備員は銃を携帯・使用できる」という部分です。 日本の通常の民間警備員の場合、どう逆立ちしたところで銃の携帯・使用はできません。しかし、軍雇用警備員にはそれが許されている。根拠となっているのは、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」、いわゆる在日米軍地位協定と、地位協定に基づく日米合同委員会合意です。 ちょっと余談になりますが、在日米軍基地の地位について、治外法権だとかアメリカの領土だとか勘違いしている人がいます。これは大きな間違いです。在日米軍の基地区域も立派に日本領であり、主権は日本にあり、日本の法は施行されています。基地区域は、アメリカに割譲されたのでも租借されたのでもありません。「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」「その陸軍、空軍及び海軍が日本国内において施設及び区域を使用することを許される」に過ぎないのです。(日米安保条約第6条) それではなぜ在日米軍基地区域が特別扱いされているのかというと、日米地位協定でそう決められているから。地位協定は単なる行政協定ではなく、条約扱いですから、法律と同じ効果を持ちます。それゆえに、米軍基地は幾つかの特権を享受しているのです。しかるに、すぐ上でも触れたように、日本の法律が執行停止されている訳でもなく、基地内であっても日本法はちゃんと生きています。米軍基地内では日本法の適用がない、だなんて、地位協定のどこにも書いていません。 さて今回の話題ですと、日本人の銃携帯という事で銃刀法がからんで来るんですが、銃刀法は米軍基地内でも生きています。ここで、日本人警備員は、米軍の指揮監督の下に行動する存在でありますが、米軍の構成員ではなく、また軍属でもありません。日本人警備員は、地位協定12条4項に基づいて、「現地の労務」に対する米軍の需要を満たすために日本政府が提供した労働力であり、米軍人・軍属並みの特権を有するものではありません。
すなわち、地位協定12条4項に基づき日本政府が在日米軍・諸機関に提供した日本人労務者は、米軍基地内にあっても日本の国内法を遵守する義務があり、銃刀法についても無論遵守する義務がある。ここにおいて、同じく地位協定に基づき、米軍は基地警備のため「必要なすべての措置」を取ることが許されている。日本人労務者を警備員として警備に就かしめる事も、また警備に際し武装せしめる事も、「必要なすべての措置」の一環と理解され、ここから、米軍指揮下で活動する日本人警備員による武装警備は公務となり、公務中に携帯する銃器は銃刀法第3条にいう「法令に基づき職務のため所持する」ものとなり、違法性を免除される、という仕組みです。(*)
ちょっとばかりだらだらと条文の羅列が続いてしまいましたが……以上の規定が、軍雇用警備員の権限の源となる諸規定です。 ただ、この考えには異論もあります。すなわち、日米地位協定は条約である。国際法であり、国内法ではない。条約上、日本人警備員の武装を認める余地があるとしても、それで直ちに国内法上も合法であるという立場を取ってよいのか?という見方です(*)。細かい解説は避けますが(細かく解説できない、ともいう)、国際法は国内法と同列ではなく、国内法よりも上位に位置する法です。国際法上の授権が、直ちに国内法上の効果を発揮するかどうかについては見解が分かれており、通常であればこれは否定的であったはず。すなわち、国際法上の授権は、それが国内法に反映されて初めて効果を発揮するものである…。今回の場合、条約たる地位協定で軍雇用警備員に武装の権利があるものだとしても、国内法に明確に反映されてはいない。その中で、直ちに銃刀法上の「法令に基き職務のために所持する場合」に当たるとみなしてよいのか? という訳で、実は一抹の疑問がないではない…ようなのですが、ともかく、こういうことになっています。で、これらに基づく軍雇用警備員の管理・活動の詳細については、1952年・昭和27年12月30日に開催された第34回日米合同委員会において合意がなされています。これは現行の安保条約・地位協定に基づくものではなく、旧安保条約・行政協定に基づいた合意なのですが、現在でもなお踏襲されています。合意の正確な内容は未公開のため不明ですが、概要は次の通りです。(*)
どんなもんかとフタを開けてみますれば、実はそんなに大層なものではない……(と言ってしまうと失礼か!?)。とはいえ、民間警備員でありながら銃を持てる、という点は著しく特徴的です。 かような "特権" を持った軍雇用警備員の業務とは。これについては、ずばりな資料がありますので紹介いたしましょう。
またしても、やたらだらだら長く続いてしまって申し訳ありませんが……。上で挙げたのは、2004年・平成16年9月に在日米陸軍座間キャンプにて警備員の募集がなされた際の、その募集要項に書かれていた軍雇用警備員の業務です。ごくかいつまで言うと、門衛と区域内の巡回警備の双方を行う、という事です。これ自体は、いわゆる警備員という感じ。で、その際には火器を携帯する事もあり得る。はっきり書いてありますね。 なお、上掲の文では、火器の内容として「若干の小型武器 (連発拳銃、散弾銃、カービン銃) 」が挙げられていますが、この部分の原文は「certain small arms (Revolvers, shotguns, carbines) 」となっていました。リボルバーだそうです。自動拳銃は使わないのでしょうか。それともこれは陸軍だけか? あと同書類には、雇用された警備員の監督部隊が「PMO 88TH MP Detachment, USARJ」であるとも書かれていました。これは、キャンプ座間の第88憲兵分遣隊です。冒頭のPMOとは Provost Marshal Office の略で、ちょっと訳しにくいのですが、要はこの分遣隊の隊長事務所です。基地警備を担当するだけに、憲兵隊の監督下に入って行動する訳です。この点、海兵隊も同様です。海/空軍については未確認ですが、おそらく同様でしょう。ちなみにこの第88憲兵分遣隊は、2004年末現在同じくキャンプ座間に居る陸軍駐日憲兵大隊(Military Police Battalion Japan)の指揮下にあり、本州一円の在日米陸軍部隊を管轄しています。同大隊は88分遣隊の他にもう1つ、第247憲兵分遣隊を指揮しており、こちらは沖縄を管轄します。沖縄を除く九州と四国・北海道については、在日米陸軍部隊がいないので担当なし。 ちょっと話が逸れてしまいました。元に戻しましょう。 さて、占領下に誕生した軍雇用警備員ですが、発足当初はかなり大規模であり、武装もやけに強力でした。当時はCPと通称され、拳銃はもちろん、カービン銃も普通に持っていました。なるほど今でもカービン銃は軍雇用警備員の装備に含まれているのですが、しかし今は常時携帯という事はありません(持ってせいぜい拳銃止まり)。しかし当時は、カービン銃を持ったCPの姿もそう珍しいものではなかったと言います。規模についても、占領終結後間もない昭和27年12月の段階で、約3万人いた事が分かっています。(*) 当時は今と違ってかなりあちこちに米軍施設がありましたから、それだけ警備員の数も多かったのでしょう。それにしても、当たり前のように長物持ち歩いていたとは……。占領時代、米軍は特権的地位を誇っていたんですが、その特権が軍雇用警備員の装備にも現れた、と見ることができます。 しかるにその後、時代と共に軍雇用警備員は縮小されて行きます。武装警備も少なくなっていき、昭和の後半ともなると規模の大きな基地であっても武装警備を実施しないところが増えて来ました。有名なのは空軍の嘉手納基地で、1976年・昭和51年からしばらく軍雇用警備員の拳銃携帯を中止していました(*)。もっとも、非武装路線が定着した訳ではなく、昭和58年2月には再び武装が復活していますけれども。なおこの昭和58年の時点において、軍雇用警備員による武装警備が行なわれている在日米軍基地施設・区域は、三沢基地、横須賀基地、厚木基地、岩国基地、嘉手納基地、およびキャンプ瑞慶覧他あわせて13の施設・区域。携帯している武器はけん銃ないし散弾銃。この13施設・区域に勤務する軍雇用警備員は、昭和57年4月1日現在で550名(ただし、この全てが武装警備員であるかどうかは未確認)。なお、同時期の軍雇用警備員の総数は949名(*)。軍雇用警備員総勢でも1,000名に満たず、武装警備施設に勤務しているのはその内の5割強。CP3万を号してけん銃はもちろんカービン銃まで持っていた昭和20年代と比べてみれば、その縮小ぶりは歴然としています。 昭和から平成へと移り冷戦も終結すると、警備の縮小はさらに進行。もともと話題になりにくかったこの話はさらに取り上げられないようになりまして、どういった感じだったかは分かりません。 一応分かっている範囲ですと、例えば沖縄の基地の場合、あのアメリカ同時多発テロが起きる直前、軍雇用警備員による武装警備を実施していたのは海兵隊の辺野古弾薬庫、海軍のホワイトビーチ地区・泡瀬通信施設他ごく一部の重要施設に限られていました(*)。本土の基地についてはどんな感じであったか不明です。が、おおむね似たようなものであったと推測されます。平和な時代だったんですね。 かように時代と共に緩やかな縮小の道を辿っていた軍雇用警備員による武装警備ですが、こうした状況を一気にひっくり返してしまったのが2001年・平成13年9月に発生した同時多発テロでした。9.11と称される同事件以降、状況はまさしく一変します。海外の米軍基地でもテロを警戒して警備強化、当初は兵士自身によって警備を強化しつつ、一方で軍雇用警備員による警備も強化がなされました。 沖縄の場合、地元紙でしばしば軍雇用警備員に関する記事が掲載されており、そこから伝えられるところによると次の通りです。すなわち、テロ事件翌月の10月、海兵隊の基地において警備員の武装を原則とする方針が打ち出されました。この時点において在沖米軍基地に勤務する軍雇用警備員の人数はおよそ300名、うち海兵隊基地に勤務する者は217名(*)。まず10月29日、キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)で武装警備が始まりました(*)。 武装警備が始まるにしてもなぜこの基地からなのか、当初私には理由が分からなかったのですが…ここにはバトラー司令部(※在沖米海兵隊基地司令部)と第1海兵航空団(1stMAW)司令部があるとのこと。海兵隊の司令部といえばキャンプ・コートニー、だと思っていましたが、あちらにあるのは第3海兵遠征軍(3MEF)・第3海兵師団の司令部。つまり部隊司令部で、瑞慶覧にあるのは基地司令部、ということでした。ついでに、基地司令部の長は四軍調整官も兼ねており、海兵隊のみならず在沖米軍の頭脳としても結構重要な基地であるらしい。そんなキャンプ瑞慶覧を皮切りに、武装警備は沖縄の全海兵隊基地に拡大していきました。 その後、今現在において、軍雇用警備員がどの程度の規模で存在し、どういった装備を持ちどのような訓練を受けているか。そのものずばりは分からないのですが、断片的な話は方々から伝わって来ます。 つい先ほども触れた在沖米海兵隊基地の軍雇用警備員の場合、平成17年・2005年現在で、在沖米海兵隊基地の警備に当たる軍雇用警備員は憲兵の指揮下にあり、日本人保安警備大隊(Japanese Security Guard Battalion / JSG)という部隊を編成しています。ここから、各基地に武装警備員が派遣される仕組みになっているらしい。2005年末には制服が一新されており、これを扱った在沖米海兵隊機関紙の関係記事によれば、従来の「flat-bottom shoes and a Marine Corps "C"-type clothing」な制服に比べ、新制服は「more tactical Marine-like utility uniform」なんだそうな。記事には写真も出ていましたが、黒服上下と、前面に部隊章と「MILITARY POLICE DEPT. J.S.」の金字ロゴが入った黒キャップという恰好でした。(*) なお、同じ在沖米軍でも海軍や空軍の基地については不詳です。一応、海軍基地については、2003年・平成15年2月に海軍の那覇軍港において、軍雇用警備員が携帯していたライフル銃の安全確認をした際に弾1発が発射された事件が発生しています(*)。ここから、海軍施設においてある程度の武装警備が実施されている事は分かります。 一方の本土については、具体的な話はまるで分かりません。基地所在自治体の地元紙などでは取り上げられているのかな? 最後は、軍雇用警備員の発砲。彼らが実務上発砲に至った例としては、かなり古いものですが、昭和27年と29年に1件ずつあった事が確認できています。いずれも、夜間に巡回警備を行っていた軍雇用警備員が、不審者に対して威嚇発砲を行ったところ、誤って命中させてしまい相手を死亡させてしまった、という事件でした。これ以外の発砲事例については不明ですが、昭和20年代を通じて同様の事件はしばしば発生していたそうですから、実は結構撃っているらしい(*)。ただし、最近になって発砲の例があったかどうかは分かりません。まあ、ないんじゃないかという気はする。 |
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