ずばり、緊急事態です!

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 警察法71条にもとづく緊急事態の宣言。幸いなことに、これまで布告されたことはありません。60年の安保闘争・三池闘争時にも、70年代の学生紛争時にも布告されませんでしたし、平成7年のオウム事件の時も、結局布告には至りませんでした。まあ、それだけ日本の警察が優秀、というか強力、であるということなんでしょう。

 さてこの緊急事態なるものですが、どういう時に、どういう手続きを経て布告され、どういう効果をもたらすものであるか。前に別項にて一度取り上げたとは既記の通りですが、今一度ごく簡単に取り上げてみたいと思います。

 がしかし。その前に、警察の平時の姿についておさらいを。これまた別項でも既に触れたところですが、平時の姿を知ってこそ、有事の姿がいかに特殊なものであるかを理解できますから。

 すなわち。平時の警察は地方分権型であり、中央集権ではありません。警察庁と都道府県警察に分かれ、それぞれ国家公安委員会・地方公安委員会の監督下にあります。警察庁が地方の都道府県警を指揮する事は、基本的にはありません。また、A県の中では原則としてA県警の警察官しか権限行使できず、B県警やC府警や警察庁の警察官は、何もせぬままでは警察官として活動できないのです。警察官が警察官たりえるのは自県内のみ。これが平時の姿です。

 しかるに、こうした平時の状態であっても、ある程度の規模の危機対応はできるように工夫してあります。具体的には、警察法第5条、同じく第60条、そして第61条の3。

 警察法第5条には、国家公安委員会の任務と所掌事務が列挙してあります。従ってここに挙げられた事務については、国家公安委員会が(実質的には警察庁が)、地方の公安委員会・警察に対して指示を出す事ができます。ここには、制度の企画立案・予算・政策・教養/通信/鑑識関連など主として行政管理上の事項、及び国際関係、あるいは皇宮警察関係の事項が並んでいるのですが、その他に次のようなものもあります。

四 次に掲げる事案で国の公安に係るものについての警察運営に関すること。
 イ 民心に不安を生ずべき大規模な災害に係る事案
 ロ 地方の静穏を害するおそれのある騒乱に係る事案
 ハ 国際関係に重大な影響を与え、その他国の重大な利益を著しく害するおそれのある航空機の強取、人質による強要、爆発物の所持その他これらに準ずる犯罪に係る事案
(中略)
六 次のいずれかに該当する広域組織犯罪その他の事案(以下「広域組織犯罪等」という。)に対処するための警察の態勢に関すること。
 イ 全国の広範な区域において個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある事案
 ロ (略)

警察法第5条第2項

 ここに挙げられた公安に係る事案や広域組織犯罪については、国の警察が司るものであるとして、処方の如何について警察庁が地方の警察へ直接「指示」を出す事ができるのです。公安関係の事案については、警察の運営内容について細かく指示を出す事ができます。広域組織犯罪については、そこまで細かく指示は出せませんが、各警察がいかなる態勢でもって広域組織犯罪に対峙すべきかの指示は出せます。

 長官は、広域組織犯罪等に対処するため必要があると認めるときは、都道府県警察に対し、広域組織犯罪等の処理に係る関係都道府県警察間の分担その他の広域組織犯罪等に対処するための警察の態勢に関する事項について、必要な指示をすることができる。
2 都道府県警察は、前項の指示に係る事項を実施するため必要があるときは、第六十条一項の規定(註.援助の要求)により他の都道府県警察に対し広域組織犯罪等の処理に要する人員の派遣を要求すること、第六十条の三の規定(註.広域組織犯罪等に関する権限)により広域組織犯罪等を処理するためその管轄区域外に権限を及ぼすことその他のこの節に規定する措置をとらなければならない。

警察法第61条の3

 警察法第60条では、警察の応援について定めてあり、また第60条の3では、広域組織犯罪対策のため必要な限度で管轄区域外で権限行使できる旨が定めてあります。

 かくして、平時の状態であっても、重大な事案については、警察庁が地方警察に対して運営・態勢を指示する事ができます。とはいえ、もちろん、実際にその運営内容を実現したりまた態勢整備をしたりするためには、平時の手続きに従う必要があるのですけれども。事案対処のために多くの人員や専門要員が必要とあらば、第60条でもって公安委員会を通して他の警察に応援の要求を出す、というのはその典型です。

 例えばの話、某県で航空機のハイジャック事件が発生したとして。犯人は高度に訓練されたテロリストで、銃器・爆発物、さらには化学兵器さえも所持しているおそれがある、などという場合。国家公安委員会が、警察法5条にいう「国の公安に係るもの」だと認定すれば、警察庁は、警察の運営について指示を出す事ができます。SATとNBCテロ対応専門部隊の応援を求めるべし、というような。場合によっては、現場指揮官の派遣も可能かもしれません。ただし、実際に人員が派遣され現場で活動できるようになるためには、当県の公安委員会から、しかるべく応援の要求が出される必要がある、という事です。さすがに、警察庁の指示を根拠に即座に警察官を派遣、という訳には行きません。

 こうした応対で済むのが平時の話。これでは済まないとなると、警察法第71条の出番です。

 まずは、緊急事態布告の要件について。71条の条文には、「大規模な騒乱その他の緊急事態に際して、治安の維持のため特に必要があると認めるとき」に布告できるものと書いてあります。大規模な騒乱云々の具体的内容として想定されている事態は、例えば複数の府県にまたがる大規模な騒乱、しかも方々で同時多発的に、長期に渡って騒乱が発生しているような場合。あるいは、規模は小さいながらも相当強力な武器が使用されている場合。などなど。こういった場合であって、しかも通常の態勢では治安維持に支障をきたすと考えられるときに、布告ができます。

 続いては、布告の手続きについて。71条の条文には、「内閣総理大臣は(中略)国家公安委員会の勧告に基づき」「全国または一部の区域について」布告できるものと書いてあります。治安を維持するのは警察、国において警察を直接監督しているのは国家公安委員会、ということで、国家公安委員会から勧告があったときに緊急事態の布告ができる。総理が勝手に布告しようとしても、そうはできないことになってるんですね。

 また布告をなした場合は、布告から20日以内に国会の承認を求める必要があります。仮にここで不承認となった場合、総理は直ちに布告を取り下げなければなりません。

 最後は、布告のもたらす効力について。一言で言ってしまうと、緊急事態布告は警察を一時的に中央統制下に置き、職務執行体制を強化します。

 緊急事態の布告がなされると、まず内閣総理大臣は警察庁を直接その統制下に置くことができ、警察庁長官・管区警察局長は直接各都道府県警察本部長を指揮することができます。また布告がなされた地域内では、どこの警察官であろうとも権限行使が可能です。例えばの話東京都に緊急事態布告がなされたとして、福岡県警察の部隊が警察庁長官の命令で応援派遣されたとすると、彼らは東京で福岡にいるのと同じように権限行使ができるのです。平常時なら、他府県の応援部隊が行った先で権限行使するためには、派遣先の公安委員会が派遣元の公安委員会に応援要請をするなど、いろいろ手続きがいるんですが、緊急事態の布告がなされると、そんな手続きが一切不要になります。総理や警察庁長官の判断だけで、自由にばんばん部隊の投入ができちゃう。

 もっとも、職務を執行する警察官の権限そのものは、緊急事態布告の前でも後でも変わりません。組織としての警察は中央集権化され応援投入がやりやすくなるけど、権限までが強くなるわけではないんです。武器の使用基準が緩くなったりだとか、身柄の拘束がしやすくなるとか、そういうことにはなりません。

 もともとこの緊急事態の規定が作られたのは現行警察法の制定時、すなわち昭和29年のことでした。当時は共産党による「火炎瓶闘争」の余韻まだ覚めやらぬ時期で、治安かく乱要因の最たるものといえばデモや騒乱、これに対する最大の対策はとにかく警察官の頭数を揃えること…… という訳で、結果このような規定に落ち着いたようです。布告要件となりうる緊急事態の例として挙げてあるのが「大規模な騒乱」であるところにも、時代の香りが漂います。

 しかるに現在ではデモや暴動などはめっきり減り、警戒すべき対象は訓練された要員による強力な武器を用いたテロ攻撃へと移っています。上に書いた緊急事態の例でいえば、規模は小さいながらも相当強力な武器が使用されている場合、というものになります。具体的には、例えば、テロリスト集団が都市部で破壊活動を展開し被害多発、警察部隊が摘発に向かうも逃げ足の速い相手で手がかりつかめず、という場合とか。あるいは例えば、国籍不明の武装部隊が原発を占拠、警察部隊が鎮圧に向かうも激しい抵抗で近寄ることさえ不可、という場合とか。

 こういうケースへ対処するには、警察官の頭数もさることながら、相手の装備や抵抗に見合うだけの鎮圧手段・権限の方がむしろ重要でありましょう。ので、組織の一時的統制強化と応援投入の簡便化にとどまる警察法の現行規定は、いささか腰が重いという見方もないではない? まあ、この辺はいろいろ見方の分かれるとこなのですが…

 なお、この緊急事態の布告を以ってしても治安の回復がなされ得ない時は、自衛隊が治安出動して事態の制圧に「協力」することになります。

 ところで。敢えて「協力」と書いているので分かってもらえると思いますが、自衛隊の治安出動は、警察への協力を基本とするのであり、警察の仕事をまんま肩代わりすることではありません。詳しくは「自衛隊もし戦わば」の治安出動コーナーを見ていただくことになりますが、まず、自衛隊の治安出動に当たり、防衛庁長官と国家公安委員会は密接に連絡を取らなければなりません。かつ、出動した自衛隊と警察の協力に関して、防衛庁長官と国家公安委員会の間にはあらかじめ協定が結んであります。

 また治安出動した自衛官は、武器使用権を初めとし警察官職務執行法にもとづく各種の権限を与えられますが、警察官と同等の権限を持つには至りません。警察官は犯罪を捜査し、令状を請求し、被疑者の逮捕や証拠品の捜索収集を行います。これらの権限を、自衛官が行使することはできません。

 例えばの話暴動があったとします。これに対して治安出動した自衛官は、挙動不審者がいれば職務質問をかけて警察署への同行を求め、また犯罪の危険があればこれを制止し、危険にさらされている人を避難させ、負傷者があれば保護します。危害の発生や発生した危害の拡大防止のため必要とあらば、緊急に土地・建物の中へ立ち入ることができます。そして事態鎮圧のために、必要な範囲内で武器を使用します。犯罪行為を目撃すれば、現行犯逮捕することもできます。

 しかし、こうして鎮圧した暴動を「捜査」することはできません。現行犯逮捕した暴動参加者は、司法警察職員=警察官に引き渡さなければなりません。参加者の事後検挙を行う場合でも、証拠を収集し令状を請求し逮捕を行うのは警察です。暴動の首謀者探しは、もちろん警察の仕事です。

 また治安出動した地域内で、暴動とは別に起こる盗みやけんかや殺しや交通違反やその他もろもろの犯罪について、捜査し検挙するのは警察です。

 治安出動した自衛隊部隊は、出動した地域の「公共の秩序」を維持します。あるいは、事態を「鎮圧」します。しかしそれだけ。警察の肩代わりをして犯罪捜査(その他あれやこれやの許認可行政)までやるわけではありません。

 そんな訳で、自衛隊が治安出動したからと言って、警察がいらなくなる訳では決してない。そもそも日本において治安を維持するのは警察、その役割は極めて重大なのです。

 なお、先に、緊急事態の布告があっても警察官の権限そのものには何らの変化もないことを書きました。自衛官の権限についてもそうで、緊急事態の布告があってもなくても、治安出動した自衛官の権限に違いはありません。

 
   
主要参考文献;
『現代地方行政講座6 警察消防行政他』 編;今村均 刊;ぎょうせい 1979
『平和・安全保障と法 ─防衛・安保・国連協力関係法概説─』 編;防衛法学会 刊;内外出版株式会社 1997

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