海上デモ
米海軍艦船入港反対、沿岸部への大規模施設建設反対、漁場を守れ、自然環境を守れ、etc……。いろいろな理由から、海上でデモがなされます。デモ行進も表現の自由で守られる表現活動の一環ですから、基本的に自由ですけれども。しかし、だからと言って無制限になんでもやって良いというものでもありません。海上デモにもルールはあり、違反すれば当然検挙の対象となります。
海上デモ警備、という訳で、デモをする側も警備する側も船を用います。狭い海域に多数の船がひしめき合う状況になりますから、小回りの効かない大型の巡視船は全く役に立ちません。警備の主役は、CL型と呼ばれる小型の巡視艇です。これは普段はあちこちの沿岸部や港湾で任務についているものですが、警備実施に当たってこれをかき集めて臨時に船隊を編成する訳です。また、巡視船艇に搭載されている警備救難艇やゴムボートも多数下ろされて同じく警備に従事します。
警備要員の中核になるのは、本編にて挙げた特別警備隊員です。が、彼らだけで任務を全うできるはずもなく、当然一般の要員も巡視船艇の操縦その他の形で警備船隊に組み込まれる事になります。
船を使う海上警備が、陸の警備と比べて特徴的なところ。それは容疑者を現場で検挙する事の難しさであり、また不慮の事故が起こった時の被害の大きさであります。陸の警備だと、デモ隊と警備部隊が衝突しても乱闘にでもならない限りそう簡単に死者は出ませんが、海だとなかなかそうも行きません。
海の上の船行進を船で規制する訳ですから、双方の船が入り乱れて舷々擦り合う事もあります。こんな時相手の船を壊してしまうと危ないですし、まして仮に人が海に落ちたりしたら、大変な事故に繋がります。警備する側としては、事故を起こさないよう細心の注意をもってでかい図体した船(小粒な巡視艇でも、排水量10tはあります。)を動かさないといけません。これは陸に置き換えれば、さしずめ車によるデモを車で警備するようなものです。
従って、海上警備実施の主眼というのは主に事故防止とデモ隊による妨害行為の排除に置かれているようです。もちろん違反者の検挙も出来れば行いますが、基本的に現場検挙とは相手船への強行移乗を意味しますので、あまり無理して検挙するような事はしません(できません)。採証班に警備現場の記録を採らせて、その記録に基づいて事後検挙を行う事が多いようです。
我が地元七管では、佐世保の在日米軍基地へ米艦が入港する時などを始めとしてしばしば海上デモがなされますが、検挙活動にまで至った例というのはほとんどありません。試みに、七管の公刊史書に基づき、同管区内における平成9年(1997)までの主な警備事例を列挙してみますと
- 昭和35年(1960) 三井三池炭鉱労働争議に伴う海上警備
- 昭和39年(1964)11月 米原子力潜水艦「シードラゴン」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和43年(1968)1月 米原子力空母「エンタープライズ」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和53年(1978)10月 原子力船「むつ」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和53年12月 長崎県橘湾への石油備蓄用タンカー入湾に伴う海上警備
- 昭和54年(1979)11月 長崎県上五島において石油備蓄基地反対の海上デモ
- 昭和54年12月 長崎県諌早湾において長崎南部地区総合開発計画反対の海上デモ
- 昭和55年9月 長崎県諌早湾において長崎南部地区総合開発計画反対の海上デモ
- 昭和57年(1982)8月 原子力船「むつ」佐世保出港に伴う海上デモ警備
- 昭和58年(1983)3月 米原子力空母「エンタープライズ」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和58年10月 米原子力空母「カールビンソン」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和59年(1984)6月 米空母「ミッドウェイ」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和59年12月 米原子力巡洋艦「テキサス」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 昭和61年(1986)8月 米戦艦「ニュージャージー」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 平成5年(1993)2月 米空母「インディペンデンス」佐世保入港に伴う海上デモ警備
- 平成9年(1997)9月 米空母「コンステレーション」佐世保入港に伴う海上デモ警備
ざっと16件。この内、海上犯罪が行われたとして容疑者検挙まで至ったことが資料上確認できるのは、昭和35年の三井三池炭鉱労働争議に伴う海上警備、および昭和58年の米空母佐世保入港に伴う警備の計2件。また容疑者の検挙はなかったものの捜索が行われた例として、昭和61年の米戦艦佐世保入港に伴う警備があります。
- 昭和35年(1960) 三井三池炭鉱争議に伴う海上警備
労組側のストライキに対抗し、会社側は生産活動を再開、その際生産に携わる人員や資材を海路搬入した。会社側の輸送船団とこれを妨害しようとする労組側船団との間で、しばしば衝突が発生。海保は、乱闘中の警備実施・検挙は危険であるとしてこれを避け、紛争直近での警告、海難救助、および後日の捜査のための採証活動を行った。容疑は威力業務妨害罪で、警察と合同捜査の形式を取り、検挙した容疑者の送検は警察が一括して行った。(*)
- 昭和58年(1983)3月 米原子力空母「エンタープライズ」佐世保入港に伴う海上デモ警備
日米安保条約に反対する勢力が空母入港にも反対し、同艦入港にあわせて海上デモを行った。その際に、漁船に乗った極左過激派が投擲した発煙筒で警備従事中の海上保安官が負傷。検挙には「いず」特警隊が上乗りする巡視艇を含め3隻が当たり、逃走する被疑漁船を追跡、停船したところを接舷移乗し公務執行妨害容疑で過激派活動家5名および操船担当の漁民1名を現行犯逮捕した。(*)
- 昭和61年(1986)8月 米戦艦「ニュージャージー」佐世保入港に伴う海上デモ警備
日米安保に反対する勢力が戦艦入港にも反対し、同艦入港にあわせて海上デモを行った。デモ当日、先のエンタープライズ事件で検挙の前歴がある過激派活動家所有の漁船が出港の気配を見せたため、船内を捜索し、救命索発射器1基および同発射体2本を押収した。漁船そのものについても、差押令状を執行して差し押えた。この捜索活動には特警隊も参加している。(*)
実際の検挙事例3件中、現場で現行犯による検挙がなされたのはなんと1件のみ。残りは、デモ前あるいはデモ後の捜索/検挙にとどまっています。同じデモ警備でも警察機動隊による陸のデモ警備では、検挙といえば現場検挙が基本という事ですけれども、海保はちょっと違う。海ならではの事情を考慮した警備となっています。
海上テロ
海保の行うテロ対策という点で特筆されるのは、いわゆる「特殊警備事案」と、核物質輸送時の核テロ対策なのですが、これについては別項で扱います。ここで取り上げるのは、これら除いた残りのテロ対策、それも警備実施に関する点について。
テロ行為の定義については、別に作ってある警備警察ページを御覧になってみて下さい。要するに、政治的と称される目的の実現のために行使される暴力の事で、現象としては爆破や乗っ取りや要人の暗殺等になりますか。陸の警察は日頃から主要国の大使館や政府中枢施設といった「重要防護対象」に機動隊員を張り付け、また要人に警護員を張り付けてテロに備えています。ですが海保の場合、日常的に警戒しておくべき施設というのはあまりなく(せいぜい米軍基地や原発の海岸部くらい)、何かイベントがあった時がテロ対策の中心になります。
中でも最も多いのが、国賓来日・政府要人国内旅行の際の空港・海港周辺の海上警備、また要人が臨海施設を訪れる際の海上警備です。その内容を一言で言うと、空港等施設周辺の海域を巡視船艇でびっしり固めて不審船を近寄せない。また近隣の臨海施設や警備水域内で運航する定期船の警備も海保の役どころで、こちらには海上保安官を配置して警備します。当然、当該管区の要員だけでまかなえるはずはなく、全国から巡視船艇と要員をかき集める事になります。
例えば1986年・昭和61年の東京サミットの際には、東京湾に78隻にのぼる巡視船艇が集結し、羽田空港沖を中心に海上警備に従事したと聞きます。また1989年・平成元年の昭和天皇大葬の礼に際しては、約80隻の巡視船艇・3機のヘリコプターを警備に動員したと報道されています(*)。そして2000年・平成12年の九州・沖縄サミットでも、福岡・宮崎・沖縄の各会場の警備に多数の巡視船艇・航空機・人員が動員されました。サミット本体たる首脳会議が開催された沖縄での警備には、会場が海に面しているという事情もあり、(一説によると)船艇約140隻、航空機約20機が投入されたとか(*)。まさに空前の規模と言えましょう。
また、やや特殊な例ですが、海外での事件に関連して国内でテロが発生することを警戒し、臨時に警備を行うこともあります。
例えば1988年9月の韓国ソウル・オリンピックや、2002年6月の韓国・日本FIFA-W杯の開催に当たって、海保は妨害テロの発生を警戒し、関釜フェリーに代表される日韓間定期旅客船に武装海上保安官を警乗させる等の各種テロ対策を実施しました。W杯はともかく、ソウルオリンピックは日本国内のイベントではありません。それでも、関係する部分で必要な警備を実施したものです。
あるいは2001年9月の米国同時多発テロ、及び翌10月の米国によるアフガニスタンへの攻撃に伴い、海保は米軍艦艇の出入港時の警備、原発周辺海域の警備を強化しました。攻撃に日本が参加している訳ではないんですが、それでも国内でのテロを警戒し、必要な警備を実施したということです。
このような厳重な海上警備が功を奏したというべきか、これまでのところ、要人来日やイベント等において凶悪な海上テロが行なわれたことはないと聞きます。確かに、原発が襲われれば一大事、国賓に何かあっては国の恥。それがないのはよいことです。……とはいえ、万全の警備にてなべて事もなし、という訳ではないようで、こうした海上警備に伴って検挙活動がなされた事例というのもありました。
資料上で確認できたのは1件。上でも触れた2000年九州・沖縄サミットでの事です(*)。同年7月に沖縄で首脳会談が催された際、会場沖の名護湾内で、環境保護団体「グリーンピース」が船舶を用いた示威活動を行ないました。首脳会談初日の7月21日、午前11時過ぎ、サミット会場「万国津梁館」がある部瀬名岬の沖にやって来たグリーンピースの活動船「Rainbow Worrior」号(オランダ船籍)は、会場周辺海域の航行自粛に関する海保側の説明・要請を無視し、ゴムボート4隻を下ろして海上デモを行いました。ゴムボートは、海保の警告にも関わらず部瀬名の海岸への接近を再三試み、ついに1隻が阻止線を突破して着岸。4名が上陸しブセナビーチに入り込みました。そこはサミット期間中は立入禁止となっている場所で、4名はすぐさま警察により現行犯逮捕(軽犯罪法違反容疑)される羽目に…。この辺りの話は、ご記憶の方も多いことでしょう。
上陸事件後の同日午後3時、巡視船の立入検査班から現場海域退去の警告を受けた際、同号船長は午後6時頃には同海域を離れると海保側に伝えました。しかるにその時刻が近づいても、同船は現場海域にとどまり、離れる気配がありません。領海内でゴムボートを降ろし、また漂泊・徘徊を続ける一連の行動が違法であり無害通航に当たらない、と判断した海保は実力での同船排除を決定。十一管区「くにがみ」特別警備隊を乗船させた巡視船「ばんな」および「いなさ」を差し向けます。あわや強行接舷、特警隊が移乗…!?という瀬戸際になって同船はようやく航行を再開し、那覇港へ入港しました。
かように騒動を起こした同船は、那覇入港後、海保側から海上保安庁法18条に基づく出港差し止めの通告を受けます。船体前後を巡視船が挟んで係留索でがっちり固定し物理的に動けなくした上で、特警隊が乗る「ばんな」が横付けして24時間の監視下に置くという念の入れよう。同船の出港差し止めが解かれたのはサミット終了後の7月23日午後0時、通告からおよそ35時間経過後のことでした。