航空・鉄道事故調査委員会事故調査官

 

 海難に続いては、航空事故・鉄道事故の原因調査について。海難と同じく、航空機や鉄道の事故も、ひとたび起これば多大な損害を生むものであり、原因を究明しさらなる事故の未然防止に役立てる事は極めて重要です。

 航空機は船舶と同じ、見方によっては船舶以上にハイテクの塊であり、また航空気象の影響を極めて強く受けます。ほんのわずかな設計ミス、ほんのわずかな操作ミス、ほんのわずかな判断ミスでも、大事故に繋がり兼ねません。そのため、海難同様に専門的見地から原因究明を行う事が重要とされています。

 鉄道事故の方は、長らくの間、専門の事故原因究明機関がありませんでした。鉄道は航空機や船舶に較べ事故が起こり難いと考えられており、また自動車同様地上を走るポピュラーな交通機関であることから、専門機関を置いてまで原因を調査する必要はないとみなされて来たようです。しかるに、鉄道事故にも鉄道事故なりの専門的側面があり、レールと車輪の摩擦、運転手と指令所の判断、気象の及ぼした影響などなど、明らかにするには専門的見地からの調査が不可欠という意見が出ました。よって現在では、鉄道事故も同じく専門家が原因調査を行う事となっています。

 航空事故・鉄道事故の原因調査に当たっているのは、国土交通省に属する行政委員会である航空・鉄道事故調査委員会です。委員会の事務局には事故調査官がおり、航空事故・鉄道事故が発生すると派遣されます。

 具体的には、まず航空部門として、主席航空事故調査官がおり、その下に次席航空事故調査官が3名、さらに航空事故調査官がいます。また鉄道部門として、主席鉄道事故調査官がおり、その下に鉄道事故調査官がいます。鉄道部門は航空部門より小規模で、次席はいません。

 事故が発生すると、委員会が、事故調査官の中から担当の者を指名します。以後は、その事件に関しては指名された担当の事故調査官が一切の調査を仕切る事になります。指定される調査官は複数である事も珍しくないですが、大事故が起きたとしても、調査官総出で調査に当たるなんて事にはなりません。

 事故調査官は、委員会の委任を受け、調査のために以下の権限を行使する事ができます。

  • 事故の関係者から報告を徴すること。
  • 事故現場その他必要と認める場所に立ち入り、関係ある物件を検査し、または関係者に質問すること。
  • 関係者に出頭を求めて質問すること。
  • 関係物件の所有者、所持者若しくは保管者に対し当該物件の提出を求め、又は提出物件を留め置くこと。
  • 関係物件の所有者、所持者若しくは保管者に対し当該物件の保全を命じ、又はその移動を禁止すること。
  • 事故等の現場に、許可された以外の者が立ち入ることを禁止すること。

 これらの権限行使に当たっては、お約束の間接強制付き。嘘ついたり邪魔だてしたり禁を破ったりすると、30万円以下の罰金です。……仮にジャンボジェットが墜落して、大勢の人が亡くなったとして……その調査を邪魔したとしても、30万円…………

 まあ、海難審判でもそうでしたが、結構安いものです。金額だけ見るとなんだか心許なく思えて来るくらい。けれど、実際には支障出てなさそうなので、これでいいんでしょう、きっと。それに大企業辺りが本気になって調査官だまくらかそうとすれば、きっと罰金が1億2億あってもやるもんでしょうからね。(爆)

 なお、これらの権限を駆使して調査を行った後は、委員会は事故調査報告書を出します。海難審判だと、場合によっては海員に懲戒を下す事もありましたが、航空・鉄道事故の場合はそういう事はありません。基本的には報告書出して終わりです。後は、当局に勧告を行う事があるくらいですが、これとても強制力などはありません。

 同じ原因調査でも、海難と航空・鉄道事故では微妙に様相が違いますが、この辺りに歴史の差がにじみ出ているようです。海難審判庁は戦前からの流れを汲むれっきとした官庁であるのに対し、こちらは行政委員会、しかも戦後しばらくしてから発足しました。

 委員会の歴史を簡単にひもといて見ると、発足したのは昭和48年10月、航空事故調査委員会として出発しました(*)。それ以前の航空機事故調査は、運輸省(当時)航空局事故調査課及び地方航空局にいる航空事故調査の専門官が担当していました。専門官のみで担当できない重大事故となると、学識経験者や運輸省(当時)航空局の課長級、さらには航空会社の専門技術者を集めて臨時に事故技術調査団ないしは事故調査委員会を作り、調査を依頼していました。実務を担当するのは航空局の職員です。

 しかるに昭和40年代に入り、旅客機のジェット化が進むにつれ航空機事故も大型化・複雑化の様相を見せ、特に昭和41年には国内のみで4件もの大事故が発生しています。従来の体制では、平素から事故調査の準備を積んでおく事ができず、こうした事故に速やかに対応する事ができません。そこで常設の事故調査組織を置くべしとする議論が起こるようになりました。その後昭和46年には東亜国内航空旅客機「ばんだい」号事故、及び自衛隊機と全日空旅客機が衝突した雫石事故が発生し、これを直接の契機として事故調委が設けられました。

 発足当初の委員会は、名前の通り航空事故のみを対象としていました。鉄道事故については、交通事故と同じく、基本は警察の捜査にお任せで、重大事故になると臨時の調査委員会が出来るくらい。しかるにその後、経緯は略しますが鉄道事故も常設の機関で原因調査すべきだという事になり、委員会がその役目を負う事になりました。そうして平成13年4月、事務局を増員した上で、航空・鉄道事故調査委員会と改称されたのです。

 現在、委員会事務局にどれくらい事故調査官がいるかは分かりません。が、事務局全体で職員総数41人という事ですから、そう多くない事は確か。

 これだけ人数が少ないと、当然ながら、委員会と事故調査官だけで調査を全うするのは難しくなります。そのため、委員会は、必要に応じ非常勤の専門委員を置いて助言を求め、調査の補助を頼む事ができます。専門委員は、事故調査に当たって事故現場その他必要と認める場所に立ち入り、関係ある物件を検査し、または関係者に質問することができます。事故調査官に較べると権限は小さいですが、調査官が持って来た物や上がってきた報告を見る分には問題ありません。また国土交通大臣は、調査に必要な援助を委員会に与える事となっています。

 委員会自体は小粒でも、こうした外部の援助を得る事で大事故に立ち向かうという訳です。

 
 
主要参考資料;
『運輸省五十年史』 編・刊;運輸省50年史編集室 1999

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