不拡散の旗の下に

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 まず本項で扱うのは、外部からの攻撃・妨害破壊活動などから核施設・核物質を守る「核防護」ないし「核セキュリティ」活動です。とはいえその範囲も歴史も広範であり、素人のヲタ1人の手に負えるものではなし。おのずと視点が限られてしまうことはどうか御了承頂きたく思います。

 核防護の活動は、もともとは「核物質防護」と称され、核不拡散関連の活動として始まりました。この分野では最初の多国間条約といえるであろう「核物質及び原子力施設の防護に関する条約」も、最初の名前は 「核物質の防護に関する条約」であり、その前文には「核物質の不法な取得及び使用がもたらす潜在的な危険を回避すること」を本条約締約国は希望するものであると謳っています。

 ここで言われる防護とは、英語に直すとPHYSICAL PROTECTION。物理的な保護です。核物質が奪われないよう、頑丈な建物に納めておけだとか、厳重に監視・警備しろだとか、警備要員はちゃんとした装備を持っておけだとか、そういう話になる訳で、治安ヲタクにとしては実に興味をそそられます。

 具体的には、3つの話題を取り上げます。核物質の国際輸送、同じく国内輸送、そして国内における原発の警備です。なお文中、ウランはU、プルトニウムはPu、高速増殖炉はFBR、新型転換炉はATRと略記します。

1-1. 核物質防護―国際輸送

 核物質の国際輸送に当たってその防護に関係してくるものといえば、まず核物質防護条約、次いでIAEAの核物質防護勧告(INFCIRC/225シリーズ)、そして日本が各国との間で結んだ二国間原子力協定です。

 第一の核物質防護条約は、第3条および附属書Iで「国際輸送中の核物質の防護」について定めています。核物質は、種類・形態・分量によって第一群から第三群にまで区分され、最も厳しい防護が求められるのは第一群。防護内容はおおむね以下の通りです。

  • 輸送中の核物質の貯蔵は、常時監視下にあり、かつ、適切な管理の下にある限られた数の入口を有する物理的障壁によつて囲まれた区域内、又は防護水準がこのような区域と同等の区域内において行う。区域の監視を行うのは、適当な関係当局と緊密な連絡体制にある警備員であること。かつ、区域に出入りする者は信頼性の確認された者に限られていること。
  • 核物質の輸送は「特別の予防措置」(詳細略)の下に行う。加えて、護送者による常時監視の下及び適当な関係当局との緊密な連絡体制が確保される条件の下で行うこと。

 割合にあっさりした内容になっています。貯蔵区域を常時監視する警備員や、輸送を常時監視する護送者の人数・装備・武装の有無などについてまであれこれ決めてはいません。

 第二のINFCIRC/225は、条約ではなくIAEAからの勧告で、加盟国が核物質防護制度を作る際の参考資料です。法的拘束力はありません(*)。1975年9月に初版が出て、その後数次改正され、現在(2012年4月現在)はRev.5が出ています。実は細かい中身はいまいちよく分からない(調べていないとも言う)のですけれども、随分あれこれ決めてある模様。日本の場合、Rev.2までの時点では、特段の追加措置をせずともこの勧告を満足していると考えられていました。その後93年9月に出たRev.3からは、所要の法令改正がなされています(*)。とはいえ、警備要員の武装がどうこうといった、治安おたくが鼻息荒くするような改正内容ではなさそう。

 第三の二国間原子力協定、わけても日米原子力協定の存在は、使用済み核燃料を再処理して得られるPu(回収Pu)の国際輸送との関係で、無視すべからざるものです。

 日本が使う回収Puの輸送に日米原子力協定が噛む理由は、Puが抽出される使用済み核燃料に米国の管轄権も一部及んでいるからです。例えば、現在の日米原子力協定(「原子力の平和利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」昭和63年条約第5号)では、日本が米国で濃縮された核燃料の提供を受けた場合、その燃料には日本のみならず米国の規制も及びます。また、米国で濃縮されたものではない核燃料であっても、米国から「移転」された原子炉(*)で燃やしたら米国の規制が及ぶようになります。さらに、核燃料のみならず、使用済みの核燃料の派生物たる回収Puも同様です。(*)

 一応、核物質が「協定の関係規定に従い受領当事国政府の領域的管轄の外に移転された場合」=例えば使用済み核燃料が第三国の再処理施設に運ばれた場合などは、その間その核物質は日米原子力協定の適用を受けないことになっています(協定第2条4項)。しかし米国は、その核物質に対する規制権を依然として保持しているため、米国の意志・意向と無関係な自由な取扱いというのはできません。大抵の場合、その第三国と米国との間に原子力協定が存在し、その協定を通じて米国は規制権を行使し続けます。米国が規制権を有する核燃料は、日本国内にあっては日米原子力協定の適用を受ける訳ですが、例えばそれが使用済みとなって再処理のため欧州EURATOMに運ばれると、そちらでは米国・EURATOM間の原子力協定の適用を受けます。

 仮の話、米国から輸入したものではなく、米国の濃縮役務も用いていない核燃料を、これまた米国の移転物でない原子炉で燃やせば、その核燃料に米国の規制は及ばず、派生物たる回収Puも同じく米国の規制を受けないということになります(*)。とはいえ、そういうものはわずかな例外を除いてまずなさそう。

 という訳で、大抵のものは米国の規制を常に受ける中で取り扱われることになります。そしてこの点が、これから述べる通り、日本が行う核物質(特に回収Pu)の国際輸送とその防護に大きな影響を及ぼしてきました。

・Pu輸送史(1) 前史

 使用済み核燃料の再処理は、かつてはすべて海外(具体的には英仏)に委託しており、この再処理委託によって回収されたPuの日本向け返還輸送は、昭和45年(1970年)から始まりました。初期段階では、昭和45年から59年(1984年)にかけて計14回、核分裂性Puにして850kg(850kg・Puフィッサイル)が戻って来ています。(*)

 当初、回収Puの返還は航空輸送で行われていました。昭和45年から48年(1973年)までの間、外国の民間航空機などにより、イギリスから東京・羽田に運ばれていました。空輸の回数は、昭和45年に1回、47年に4回、48年に3回の計8回。その後昭和50年(1975年)に航空輸送は中止されて海上輸送に切り替わり、50年、53年、54年、55年、56年にそれぞれ1回ずつ計5回のPu海上輸送が行われました。ここでも輸送を実施していたのは外国の事業者で、運ばれた回収Puの量は航空・海上輸送合わせて計約660kg・Puフィッサイルに上ります。なお、運び込まれる回収Pu自体も日米原子力協定の対象ではないものでした。この時のPuは、原電(日本原子力発電株式会社)が運営していた東海発電所のマグノックス炉で使った燃料をBNFL(英国核燃料公社)で再処理し、回収したものです(*)。あの炉は英国由来のものなので。

 外国の事業者ではなく日本が自ら回収Puの輸送を行うようになったのは、昭和59年(1984年)からのことです(*)。当時の動燃(動力炉・核燃料開発事業団。2012年4月現在は(独)日本原子力研究開発機構)が、初めて海上輸送を行いました。この時動燃が運んだ回収Puは、上記の英国由来のものとは違い、米国の規制権が及ぶPuです。ちなみに、この時点ではまだ現行の日米原子力協定はなく、旧協定(原子力の非軍事的利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」昭和43年条約第14号)の時代です。

 動燃が運んだ回収Puは、フランスのCOGEMA(核燃料公社。2012年4月現在はAREVA NC)への再処理委託で得られたもので、元の所有者は関西電力でした。これを動燃が買い取り、専用貨物船で運びました(*)。このPuは日本の「領域的管轄」の外に存在し、かつ米国の規制権が及ぶ核物質でしたから、適用されたのも日米原子力協定ではなく米国・EURATOM間の原子力協定でした。すなわち、EURATOMが米国から管轄外移転の許可(同意)を取り付けて、それを受けて動燃が輸送しました。これは実現するまで結構難儀したらしく、同意が得られるまで都合2年かかったそうです(*)。

 回収Puを運んだのは、「晴新丸」という排水量14,000総tの貨物船です。大きな船ですが、この時は回収Pu以外の荷物は運びませんでした。昭和59年10月5日にフランス出港、大西洋を横断、パナマ運河を通過し太平洋を渡って日本まで戻り、同年11月15日に東京港に着きました(*)。積荷は二酸化Pu約280kg(189kg・Puフィッサイル)で、高速実験炉「常陽」の装荷燃料に使うためのものでした。貨物船を運航した業者は、新和海運だったそうです(*)。

 輸送に当たっては、核物質防護にかかるIAEAの勧告(当時は1977年改正分のINFCIRC/225 Rev.1)に準拠して輸送船の一部を改造し、クレーンを無能力化していました。仏日間の航行は無寄港で行われ、輸送船の位置や状況を常時把握できる通信体制も備えていました(*)。

 具体的にどういう通信体制を組んでいたかは明らかでありませんが、輸送前の段階では、まずArgosの利用が考えられていました。本来Argosは、地上の基地局(固定・移動問わず)から送信される気象・環境データを、極軌道を周回する気象衛星でもって収集するためのシステムです。加えて、データを送信した地上基地局の位置を特定する機能もあるので、例えば野生動物の生態調査のため、発信器を付けた動物の追跡などといったことにも利用されます。つまりはデータの収集のみならずプラットフォームの測位もできるということで、この機能を活用して、晴新丸の現在地を把握する案が検討されていました(*)。

 次いで挙げられるのがTRANSEAVER(TRANsportation-by-SEA-VERification)というシステムです。これは海事通信衛星INMARSATと当時構築中のGPSを利用した海上輸送中の核物質遠隔監視システム(*)で、これを用いて輸送中の核物質の防護状況を常時把握できないかとも考えられていました。輸送前年の昭和58年の時点ではまだすぐに利用できる状況ではありませんでしたが、晴新丸の位置の把握のため、付随的な利用が検討されていました(*)。ちなみに当局はTRANSEAVERにそこそこ期待をかけていたらしく、晴新丸の輸送を挟んで昭和58年から61年にかけて、原研で試験評価手法の開発を行っています(*)。

 ただ、ArgosはともかくTRANSEAVERは、実際に晴新丸でのPu輸送時に利用されることはなかったようです。TRANSEAVERについて紹介した後年の資料を見ると、試験機が組み上がったのが1985年(昭和60年)、海上での実証試験が行われたのが1986年(昭和61年)4月ということなので……(*)

 またこのほか、科学技術庁(当時)からの依頼に基づき、武装海上保安官4名が輸送船に警乗しました。さらに米仏から護衛の通知があり、両国が独自に艦船を出して護衛を行ったほか、日本近海においては海保が巡視船を出して護衛に当たりました(*)。

 この時、輸送に当たった日本側が、この輸送中一体どのような脅威があり得ると考えていたのかは分かりません。日本からはるばるフランスまで随伴護衛用の船舶を遠征させることはなく、輸送船の警乗要員も4人と小ぶりで、どうも頼りなさそうに感じる部分はありますが、これでも最終的に米国から個別同意を取り付けられているのですから、当時はそれで良かったんでしょう。これを書いている今(平成24年4月)ほどには、核セキュリティに気を遣わなくても良かったということかと。とはいえ、全く問題なし、今後もこれでよろしいという訳ではなく、核物質防護のあり方はその後旧協定から新協定への改定時に大きな問題となります。

・Pu輸送史(2) 新日米原子力協定における回収Pu航空輸送構想

 昭和59年に行われた晴新丸による回収Pu返還輸送は、フランス出港から日本到着までおおよそ40日かかりました。核物質防護の観点からは、輸送に要する時間は極力短い方が良く、IAEAも、輸送時間を最小にすることによって核物質の防護を図ることが望ましいと勧告していました。このため旧協定から新協定(つまりは昭和63年に結ばれた現行協定)への改定に向けた日米間の話し合いでは、核ハイジャックの防止のためには飛行機を使う方がベターという考え方が出ました。(*)

 すなわち、航空輸送は、まさしく輸送時間が極めて短くて済み、かつ高高度を高速で飛ぶので飛行中のアクセスが難しい。通常の民間航空機の場合、高度1万mを時速900kmくらいで飛ぶので、そんな高度をそんな速度で飛んでいる飛行機から核物質を盗む、もしくはその輸送機の飛行を妨害するというのは現実には不可能。核物質防護は船のケースに比べ格段に容易といえる…という見解です。(*)

 新協定では旧協定になかった「包括事前同意」という手続きが登場しており、Puの国際輸送に当たり新協定で包括事前同意の対象とされたのは、当初は空輸のみでした。もう少し細かく言うと、日本の領域的管轄の外にある核物質は日米原子力協定の対象ではないため、協定の直接の対象になる訳ではありません。第三国から日本まで核物質を持って来る場合は、まずその第三国が核物質の「管轄外移転」同意を米国から取り付けます。しかし、ここで時間がかかってしまうと困るのは日本側。実際上記の通り、昭和59年の晴新丸での回収Pu返還輸送に際し、EURATOMが米国から管轄外移転の個別同意を取り付けるまで、日本はおよそ2年待たなければなりませんでした。こんなことでは困るので、あらかじめ核物質防護の指針を作成しておいて、その指針に則った輸送については、包括事前同意の対象にするということになりました。具体的には、英仏から日本への回収Pu返還輸送については、あらかじめ作った指針に則っているものに限り、仕出し機関たる欧州のEURATOMに対し米国が核物質管轄外移転の同意を与えることを約束するという仕組みです(*)。この包括事前同意の対象を定める指針自体は、日米原子力協定の枠組み内で話し合われ、そしてその対象に選ばれたのが、当初は航空輸送だけでした。

 回収Pu返還輸送に関して包括事前同意の条件を定める指針は、新協定の実施取極(「原子力の平和利用に関する協力のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定に関する合意議事録及び同協定11条に基づく両国政府の間の実施取極」昭和63年7月2日外務省告示第355号)附属書5にまとめられました。その条件に沿った輸送であれば、包括事前同意の対象となります(実施取極第1条3(a)(iii)項、実施取極合意議事録第2項)。すなわち、日本が英仏から回収Puの返還輸送を行いたいと思ったら、まずその指針に沿ってしかるべく輸送計画を作る。次いで、Puを積み込む前に、輸送のため準備した措置の内容と当該措置が指針に沿っている旨を、米国に対し文書で通告する。すると米国は、返還輸送の対象となる回収Puを持つEURATOMに対して、米国・EURATOM間の協定に基づき、核物質の管轄外移転の同意を与える。

 輸送計画とそこに含まれる諸措置が実施取極付属書5の指針に沿ったものであれば、日本側は米国側に文書通告すれば良い。通告を受けたら米国はEURATOMに同意を与えるものと事前に決まっているので、包括事前同意と呼ばれます。しかし実施取極付属書5の指針に沿わない場合、日本側からこの文書通告はできず、個々の輸送についてその都度米国の同意を得なければなりません(実施取極第1条3(b)項)。

 ちなみに新協定が登場したばかりの時点では、海上輸送は包括事前同意の対象ではありませんでした。しかし海上輸送が一切否定された訳ではなく、旧来通り個別同意を得れば可能と考えられていました(*)。とはいえ、所定の条件に則る限り同意が得られるものと決まっている包括事前同意とは異なり、個別同意ではその度その度お伺いを立てて同意を得なければならないという煩わしさはあります。

 実施取極付属書5で定められた、包括事前同意の対象となる回収Pu空輸の指針の中でも、とりわけ興味を惹くのは2(a)項で

  • 輸送には、積荷の常時監視及び防護に責任を有し、かつ、乗務員から独立した武装護衛者が同行する。

と定めていることです。核物質防護条約では、護送者による常時監視は求めても、その護送者が武装することまでは求めていませんでしたから、実施取極附属書5の要求はよりシビアです。

 武装護衛者が何者になるかは、日本国籍の飛行機で輸送するのか外国機で輸送するのかによって話が違ってくるのですけれども(*)、最も考えられる空輸の手段は日本の民間機でした。そこで当初科技庁では、日本の民間機で回収Puの返還輸送をやる場合、警察庁に依頼して警察官を警乗させることになるだろうと考えていました(*)。警乗人数や装備の詳細は未定で、附属書5もそこまでは言及してはいません。しかし「武装護衛者」とありますから、ある程度の小火器が要るだろうとは考えられていました(*)。

 ところで米国は、Puの航空輸送に当たっては欧州から日本までノンストップ、かつ途中いかなる国の上空も通過しない(米国の上空も通過しない!)ルートで行ってもらいたいという希望を持っていました(*)。また実施取極附属書5によると、空輸ルートは、英国又はフランスの飛行場から、「北極経由」又は「自然の災害若しくは社会の騒乱の生じている地域を避けるように選定されたその他の経路」のいずれかとなっていました。米国の希望を汲んで日欧間ノンストップでかつ公空のみを飛ぶとなると、北極ルートを使うにしてもかなり足の長い飛行機が必要になります。昭和63年(1988年)の時点ではこれを実現できる機体はまだありませんでしたが、科技庁では、当時開発が進んでいたボーイング747-400を候補機と考えていました(*)。これを民間会社に買ってもらい、Puを運ぶときだけ需要者たる動燃がチャーターする形にしたいという考えでした(*)。

 護衛機の随伴は、実施取極附属書5には記述がありません。付けろとも付けるなとも書いてない。この点科技庁側は、念を入れて独自に護衛機を付けよう/付けてもらおうとは思っておらず、かつ昭和59年の晴新丸のときのように、米軍が独自に護衛を出すこともあるまいと考えていました。なんとなれば、実施取極付属書5の背景にあるのは、ここに書いてある要件を守って空輸を行えば、これ以上の防護手段は必要ない、という考え方だからです。米国との交渉過程でも、護衛機の話は出ませんでした(*)。もし随伴護衛機が欲しいなら附属書5の指針にもそう書くはずで、書いていないということは、随伴護衛機は必要ない。なのに敢えて護衛機を付けるというのは、屋上屋を架すに等しいと言える…ということです。

 政府当局は、この航空輸送による核物質防護上のメリットというのを相当高く評価していたようで、包括事前同意の条件となっている武装護衛者についてすら「実のところ、ハイジャックというか核ジャックの可能性等々、つまり武装護衛者が出動というか、現実に必要となってくるような場合というのは必ずしもなかなか想定されないのでございます」とまで言っています。(*)

 なるほど確かに、航空機の乗っ取りというのは、乗り合わせた人間がやるものですから、余計な乗客を一切乗せない回収Pu返還輸送用機の場合、内部に裏切り者が出るなり着陸中に機内に侵入するなりしない限り、ハイジャックの可能性は低い。実施取極附属書5の指針では

  • 輸送に主要な責任を有する者(例えば、乗務員、護衛者及びオペレーション・センター他)の信頼性が確認される。
  • すべての飛行場において、盗取又は妨害行為から守るため、警察を含む関係当局の協力を得て又は他の武装要員を使つて航空機への接近を制限することにより、実現可能な最大限度において、航空機の隔離が確保される。
  • 航空機には、通常の民間航空用通信機器とは別個の通信系であつて実用化された先端技術を用いた信頼性のあるものを装備する。この通信系は、(i)航空機からオペレーション・センターに航空機の位置および識別情報を自動的に送信する能力並びに(ii)乗務員の介在なしに護衛者とオペレーション・センターとの間の通信を可能にする能力を有する。

といった諸点も包括同意の条件に挙げてあるので、これらがきちんと履行される限りにおいて、内部の裏切りや着陸中の悪意ある侵入といった事件は起こらない(はず)。国会での質疑における当局者のああした答弁も、なるほど分からぬではありません。

 ならば武装護衛者は何のために乗っているかというと、先程の当局者は、機体が不時着した場合への備えだと理解している旨を答弁しています。すなわち、回収Pu返還輸送に際しては、あらかじめ緊急時計画を作り(実施取極付属書5、A「航空輸送」内2(g)項)、その中で緊急着陸空港も定めてあるので、基本はそれで対処できるはず。しかし場合によっては不時着ということも考えられ、その場合に緊急時計画が発動されるまでの間、Puを防護することが武装護衛者の同乗目的だという理解です。(*)

 一方、核物質の奪取を狙ったハイジャックではなく、輸送機そのものを撃墜して核物質による汚染を引き起こそうとするテロリストがいるんじゃないかという問題については、国会では話題にならなかったように見えます。万一の航空機事故とその際の安全性、Pu輸送容器の収納健全性の問題については盛んに議論されましたが、人為的な攻撃についてはそうではありませんでした。そこまで破滅的なことを企むやつはいないと思っていたのか、仮に意志はあっても手段がなかろうと思っていたのか……

 オウム事件や9.11を経た今となっては、やるやつは本気でやりかねないと言えますし、手段面でも、コネとカネのあるテロリストならMANPADSを入手でき、その犯罪的使用がもたらす脅威は先進国首脳会議でも取り上げられています(*)。それと比べると、今から25年前という時の差が感じられる議論の内容です。

・Pu輸送史(3) 航空輸送の断念と「あかつき丸」による海上輸送

 かくして新日米原子力協定の批准・発効が済み、平成元年(1989年)に入ると、いよいよ欧州からの回収Pu輸送が現実の課題になり始めます。

 この時期、当面のPuの需要と考えられていたのは、既に稼働している動燃の高速実験炉「常陽」とATR原型炉「ふげん」、さらに当時はまだ建設中だったFBR原型炉「もんじゅ」の3炉でした。3炉合わせて、Puの需要はおおよそ5t。次いで、「ふげん」に続くATR実証炉計画を電発(電源開発株式会社)が持っていて、これに同じく5t。また、「もんじゅ」に続くFBR実証炉計画を原電が持っていて、これにやはり5t。さらに電気事業各社が軽水炉でPuを使うプルサーマル計画に10t。このほか原研(原子力研究所。2012年4月現在は(独)日本原子力研究開発機構)や動燃での研究用にも1t弱が要り、計約26t・Puフィッサイル。さらにかれこれで、2000年ごろまでに40tくらいの需要があると見積もっていました。(*)

 これに対しPuの供給はというと、国内での使用済み燃料再処理で得られる分が、同じく00年ごろまでに大体17t・Puフィッサイルと見込まれており、90年代後半にもなると相当の不足が生ずると考えられていました。一方、海外再処理委託で得られる回収Puが25t・Puフィッサイルほどあるので、これを日本に持って来たい。(*)

 新協定の発効直後、最初は航空輸送のみを包括事前同意の対象としていた実施取極附属書5が改正され、海上輸送も航空輸送と同様、所定の条件を満たすものについては包括事前同意の対象とされました(*)。しかしそれでも、回収Puの輸送は航空輸送が原則であり、海上輸送は航空輸送ができない場合にやるものでした。新協定・実施取極自体にはそこまで書いていませんが、昭和63年10月18日に回収Puの輸送に関するサイドレターが出ています。差出人は国務省のリチャード・ケネディ無所任大使、宛先は外務省の遠藤哲也大臣官房審議官。このサイドレターにより「プルトニウムの海上輸送は(中略)米国の空域を通過する航空輸送に適当な新型容器が開発され、かつ適用される法に従って米国原子力規制委員会によって、その目的に安全であると認可されていない場合にのみ利用される」と決められました(*)。

 平成元年秋の時点で、政府は、回収Puの輸送を空でやるか海でやるかは決まっていないという立場を取っていました(*)。しかし上記の通り、協定実施の上では航空輸送が原則であって、それが無理な時に限って海上輸送ができるという取り決めになっていました。

 上記のサイドレター中の「適用される法」とは、米国の空域を通過する際に適用される法=米国の国内法を指します。ここで問題になったのが、マコウスキー修正条項と呼ばれる、Pu空輸容器に対する米国国内法の規制でした。これは、従来からある米国原子力規制員会のPu空輸容器の安全基準(NUREG0360)に加え、さらなる安全テストを要求する法律でした。具体的にどういうものかという内容はパスしますけれども、とにかくこれが実に、実に厳しい(*)。

 NUREG0360を満足するPu輸送容器の開発研究は割合うまく進んでいたようで、実験でも良い結果が出ており、昭和63年の段階では開発に向けた技術的見通しが得られていました(*)。しかしNUREG0360よりはるかに厳しいマコウスキー修正条項はそうはいかず、後にこれがボトルネックとなって空輸の断念、海上輸送の模索という動きに繋がっていきます。

 さて航空輸送に続いて包括事前同意の対象となった回収Puの海上輸送についても、実施取極附属書5にて、空輸と同じく条件を定める指針が整備されました。内容は色々ありますが、特に興味をそそられるのが、

  • 輸送船には、武装し及び装備を有し、かつ、輸送船の乗組員から独立した護衛者が乗船する。船上の護衛者は、積荷の常時監視及び防護に責任を有(する)
  • 輸送船は、出発から到着まで、武装護衛船によつて護衛される。

と定めてあること(実施取極附属書5、B「海上輸送」内2(a)項)(*)。武装護衛船についてはさらにサイドレターも出ていて、そこでは「海上保安/沿岸警備の船舶、或いは、その他の政府公船で輸送船と積荷を防護し、かつ、盗取や妨害行為を抑止するに十分な能力と権限を有するもの」とされていました(*)。

 サイドレターに謂う「海上保安/沿岸警備の船舶」とは、海上保安庁の巡視船を指しています。一方の「その他の政府船舶で(中略)十分な能力と権限を有するもの」とは、特にどこの船と指定している訳ではなく、条件に合致するものであればどこでも構いません。概念としては海自の護衛艦も排除されません(*)。とはいえ政府側は、仮に海上輸送をするとなったら海上保安庁に護衛を任せることを検討し、海自の護衛艦派遣は検討しませんでした。実際防衛庁の方にも、関係省庁から護衛の件で連絡はなく、防衛庁独自に検討することもなかったそうです(*)。

 仮に海上輸送をするとして、なおかつ海自の護衛艦を派遣しないのなら、消去法ですぐに海保の巡視船を出すという結論に至りそうな気もしますけれど、そうではなく巡視船の派遣を「検討」と言っている理由は何か。これは、派遣のためには巡視船手配のあてや財政上のあてが必要だからです。特に、仏日間無寄港・無給油航行が可能な船を護衛に当てる必要があり、当時海保はそうした巡視船を持っていなかったので、巡視船を新造しなければなりませんでした(*)。こうしたあてがないままでは結論は出せず、種々の手当の見込みが付いて初めて派遣決定ということになる訳です。

 空か海か未定だった回収Puの返還輸送が、海上輸送でやると決まったのは、平成元年(1989)の年末になってからでした。まず同年12月12日に原子力委員会で、回収Pu返還輸送の具体的な開始時期、輸送方法、推進方策が決まりました。まず、既に稼働している高速実験炉「常陽」とATR原型炉「ふげん」に加え、92年に動燃のFBR原型炉「もんじゅ」が臨界を迎える予定となっている。この「もんじゅ」の初装荷燃料は動燃手持ちのPuでまかなうが、引き続き「もんじゅ」「常陽」の取替燃料を作らなければならず、これは東海再処理工場で得られるPuを計算に入れても足りない。よって、92年の秋ごろまでには回収Puの返還輸送を始めなければならない。ところが、回収Puを航空輸送しようとすると、米国のマコウスキー修正条項を満足する必要があり、92年秋までにそうした輸送容器を実用化するのはほぼ不可能。よって海上輸送にしなければならない。(*)

 12月12日の原子力委員会の海上輸送方針を受けて、12月19日にプルトニウム海上輸送関係閣僚打合会が開かれ、政府方針の申し合わせが行われました。この申し合わせで、海上保安庁が返還輸送の護衛に当たることが正式に決まりました。(*)

 ところで海保は、政府の方針が決まる1年以上も前から、既に準備に着手していました。新日米原子力協定が発効したばかりの昭和63年(1988年)8月から、早くも護衛巡視船の基本設計・要求仕様の検討などを始めていました。2機ある搭載ヘリの分も含め平成元年度の補正で予算が付いたのを受け、造船所と契約したのが平成2年(1990年)3月。また平成2年度以降については、運輸省予算だけでなく科技庁予算の一部移し替えも受けました。というのも、今回の事業は運輸省(海保)が科技庁に協力してあげているわけなので。(*)

 その後も準備は着々と進み、平成3年(1991年)4月に当時の警備救難部警備第2課にプルトニウム海上輸送護衛対策室を設置し、護衛計画、各種マニュアル、輸送船に上乗りする警乗隊や護衛巡視船の訓練計画を作成しました。ちなみにこの時点では警乗隊そのものはまだ存在しておらず、平成3年10月に発足したようです(*)。海保に詳しい人ならおなじみ、「特殊警備隊」の前身となるプルトニウム輸送船警乗隊。海保当局は「武装海上保安官が警乗した」というばかりで、人数、訓練内容、装備、その他もろもろ一切明らかにされなかった謎多き部隊です。今では特殊警備隊に衣替えしてしまったこともあり、当時のことが海保の公式資料で明らかにされることは最早望み薄でしょう…。

 護衛巡視船は、予定通り平成4年(1992年)4月に海保に引き渡されました(*)。これまた海保に詳しい人ならおなじみ、ヘリ2機搭載型巡視船「しきしま」です。排水量は約6,500t、武装は35mm砲(2連装)×2+20mm銃×2、さらに「空域監視装置」を積んでいると海保当局では言っています(*)。空域監視装置とは海自の「はつゆき」型護衛艦でも使っている二次元対空レーダーのことらしく(てことはOPS-14?)、対水上射撃のみならずレーダー誘導による対空射撃もできるようになっているとか(*)、航続距離は20,000海里以上あるとか、20mm機銃は射撃精度が高いRFSと呼ばれる遠隔操作タイプ、35mm機関砲も火器管制装置(FCS)付きで射撃精度が高いとか…いろいろ刺激的な噂のある巡視船です。しかも、詳細は機密扱いになっていて、今なお明らかにはされていません。搭載するヘリコプターも、通常のヘリ搭載型巡視船に積まれるベル式212ではなく、アエロスパシアル社の大型ヘリ(AS332)で、海保による導入はこの時が初めてでした。

 回収Puの海上輸送に当たり核物質防護の上でどのような危険が予想されるかについて、運輸省は、関係省庁はもちろん米国はじめ関係各国政府とも協議を行いました。その結果、想定される危険は、国家レベルのもの「ではなく」、テロリストグループの襲撃等だろうと考えられ、護衛巡視船はこの想定脅威に合わせて建造されました。(*)

 この脅威見積もりも含め、輸送計画には米国側も満足を表明したといいます。一部には、米国側が懸念・不満を持っているという報道もありましたが、実際には米国側からそういう懸念・不満が表明されることはなかったそうな(*)。そもそも、協定実施取極附属書5を改定し海上輸送を包括同意の対象とする際にも、日米間で自衛隊の護衛艦を使う案が議論されたことはなく、海保の巡視船で十分という日本側の見解に米国側も同意していました(*)。このほかにも国内では、脅威の見積もりが甘いという報道や、海保では力不足だとする報道が各種あり、海保関係者がこれに反論しています(*)。

 ここで、国家レベルの脅威が考えられるのであれば、なるほど海保を護衛に当てるのはどうかという意見が出るのも頷ける訳ですが、そうでないのなら海保であっても問題ないという見方は理解できます。レーダーと暗視装置を組み合わせた全天候型のセンサーを持ち、かつそれと連動する形で制御された計4基の機関砲・機銃を備えた巡視船に対し、センサーをかいくぐる、もしくは火力で対抗できるほどの能力を持った「テロリスト」がさてどれほどいるものか。自爆テロ犯の襲撃を受けた米艦コールの事件(2000年10月12日)はあるけれど、これは治安が良いとは決して言えないイエメンでの、しかも停泊中に起きた事件。これほどの装備を持つ巡視船を航行中に襲撃可能なのは、普通は軍隊くらいのもんでしょう。かつ、国家レベルの脅威は考えられないという見積もりが、当時の運輸省・海保当局の一方的な見方ならともかく、関係省庁、さらには米国当局とも協議し同意を得たといいますし。もちろん、「米国がいいと言ってるんだからいい」と考えるだけでは無内容な権威主義でしかありませんが、「協議」したと言っているのですから、さすがにそこまで浅はかではなかったろうと思います。

 輸送に従事する船は全長約100m、排水量5,000総tの民間船で、衝突や座礁に備えた二重船殻構造も有していました。元は英国PNTL社(太平洋核輸送会社)の使用済み燃料運搬船「パシフィック・クレーン」で、これを日本の船会社が購入し、動燃が改造してチャーターしました。改造はやはり英国のBNFLに依頼し、国費でもって行われ(*)、費用はおよそ14億円。またチャーター費は月当たり1億6000万円でした(*)。日本国籍になってからの船名は「あかつき丸」といいますが、当初政府側は、輸送船を特定されると核物質防護上適当でないとして、船名を公表しなかったほどの警戒ぶりでした(*)。

 輸送船の改造は、協定実施取極附属書5のB「海上輸送」の部に定める指針に則って行われました。同指針では

  • 海上における積荷の移動を防ぐための措置を講じる。この措置には、艙口の開閉装置及び船上のデリック装置又はクレーンを作動不能にすることが含まれる。
  • 通常の航行通信機器とは別個の通信系であつて実用化された先端技術を用いた信頼性のあるものを装備する。この通信系は(i)輸送船からオペレーション・センターに輸送船の位置及び積荷の状況の情報を自動的に、かつ、安全確実に送信する能力並びに(ii)輸送船乗組員の介在なしに輸送船護衛者とオペレーション・センターとの間の別個の、かつ安全確実な通信を可能にする能力を有する。

ことを求めており、これを満たす改造が施されたとのことです。(*)

 あかつき丸は平成4年(1992年)11月7日、フランスのシェルブールで荷(COGEMAのラ・アーグ再処理工場から運び込まれた海上輸送コンテナ15基。中身は計133個のFS-47型輸送容器)(*)を船積みし、出港しました。運ばれた核物質は二酸化Pu約1.7t(1.1t・Puフィッサイル)です(*)。元は国内の電気事業者が持っていたもので、これを動燃が買い入れ、日本まで運びました(*)。フランス出港後すぐさま「しきしま」があかつき丸の護衛に就き、大西洋を南下して日本に向かいました。昭和59年の晴新丸はパナマ運河経由で日本に向かいましたが、あかつき丸は喜望峰回りのコースを取りました。その分、晴新丸より余計に時間がかかり、日本の港(茨城県東海村の原電東海発電所専用港)に入ったのは59日後の平成5年1月5日でした(*)。

 途中、テロリストの襲撃はなかった(もちろん、国家意思に基づく襲撃もなかった)ものの、環境保護団体「グリーンピース」の船に付きまとわれ、その船と「しきしま」が接触するという事件が起きています。要はぶつかったということです。また東海発電所専用港への入港時は、約800人の反対派が集まり、これに対して警備当局は海上警備に約870名、陸上警備に約1,100名を動員しました。(*)

 環境保護団体や反核団体は、とりあえずテロリストではないだろうし、また核物質の奪取・盗取をもくろむものでもないでしょう。しかしその一方で、核物質防護の観点、特に輸送経路の情報管理の面などで課題なしとはしない存在であることも明らかになった一件だったように思えます。

・Pu輸送史(4) 「あかつき丸」後

 新協定に基づく第1回の回収Pu返還輸送はこうして終わりました。ところで上でも既に触れた通り、当初の見込みでは、00年ごろまでのPu需要予想は計約40tほどあり、「90年代の後半にもなると相当の(Pu)不足が生ずる」と考えられていました。92年のあかつき丸による輸送は始まりにすぎず、航空輸送のめどが付くまで同じような輸送が何回も繰り返される…はずでした。しかし御存知の通り、今のところそうはなっていません。

 その理由は、Puの需要に変化が生じたから。とりわけ大きいと考えられるのが、ATR計画の取り消しとFBR計画の停滞です。

 まずATR計画について触れると、U・Pu混合酸化物燃料(MOX燃料)を使う動燃のATR原型炉「ふげん」は昭和54年(1979年)に運転を開始し、その3年後には原型炉に続く実証炉の建設計画が決まりました。実証炉建設の主体になると目されていたのは電発です。しかし計画は予定より遅延し、その間に軽水炉の経済性が向上し、またプルサーマル計画の見通しもついたことで、ATRでのPu利用を軽水炉で代替できる状況になってきました。このため平成7年(1995年)7月、電気事業連合会はATR実証炉計画の見直しを申請し、これを受けて翌8月、原子力委員会はATR実証炉の建設中止を決定しました。(*)

 その直後の平成7年12月8日、今度はFBR原型炉「もんじゅ」が冷却材の金属ナトリウム漏えい事故で運転を停止しました。原因調査と安全点検およびその報告には2年強を要し、ようやく平成10年(1998年)春に報告を行いました。とはいえこれで終わりではなく、さらに改造工事が必要ということになりました(*)。その後の経過を思い切りかいつまんで書くと、平成19年に改造工事終了、同年8月末からプラント確認試験が始まり、平成21年8月にプラント確認試験終了、そして平成22年1月から再稼働に向けた性能確認試験の準備に入り、同5月6日試験開始、5月8日に臨界達成(原子炉出力0.1%以下)。7月22日に性能確認試験が終わり、再び原子炉を止め、燃料交換と設備点検を経て今(2012年4月現在)は性能確認試験に続く40%出力プラント確認試験の実施を目指しているところです。本格運転はまだまだ先…

 「もんじゅ」に続く原電のFBR実証炉計画は、消えた訳ではなさそうですけれども、原型炉の「もんじゅ」が止まったままでは実証炉計画は進みません。一方でATR計画は取り消しになり、ATR原型炉「ふげん」についても、原子力委員会は平成10年2月に、適切な過渡期間(後に5年と決定)を経て運転を終了することを決定しました(*)。残るPuの需要先といえば、原子力機構((独)日本原子力研究開発機構)の高速実験炉「常陽」(*)と電力各社のプルサーマル計画くらい。需要量やその内容は1989・90年ごろの予想とは大きく食い違うことになりました。

 その結果、回収Puを単体で海上輸送することはなくなり、欧州側であらかじめ軽水炉用のMOX燃料に加工した上で、英国の船で日本に持って来るようになりました。この時、「しきしま」は護衛には就きません。これは、協定実施取極附属書5のBで定められた例外措置によるものです(協定実施取極附属書5、B「海上輸送」内2(a)(ii)項但し書き)。すなわち、「輸送計画に記載される代替安全措置が、武装護衛船による護衛のないことを効果的に補填する場合」には、武装護衛船を付けなくてもいいことになっており、MOX燃料の国際輸送はこの例外規程を利用して行われています。MOX燃料を軽水炉で燃やすプルサーマル計画は、私企業たる電力事業者が主体となって行う事業だということも考慮して、海保があまり表に出ない形を選んでいるようです(*)。

 具体的には、武装輸送船を2隻用意し、2隻が相互に護衛を行い、かつそれぞれの輸送船にはAEAC(英国原子力庁警察隊)の武装護衛官が警乗するという手法を取ることで、防護水準を確保しています。輸送に当たっては、日米原子力協定の実施取極附属書に従って米国側に輸送計画を文書通告するだけでなく、それ以前の段階でも米国側と協議して来たということです(*)。2隻の武装輸送船はPNTL社の船で、輸送の実施責任者はBNFL。海保は前述の通り随伴護衛を行わず、輸送船が日本の領海内に入ってきたら護衛を行うということになっていました(*)。この手法が、今のところ効果的な代替安全措置として認められています。ただし、MOX燃料ではなくPu単体を海上輸送する場合もこれでいけるとは限りません(*)。

1-2. 核物質防護―国内輸送

 さて核物質の国際輸送の項では、国際取極めに基づいてどういった警備・防護措置が取られているかというところを簡単に見てきました。そこでは、国内法令に基づく諸措置については触れませんでしたが、これは敢えて取り上げなかったというだけで、国内法令上の諸措置が存在しないことは意味しません。

 国内法令においても、核原料物質、核燃料物質及び原子炉等の規制に関する法律(昭和32年法律第166号、炉規制法)はじめ、同法施行令(昭和32年政令第324号)、および同法・同法施行令実施のための諸省令などによって、警備・防護措置を取ること含めあれこれと決めてあります。これら諸法令の規制対象は、核物質の輸送・使用・貯蔵・加工・製錬・廃棄、核燃料の再処理、原子炉等の設置・運転などとにかく広範囲に渡る訳ですが、本項では例によって核物質の国内輸送、わけてもPuの車両輸送に絞って取り上げようと思います。

・(1) PP序章

 炉規制法が制定された昭和32年(1957年)の時点では、日本には核物質防護という概念はまだ存在していませんでした。法令中にも、そんな単語は出て来ません。日本国内で核物質防護に関する動きが本格的に起こり始めるのは、炉規制法制定から約20年後の昭和51年(1976年)のこと。この年、総理府(当時)の原子力委員会(*)内に「核物質防護専門部会(PP専門部会)」が置かれました。設立趣旨は「内外諸情勢の変化に対応し、我が国の国情に即した核物質防護の在り方について調査検討を進め、所要の対策の確立に資するため」(*)です。

 この時点で原子力委員会は、日本国内においてこの先Puの取り扱い量増加が見込まれることから、核物質防護関連施策の充実が急務と考えていました。一方国際的にも、前年にIAEAがINFCIRC/225を制定するなど、核物質の盗難防止・核物質使用施設に対する妨害破壊活動防止を目的としたPHYSICAL PROTECTION関連の動きは活発化していると認識されていました。上記の「内外諸情勢の変化」とはこれを指しています(*)。Puは、まさしく核物質防護上の重要な要素でした。

 PP専門部会は、設置翌年の昭和52年(1977年)9月に第1次報告を原子力委員会委員長宛に行い(*)、昭和55年(1980年)6月には最終報告書「核物質防護専門部会報告書」を答申しました。この報告書は、昭和56年(1981年)3月の原子力委決定により、我が国における核物質防護の指針になるべきものとされました(*)。

 こうしておよそ5年がかりで作り上げられたPP専門部会の報告書の内容がどういうものかという詳述は避けますが、一言で表せば、これは当時のINFCIRC/225 Rev.1の内容を踏まえて作ったものでした(*)。核物質の輸送についてのみかいつまんで見ると、報告書の別表に「輸送中の核物質防護の要件」という項目があり、例えば最高度の防護措置を要する区分Iの物質(2kg以上のPuもこれに含まれる)を道路もしくは鉄道で輸送する場合、大体次のような措置を取るべしと決めてありました(*)。

  • 輸送方式及び経路の選定にあたっては、特別の事由がある場合を除き、輸送時間、経由地、積替回数及び積替時間が最小となるよう配慮すること。なお道路輸送の場合にあっては、緊急時における代替経路も併せて考慮し、かつ輸送の途中において積替を予定しないこと。
  • 輸送経路の選定にあたっては、特別な事由がある場合を除き、自然災害等による突発的な事態が生ずる可能性が少ない地区を通過するよう配慮すること。
  • 荷送人は、輸送中の核物質防護の実施に係る責任者(輸送責任者)を準備し、輸送に付き添わせること。道路輸送の場合は、輸送責任者を乗せた伴走車を付け、鉄道輸送の場合は、輸送を行う貨車内又はその直前若しくは直後の車両に輸送責任者を添乗させること。
  • 荷送人は、輸送中における警備人を準備し、輸送に付き添わせること。道路輸送の場合は、警備人を乗せた警備車を付け、鉄道輸送の場合は、輸送を行う貨車内又はその直前若しくは直後の車両に警備人を添乗させること。
  • 荷送人又は運送人は、輸送中、電話等により、あらかじめ指定した連絡場所(指定連絡所)への連絡を行い得るよう連絡通報体制を整備すること。なお鉄道輸送の場合にあっては、あらかじめ指定した各予定連絡停車駅において、指定連絡所へ連絡を行うよう措置すること。
  • 荷送人は、指定連絡場所との連絡の時間間隔又は連絡位置をあらかじめ定めておき、輸送責任者は、定められた通り指定連絡所に連絡を行うこと。
  • 道路輸送の場合、荷送人は、積載車両、伴走車及び警備車との間に相互無線による通報手段を確保すること。
  • 荷送人は、輸送容器又はコンテナーの開口部に、必要に応じ、錠及び封印を付けること。
  • 輸送責任者及び警備人は、出荷に先立ち、妨害行為が着手されていないことを確認するため、輸送手段を検査すること。
  • 警備人は、他の輸送手段への積替、他の積荷の積替及び通関時には、当該積荷を連続的に監視するか又は錠等を頻繁に点検すること。
  • 警備人は、輸送中、当該積荷又は付けられた錠等を頻繁に点検すること。この場合、道路輸送中にあっては、輸送中、積載車両を連続的に監視し、鉄道輸送にあっては、各停車地点ごとに、当該積荷又は有蓋貨車の錠等を点検すること。
  • 道路輸送の場合、警備人は、休憩等による停車時において、当該積荷を連続的に監視すること。ただし積載車両が有蓋車両である場合にあっては、当該有蓋車両の監視で足りる。
  • 荷送人は、治安当局等とあらかじめ打合せを行った上で緊急時における対応体制を確立しておくこと。

 正直なところ、割合ありていな内容で、「警備人」は最低何人揃えて得物はかくかくしかじか、警察の随伴部隊の規模・武装・警備内容はこれこれであるべし……といったダメヲタ好みの内容にはなってません。

 ともあれ、この報告書が答申されたことで、それ以降関係官庁はこの答申内容に沿う形で「所要の施策」を講じるようになりました(*)。ただし、報告書はあくまで「指針」扱いなので法的拘束力はありません。官庁側に新たな権限を付したものでも、さらには事業者側に義務を課すものでもなく、できるのは既存の法の運用のほかは行政指導どまり(*)。すなわちこの当時、2kgを超えるPuを輸送する場合であっても、警察との協議、通信連絡体制の整備、警備人の随伴などといった措置は必ずしも炉規制法上の義務ではありませんでした。

 もっとも、PP専門部会の答申の中で「我が国の核物質防護は(中略)現状は国際原子力機関のガイドラインを概ね満たし得るものとなっている」と書いてあるくらいなので(*)、警察との協議も警備人の随伴も抜きにして核物質大量輸送!などという無茶を実際にやる事業者はいなかったようですが。

・(2) 炉規制法改正による指針の法制化

 PP専門部会の答申直後の1980年代前半から中盤にかけては、既述の通り、答申内容を指針に用いた既存の法の運用および行政指導によって核物質防護措置が取られていました。一方、核物質防護に先行する形で、不慮の事故を防止するための安全上の措置については法令上の手当が進んでおり、これらの措置の一部は後に核物質防護とも関連を有するようになっていきます。輸送関連では、次のような法改正がありました。

  • 原子力基本法等の一部を改正する法律 (昭和53年7月5日法律第86号)
    炉規制法に59条の2を新設。同条は当初第1項から5項までという構成で、第5項にて、都道府県公安委が運搬証明書を発行し、かつ「災害を防止して公共の安全を図るため必要があると認めるとき」には核物質の運搬日時、経路その他総理府令で定める事項について必要な指示ができるようになった。
  • 核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の一部を改正する法律 (昭和61年5月27日法律第73号)
    炉規制法59条の2第4項・5項を1項ずつ繰り下げて第5項・6項とし、さらに第7項から12項までを追加。第11項にて、警察官が「災害を防止して公共の安全を図るため、特に必要があると認めるとき」に核物質の運搬車両を停止させ、運搬証明書の提示を求め、所要の検査や必要な限度での経路変更その他の適当な措置命令ができるようになった。

 PP専門部会の答申からおよそ10年が経過した昭和63年(1988年)、日本は核物質防護条約を批准し、これに伴い再度炉規制法を改正、ここでようやく核物質防護と直接関係する条文が炉規制法中に書き込まれることになりました。ところで国際輸送の項でも触れた通り、当時の核物質防護条約は、核物質を国際輸送する際に防護措置を取るよう求めたものであって、国内輸送のケースには触れていません。しかしこの時、条約が直接、明示的に義務付けたものではないにせよ、核物質防護上重要な事項についても法制化が行われました。

 条約とは直接の関係を有さない、核物質防護に関する改正内容というのは、前項で触れた昭和56年3月の原子力委決定を踏まえたもので、同決定の内容を炉規制法に反映させるという性格を有していました。なお、これまた前項で触れた通り、昭和56年3月の原子力委決定(およびその下敷きとなった昭和55年6月のPP専門部会答申)は、昭和63年の時点で既に指針として原子力行政に取り込み済みだったので、少なくとも実態面では、この法改正で何かが大幅に変わる訳ではない(*)とされました。

 昭和56年3月原子力委決定=昭和55年6月のPP専門部会答申の内容を法令中に反映させることにより、転じてIAEAのINFCIRC/225 Rev.1の内容をも炉規制法に反映させる、というところに昭和63年の炉規制法改正の意味がありました。こうすることで、国際的に通用しているガイドラインを、日本は法令に反映させて守っています、と発信できる(*)。あと、それまでは行政指導で実現していたものを、これからは炉規制法以下の法令にかっちり依拠して実現する形になる(*)ので、法治という観点からもより好ましいのかもしれません。

 具体的な法改正の内容は次の通り。

  • 核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の一部を改正する法律(昭和63年5月27日法律69号)
    事業者に対し特定核燃料物質の防護措置実施、及び核物質防護規定制定を義務化。
    関係大臣が事業者に対し、防護措置上の是正命令を出せるようにした。
    核物質防護管理者制度を創設。
    炉規制法59条の2第6項に定める都道府県公安委の指示が、災害防止目的だけでなく、特定核燃料物質の防護目的でもできるようになった。
    炉規制法59条の2第11項に定める警察官による措置命令が、災害防止目的だけでなく、特定核燃料物質の防護目的でもできるようになった。
    炉規制法72条にて、国家公安委員会又は海上保安庁長官が、公共の安全の維持又は海上の安全の維持のため特に必要があると認めるとき、核物質防護関連の条文の運用に関して関係大臣に意見を述べることができるようになった。
    炉規制法72条の2にて、特定核燃料物質防護のための規制に関して、内閣総理大臣・国家公安委員会・通産大臣・運輸大臣(いずれも当時)間で相互に協力することが定められた。

 より細々した中身は、法律より下の政省令の改正内容に反映されました。今回取り上げるものとしているPuの車両輸送について言うと、「核燃料物質等車両運搬規則」(昭和53年12月28日運輸省令72号、運搬規則)が相当します。

 当時の原子力関連の行政は今以上に縦割りで、核燃料物質の輸送は、原子力分野のものでありつつ、運輸行政の一環ということで運輸省が規制していました。この運搬規則のほかにも、炉規制法・炉規制法施行令を実施するため各種の総理府令・運輸省令・通産省令が多数分立していました。

 炉規制法改正がPP専門部会答申に依拠しているだけに、運搬規則の改正内容も同答申に基づき、運輸省では、答申の別表に示されている「輸送中の核物質防護の要件」中、陸上輸送にかかるものを定める方針を取っていました(*)。具体的な中身は、既に上の方で答申別表内の陸上輸送関係分をかいつまんで書き写してあるので、そこを見直してもらえればと思います。運搬規則は、炉規制法改正から約半年後の昭和63年11月24日に改正され(昭和63年運輸省令第35号「核燃料物質車両運搬規則の一部を改正する省令」)、車両でもって核物質を運ぶ際の防護措置が定められました。最も厳しい防護措置が求められるのは「特定核燃料輸送物」と呼ばれる荷物で、Puでいえば2kg以上が相当します(運搬規則2条2項8号、同17条の2)。

 また運搬規則改正の直後、平成元年2月27日に「核燃料物質等車両運搬規則関係取扱要領」という文書が当時の運輸省鉄道管理局長・自動車局長連名の依命通達として出ていて、この中で防護措置の内容をさらに細かく詰めています。ただし、その通達の中身は部外者にはあまり公開されてなさそう。国土交通省の告示・通達データベースシステム(http://wwwkt.mlit.go.jp/notice/index.html)で漁ってみても、結果は芳しくありませんでした……。

 昭和63年の運搬規則改正で新設された17条2で定める特定核燃料輸送物の防護措置とは、

  1. 特定核燃料輸送物を収納している運搬用コンテナには施錠及び封印を施すか、またはこれと同等以上の措置を講ずること
  2. 保安及び防護のために必要な連絡体制を整備すること
  3. 運搬責任者及び見張人を配置し、保安及び防護のため必要な措置を講じさせること
  4. 運搬責任者は、保安及び防護のために必要な措置について知識及び経験を有する者であること

 というもの。あまり大したことのない内容のようにも見えます……が、元々のPP専門部会答申/原子力委決定の内容が内容なので、運搬規則の改正内容も同様にありていなものになるのはある意味当然。そんな中でも、3番の「保安及び防護のため必要な措置」なるものの具体的な中身はとても気になります。しかし上記の通り、細部を詰めている運輸省の通達を実際に見ることができていないのでよく分かりません。ATOMICAを読む限りでは、やはり昭和55年6月のPP専門部会答申をなぞった中身になっているようですが(*)。

 行政指導で事業者に防護措置を取らせていた時代にあっては、核物質輸送時における警察との協議、通信連絡体制の整備、警備人の随伴などといった措置は必ずしも法令上の義務ではなかった……というのは前項で触れた通り。しかし昭和63年5月の炉規制法改正後、これらの措置は義務となり、措置が不十分な場合には事業者に是正命令が下され、かつこの是正命令は担保罰則付きになりました。措置の内容は行政指導時代と変わらないというけれど、拠って立つところが変わったのがこの時期。

・(3) 9.11から現在へ

 昭和から平成、20世紀から21世紀に時代が移り行く中、炉規制法は引き続きちょこちょこ改正されて来ましたが、核物質防護の上でインパクトが大きかった件といえば2001年(平成13年)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件でした。

 同時多発テロ後、少々間を置いてIAEAのINFCIRC/225が書き換えられてRev.4になり、一方国内では旧来の「国際組織犯罪等対策推進本部」が「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」に改組されました。同本部で検討されたテロの未然防止対策の中には、核物質防護対策を強化するための炉規制法改正もあり(*)、その後、この方針に沿う形で炉規制法が改正されました(平成17年5月20日法律第44号「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律の一部を改正する法律」)。法改正の内容に関する細かい説明は省きますけれど、ごく簡単に書くとこれはINFCIRC225/Rev.4に対応した法改正で、設計基礎脅威(DBT)概念の導入、核物質防護検査制度の創設、秘密保護制度の制定というのが肝でした(*)。

 核物質輸送関連ではまず、それまでの炉規制法59条の2が59条に繰り上がった点が挙げられます。ただし同条そのものは、繰り上がっただけで内容に変化はありませんでした。内容面でも変化があったのは、運搬規則が定める防護措置の方。こちらは、従来よりも警備を厳重にする方向に改められました。すなわち、炉規制法改正から半年後の平成17年12月に運搬規則17条の2が改正され、特定核燃料輸送物の防護に関し、既存の内容に追加して

  1. 妨害破壊行為等が行われるおそれがあり、又は行われたときにおいて、迅速かつ確実な対応ができるように緊急時対応計画を作成すること
  2. 防護に関する秘密の漏えいを防止すること

が必要になりました。これらは、当然ながらかつてのPP専門部会答申/原子力委決定には書かれていなかったものです。答申から20年以上を経て、遂に核物質防護は従来の枠を越え、新たな一歩を踏み出し始めたのです。

 なお、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災は、あれはあれで極めて大変な災害ではありましたけれど、核物質運搬時の防護という面に限って言えば、大きな変化はありませんでした(※施設防護の面では変化がありました)。せいぜい、原子力規制委員会設置法(平成24年6月27日法律第47号)制定に伴う炉規制法改正で59条の内容が一部変わり、同条2項に基づく主務大臣の確認が、原子力規制委員会による確認へと変わったくらい。陸上輸送時の核防護の詳しい中身を定めた運搬規則17条2は、特定核燃料物質の何たるかを定義した炉規制法施行令の条文改正に合わせて、整合性を取っただけ(原子力規制委員会設置法の施行に伴う国土交通省関係省令の整備に関する省令(平成24年9月14日国土交通省令第75号)第10条)。核防護の内容そのものには変化はありませんでした。

 現在(平成24年・2012年12月現在)、特定核燃料物質を車両輸送する際には、1980年代以来の防護措置に加え、前記の通り部分的に従来以上の厳しい措置を取ることになっています。

 まず、事業者が防護対象特定核燃料物質(炉規制法施行令2条)を運搬する時、「特定核燃料物質の防護のため特に必要がある場合として政令で定める場合」にあっては、運搬に関する措置が技術上の基準に適合することにつき、原子力規制委員会の確認を受けます(炉規制法59条2項)。同時に「特定核燃料物質を防護して公共の安全を図るため特に必要がある場合として政令で定める場合」にあっては、運搬を行う事業者が都道府県公安員会に届出を行い、運搬証明書の交付を受けます(炉規制法59条5項)。2kg以上のPuの輸送は、この要確認例・要届出例の双方に該当(炉規制法施行令48・49条)。

 実際に防護措置を取る第一次の責任は、事業者の側にあります。車両輸送の場合には、これまで触れて来た通り、輸送計画・緊急時対応計画の策定、輸送責任者・警備人の伴走、通信連絡体制の整備、積荷の施錠・監視などの防護措置を取らなければなりません。なお、警備人には武装の義務なし。

 こうした防護対象特定核燃料物質の輸送情報は、炉規制法68条の3で秘密保持義務が課せられた「防護に関する秘密」に当たるため公開されず、輸送の模様がメディア等々に捉えられるケースはあまりありません。とはいえ皆無というわけでもなく、動画サイトには「プルトニウムの輸送」の模様を撮ったと称する動画があります。そういった動画は大抵の場合「MOX燃料の輸送」を撮ったものであって、Pu単体の輸送場面を撮ってはいない訳ですが、しかしMOX燃料であってもPuの含有量が15gを超えると防護対象特定核燃料物質になります。よって運搬の際には公安委への届出を要し、さらに分量が多い場合は原子力規制委の確認も要ります。後者になると、手続きの上ではPu単体を運ぶ場合と実質変わりません。

 参考までに、2008年(平成20年)7月18日にYoutubeに掲載された、「もんじゅ」向けMOX燃料輸送の様子を撮った動画を見ると(http://www.youtube.com/watch?v=6McJW0CP5Kg)、まず輸送業者は日立物流。トラックは3台。車列の前後には輸送業者のワゴンが1台ずつ付き、さらのこのほかロゴなしのワンボックスカーが少なくとも1台随伴しているようです。途中、常磐自動車道守谷SAで休憩した時、警備に立っていたのはALSOKの警備員でした。

 一方警察側は、紙の上での話に限ると、防護対象特定核燃料物質の輸送に際し、必ず随伴護衛に付くべしと書いてある訳ではありません。しかし実際は、輸送車列には必要に応じてパトカー(PC)などを随伴させており(*)、上記のMOX輸送動画でも、車列の先頭と殿は茨城県警のPCが務めていました。

 また出発地・到着地・途中の休憩地では、随伴護衛とはまた別に警察が警備に就きます。これまた上記のMOX輸送動画を見ると、出発地の(独)原子力機構核燃サイクル工学研では茨城県警の機動隊が(出動服姿ではないものの)警備に当たり、また休憩地の守谷SAでも輸送車列に先んじてPC・大型輸送車を含む警察車両が来ていました。

 以上に加えて、警察は防護対象特定核燃料物質の車両輸送に当たり、防護と関連する特殊な権限を2つ持っています。

 第一は、都道府県公安委員会に輸送の届出がなされた段階での、公安委による必要な指示、並びにこれに必要な範囲での事業者からの報告聴取、警察職員による立入検査等(炉規制法59条6項、67条、68条)。つまり、事業者は該地の都道府県公安委員会に輸送の届出を行い、この時公安委が、輸送計画について治安の視点から口を出せるという訳です。それくらい当たり前だろ、と言ってしまえばそれまでですけど、核物質を運ぶのは警察ではないので、本来なら警察が口を出す事は出来ません。

 とは言え核物質が奪われたり漏れたりしてしまうと、その影響は計り知れぬというのは言うまでもなし。従って、治安維持の観点から警察当局は口を出して良い。もともとは、昭和53年の炉規制法改正で災害防止のために導入された手続きでしたが、その後昭和63年の炉規制法改正で、輸送時の核物質防護目的でもできるようになりました。この事前の調整作業が適切になされるならば、必要以上に情報は外に漏れず、輸送には安全なルートが選定され、輸送中の警察警備部隊と輸送担当者との意志疎通もきちっとできます。つまり、核物質が奪取される心配はない、はず。

 治安維持の要は事前の一手、予防こそが最良の手。しかし万全に立てたつもりの計画にも、意外な落とし穴があったりするかもしれない。そこで、輸送中に妨害破壊行為やそのおそれがある等、核物質を防護して公共の安全を図るため、特に必要があると認めるときは、警察は口だけでなく手も出せる。

 それが第二、輸送中に警察官が行う所要の措置命令です。具体的には「当該自動車又は軽車両を停止させ、これらの物を運搬する者に対し、運搬証明書の提示を求め、若しくは(中略)運搬証明書に記載された内容に従つて運搬しているかどうかについて検査し、又はこれらの物による災害を防止し、及び特定核燃料物質を防護するため、(中略)経路の変更その他の適当な措置を講ずることを命ずることができる 」(炉規制法59条11項)。必要あらば、警察官が輸送車両に止まれと言ったり引き返せと言ったり、車を止めて搭載物の状態をチェックしたりしても良い、ということです。これまた、それくらい当たり前だろ、と言ってしまえばそれまでですけど、核物質を運ぶのは警察ではないので、本来なら警察が口を出す事は出来ません。

 道路交通法に定める内容(一般的な交通規制(6条)、過積載車両に係る措置命令(58条3)、危険防止措置(61条)など)を越えて、特定の対象にあれこれ命じ得る権限というのは、警察といえどそう幾つも持っている訳ではありません。炉規制法上の定めを除くと、せいぜい消防法16条の5に規定する、危険物の移送に伴う火災防止のため特に必要あると認める場合における、移動タンク貯蔵所(要するにタンクローリー)に対する免状提示要求くらいでしょうか。しかも炉規制法は、免状提示要求にとどまらず警察官の判断による措置命令も許されている訳で、これはかなりのことです。防護の観点からは当たり前かもしれなくても、財産権や自由権の観点からすると結構特別。これも、もともとは、昭和53年の炉規制法改正で災害防止のために導入された手続きでしたが、その後昭和63年の炉規制法改正で、輸送時の核物質防護目的でもできるようになりました。

2. 核施設防護

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3. おまけの“J-NEST”

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主要参考資料;
原子力委員会核物質防護専門部会「核物質防護専門部会報告書」 (昭和55年版『原子力白書』第III部「資料編」2.「原子力委員会の計画及び方針等」項所収)
『動燃30年史』 編;動燃三十年史編集委員会 発行;動力炉・核燃料開発事業団 1998
『核燃料サイクル開発機構史』 編;サイクル機構史編集委員会 発行;核燃料サイクル開発機構 2005
北村隆文「MOX輸送の動向」(日本原子力学会不拡散・保障措置・核セキュリティ連絡会 2008年秋大会企画セッション資料)
『日米原子力協定(1988年)の成立経緯と今後の問題点』(平成22年度(財)日本国際問題研究所報告書) 著;遠藤哲也 発行;(財)日本国際問題研究所 2010
『核不拡散に関する日本のこれまでの取組みとその分析─原子力平和利用の信頼確立の要素と今後の課題─』(JAEA-Review 2010-40)、編;山村司ほか 発行;(独)日本原子力研究開発機構 2010
『原子力委員会月報』 編;科学技術庁原子力局
『原子力白書』 編;総理府原子力委員会/内閣府原子力委員会
『原子力安全年報』『原子力安全白書』 編;総理府原子力安全委員会/内閣府原子力安全委員会
『警察白書』 編;警察庁

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