デモ隊からゲリコマへ

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 前章では、1960年・70年安保闘争の際における自衛隊の治安出動準備について概観しました。直前になって慌てて縄をなった60年、その経験に鑑み事前にみっちり準備を整えた70年。どちらも、治安出動の暁には暴徒鎮圧に従事することが想定されていました。しかるに60年70年いずれも、実際に治安出動にまで至ることはなし。……で、その後一体どうなったか? それを本章で扱います。時期としては、70年安保終息後から現在まで。

 70年安保闘争が終わると自衛隊が治安出動する可能性は低くなり、治安出動に対する自衛隊の関心もまた急速に薄れて行きました。70年代半ば以降、元号で言えば昭和50年代以降ともなると、自衛隊の治安出動が話題になることも隊内で治安出動関係の教育訓練が行われることもほとんどなくなりました。陸上自衛隊を例に取ると、昭和61年(1986年)の時点で、陸自の学校で行われる治安行動関係の教育は幹部に対するもののみ、陸士・陸曹に対する教育はなし。部隊においても治安行動に関する特別な教育訓練は行われず、ただ、普通科部隊を主体に、施設警備を中心にした駐屯地等の警備訓練をやっていたとの事でした(*)。まあ、やってない事はないけれどね…という程度のものでしょうか。

 一頃の盛況ぶりがまるでウソのような泰平の世は、20年ほど続きました。1970年代半ば以降、80年代を通し、90年代初頭まで。しかし、そんな平穏がいつまでも続くものではなく……90年代に入り、文字通り、事態を一変させてしまう事件が起きます。そして再び、自衛隊は治安出動と向き合うことになる。

平成6年──「北」の衝撃

 最初の衝撃は、1993〜94年頃に起こった北朝鮮の核開発問題です。北朝鮮の核問題は、以前から懸案事項となっていたものではありました。しかしこの時期は、それまでとは明らかにトーンの異なる、「危機」と呼んでも過言ではない大問題に膨れ上がったのです。

 当時の流れを簡単におさらいすると、まず平成5年・1993年2月、北朝鮮はIAEAによる核関連施設への特別査察要求を拒否。翌3月にはNPTからの脱退を宣言し、5月には日本海に向けて弾道ミサイルの発射実験を行いました。6月以降アメリカと北朝鮮の直接協議が始まり、北朝鮮はNPT脱退を一旦は留保します。年が改まって94年3月、ようやくIAEAによる核査察が行われますが、北朝鮮側の抵抗に遭い、十分な査察は行うことができませんでした。韓国と北朝鮮の南北実務者協議の場で、かの有名な「ソウルは火の海になるぞ」発言がなされたのもこの頃です。5月になると北朝鮮は、原子炉から核燃料棒を抜き取る動きを見せます。燃料棒を抜き取られると、再処理がなされたかどうか査察で確認できなくなってしまう。燃料棒の再処理はプルトニウムの抽出を意味し、抽出されたプルトニウムの用途はといえば…

 こうした北朝鮮の動きはNPT体制への挑戦であり、NPTの番人IAEAは平成6年・1994年6月に北朝鮮制裁を決議。すると北朝鮮はIAEAからの即時脱退を表明。北朝鮮の核問題はついに国連安全保障理事会の場に持ち込まれ、アメリカから安保理に制裁決議案が提出されます。北朝鮮の態度は強硬そのもので、安保理で制裁が決議されれば、あるいは戦争になるかもしれません…。事態は一触即発、国境を接する韓国の雰囲気は、絶望そのものだったといいます。

 もはやこれまでかと思われた、その時。アメリカのカーター元大統領の北朝鮮訪問を契機に、戦争は寸前で回避されました。7月には米朝の直接協議が再開され、後に両国は、関係正常化交渉を開始すること/北朝鮮は既存の黒鉛減速炉および関連施設(※プルトニウムの生産に有利)を凍結して軽水炉に転換し、米国がそれに協力すること/黒鉛減速炉の凍結後、軽水炉完成までの間の代替エネルギーとして米国が重油を提供すること/北朝鮮はNPT体制にとどまること等に合意しました。いわゆる「枠組み合意」です。

 世に「第1次核危機」とも称されるこの件に関連し、いざ開戦とならば日本国内で各種の事態が発生するであろうことを予期した自衛隊は治安出動を考えていた……という報道があります。この核危機に際しては、いわゆる「1059項目要求」に代表されるように、対米支援のあり方如何が問われたということがよく言われます。しかしそれだけでなく、日本独自の問題として国内に火の粉が飛んだ場合の対処、とりわけ北朝鮮の特殊部隊による攻撃をどう防ぐかという問題があったとのことです。(*)

 報道によると、核問題は容易に解決しないと見抜いた当時の石原信雄官房副長官(事務)の指示で、平成5年・93年の秋頃から事態対処に関する検討を内々に開始。ただし、外交・内政両面での問題から、表立っては動けませんでした(*)。対米支援のあり方を筆頭に検討課題は数多くありましたが、国内警備の問題については、平成6年・94年の春に当時の富沢暉陸幕長と菅沼清高警察庁警備局長が会談を持ち、これ以降検討が進みます。

 富沢・菅沼会談の内容は、いざ開戦となった場合に予想される北朝鮮特殊部隊による攻撃への対処について。具体的には、日本海側にある原発をどう守るか、ということです。警察力には限界があることから、自衛隊による対処が模索されました。会談後、防衛庁内で双方の実務者による協議が行われ、さらに一部の原発については自衛隊・警察合同での視察も行われたとか。実際に自衛隊が出るとして、具体的にはどうするか。防衛出動は困難、出来てせいぜい治安出動だろう、警備に当たっては原発のフェンスの外周に部隊を配置し、内周には対人地雷を敷設する計画だった、etc。(*)

 こうした話について、自衛隊の側からコメントは何もありません。報道内容が事実だという確認はなされていない。しかし、あり得る話ではあります。治安出動なんて暴徒鎮圧のためのもの、安保闘争の時代ならいざ知らず今の世では過去の遺産……そんな過去の遺物に再び光を当てるきっかけが、実はこの核危機だったのではないか? 内々、秘密裏に検討されたという事情ゆえに、当時を知る人はなかなか口を開いてくれないようですが、これは結構ありそうな話なんじゃないかと。

 核危機からおよそ3年後の1996年・平成8年4月、当時の橋本龍太郎総理大臣は、「我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態」への対処のあり方について検討するよう指示を出しました。具体的には、1. 国外の緊急事態に際しての在外邦人などの輸送、2. 大量避難民対策、3. 沿岸・重要施設の警備、4. 対米協力措置、の4項目です(*)。興味深いことに、これらはいずれも、核危機の際に問題化したとの報道がなされている案件でした。わけても、項目その4「対米協力措置」──これは後に日米安保再定義・周辺事態関連諸法へと繋がって行きます──は、まさしく核危機の経験を踏まえて出された指示だと見る向きもあります(*)。まあ、当局者がはっきりそうだと認めた訳ではないのですが。しかし、確かにありそうな話、それっぽい話ではあります。でもって、ここで注目したいのは、やはり項目その3「沿岸・重要施設の警備」です。

 沿岸・重要施設の警備に関する検討の具体的内容は、「現行制度についての整理・検討を踏まえ、事案が発生した場合などにおける官邸などへの報告要領、政府対策本部の設置、警察・海上保安庁では対処できない場合などにおける自衛隊を含めた対応など」だとされています(*)。先の核危機の時には、日本海側の原発警備が大問題になったということでしたが、平成8年の指示では「重要施設」というだけで、原発に限ってはいません。また、指示中に「治安出動」の文字を見出すことはできませんが、だからといって治安出動が検討対象外だったということではなく、後年に現れる検討の成果と思しき動きは治安出動関係にも及んでいます。

 平成8年に始まった緊急事態対処の公式検討は、在外邦人等の輸送については自衛隊法の改正(平成11年)、対米協力措置については周辺事態安全確保法の制定・物品役務相互提供協定の締結(平成11年)、といった形で結実します。大量避難民対策については不詳ですが、本章の注目対象たる沿岸・重要施設の警備については、前2者からやや遅れ、平成12年から13年にかけて実を結んで行きました。例えば自衛隊によるゲリラ掃討訓練の実施、例えば警察と自衛隊の間で締結した協定の全面改正、そして中期防衛力整備計画に「重要事態対処」が盛り込まれる、というように。

 70年安保の終息以降、正規の部隊同士が激突する正規戦の訓練ばかりを行って来たと言っても良いであろう自衛隊──陸自が、不正規戦に属するところのゲリラ掃討訓練を行い始めたのは、平成12年頃からだと言われています。

  • 平成12年3月 西部方面隊が日出生台・十文字原演習場において、対遊撃行動演習を実施。1個普通科連隊を基幹とする約600名の隊員が参加し、野外でのゲリラ掃討要領に関する訓練を行う。(*)
  • 平成13年2月13日〜16日 第4師団第41普通科連隊が、別府駐屯地において、対遊撃行動演習を実施。41普連の隊員約100名が参加し、市街地でのゲリラ掃討要領に関する訓練を行う。駐屯地施設を市街地に見立て、建物に10人程度のゲリラが立てこもっているとの状況想定で行われた。13日に報道陣に訓練を公開、15・16日に本番の訓練を実施した。(*)
  • 平成13年11月 第11師団第10普通科連隊が、東千歳駐屯地において、対遊撃行動演習を実施。10普連の中隊規模の部隊が参加し、ゲリラや特殊部隊対処の市街地戦闘訓練を行う。駐屯地施設を市街地に見立て、建物内の敵に対する偵察、突破口の啓開・突入、撃滅・掃討までの一連の行動を演練した。なお、同訓練は日米共同実働演習の一環として行われたものであり、米第4海兵連隊の1個大隊が訓練に参加している。(*)
     (以降省略)

 厳密に言えば、平成12年頃から対遊撃行動演習が行われるようになった正確な理由は明らかではありません。平成8年以来の検討の進展によるものなのかもしれない、あるいは平成11年3月に起こった能登半島沖不審船事件が影響しているのかもしれない、もしくは他の別な要因によるものか……。

 ここで、白書を見てみると、まず平成12年版『日本の防衛』(防衛白書)に曰く。緊急事態対処の一たる沿岸・重要施設の警備の分野において、武装工作員などによる破壊活動など平時の不法行為は、第一義的には警察・海保が対処すべき事案である。しかしながら、「警察機関では対処が不可能又は著しく困難と認められる事態が発生した場合には、海上警備行動や治安出動により自衛隊が対処することになる」「さらに、事態が外部からの武力攻撃に該当する場合には、防衛出動により対処することとなる。」(*)

 これはつまり沿岸・重要施設を警備するに当たり、不正規戦部隊の活動の態様に応じ警察機関/海上警備行動・治安出動/防衛出動を使い分けて対処する、ということです。場合によっては警察機関にお任せしたまま、しかし場合によっては治安出動、あるいは防衛出動することもあり得る。このように、武装工作員等の侵入・攻撃から沿岸・重要施設を防護するため治安出動・防衛出動を行う旨を白書に明記したのは、平成12年版が初めてです。

 過去の白書において、沿岸・重要施設警備に関してどのような記述がなされていたかといえば、平成8年に総理から検討の指示があり現在検討中である……といった内容であることが通例でした。それが平成12年版になって初めて、治安出動や防衛出動による沿岸・重要施設警備/不正規戦部隊対処を視野に入れた、踏み込んだ記述に変わったわけなんですが、平成12年といえば、ちょうど対遊撃行動演習が始まった時期です。

 翌々年の平成14年版白書では、かつて平成8年に総理の指示で緊急事態対処の検討が始まったことに触れ、その上で、起こり得る「各種の事態」への対応の一に「不審船・武装工作員などへの対応」を挙げる。そしてこのために行われた諸訓練(まさに上で挙げたものです)は、「武力攻撃事態としてのゲリラや特殊部隊への対応のみならず、武力攻撃事態に至る前の種々の事態の対処にも有効であると考えている」旨を記しています(*)。対遊撃訓練を、平成8年の検討以来の流れの中で取り上げています。

 と、いうわけで。平成12年頃に始まった対遊撃行動演習は、平成8年の指示に基づく検討課題「沿岸・重要施設の警備」の延長線上にあり、一定の関係を有するものだと考えてもよいでしょう。

 治安出動に特化した事項としては、平成12年〜13年にかけて行われた、警察との協定の全面改正が挙げられます。「治安出動の際における治安の維持に関する協定」(基本協定)が平成12年12月に、「治安出動の際における治安の維持に関する細部協定」(細部協定)が平成13年2月に、それぞれ全面改正されました。基本協定は昭和29年・1954年、細部協定は昭和32年・1957年に締結されたものですから、実に40年以上の時を経て生まれ変わった訳です。なお、細部協定の改正に伴い、従来は別に定めることとしていた通信面での協力に関する事項も細部協定に一本化され、旧来の「治安出動の際における自衛隊と警察との通信の協力に関する細部協定」(昭和33年10月27日)および「治安出動の際における自衛隊と警察との通信の協力に関する実施細目協定」(昭和35年3月29日)は廃止されました。

 前項でも触れた通り、元々これらの協定で挙げられていた任務内容は「暴動の直接鎮圧」に「防護対象の警備」。明らかにデモ警備・暴動鎮圧を主眼としており、少数の武装工作員へ対応することは想定されていませんでした。これが平成12年12月以降改められ、改正趣旨はずばり、「改正前の基本協定及び細部協定が締結当時の情勢を反映して暴動を想定したものであったことから、これを現在想定されるような武装工作員等による不法行為を始め、様々な事態に柔軟に対応することができるようにするため、任務分担に関する規定等について所要の改正を行ったものである(*)」。

 全面改正後の基本協定では、従来「任務分担」とされていた項目の名称が「事態への対処」と変わり、挙げられた任務内容も「暴動の直接鎮圧」「防護対象の警備」から「治安を侵害する勢力の鎮圧」「防護対象の警備」に変わりました。また任務分担のあり方についても、従来のように「逐次後方の防護対象より」あるいは「主として、中核体と目される暴徒」といった具体的な限定を付することはやめ、「事態の状況等に応じた具体的な任務分担を協議により定め」るという記述に変わっています。さらに、治安を侵害する勢力の鎮圧に関し警察力が不足する場合、自衛隊・警察が協力して鎮圧に当たりつつ、その任務分担は「(相手)勢力の装備、行動態様等に応じたものとする」と定めてあります(基本協定3条「事態への対処」)。

 治安侵害勢力の鎮圧に自衛隊が協力するに当たり、その任務分担はあらかじめこうと決まっている訳ではなく、協議によって定められる。かつその任務分担は、相手の「装備」や「行動態様」に応じて決められる。つまり、装備が強力であったり行動が活発・凶悪であったりすれば小規模な勢力であっても自衛隊・警察の共同対処の対象となり得るし、任務分担協議の中身次第では警察より自衛隊が前に出ることもあり得る、ということです。

 さらに平成13年は、新しい「中期防衛力整備計画」が始まる年でもありましたが、ここでも緊急事態対処に関連する動きが見られます。

 日本の防衛力整備の大方針を定めた「防衛計画の大綱」(防衛大綱)の下で、具体的な防衛力整備計画を定めているのが「中期防衛力整備計画」(中期防)。当時の防衛大綱は、基盤的防衛力整備構想を踏襲しつつ防衛力の合理化・コンパクト化を目指した平成8年防衛大綱、中期防は基幹部隊の見直し(削減)を掲げた平成8年中期防でした。平成8年中期防の期限は平成12年度一杯であり、平成13年4月からは新しい中期防が始まります。この新しい平成13年中期防では、防衛大綱に掲げられた防衛力の合理化・コンパクト化を進めることと平行し、必要な機能の充実と防衛力の質的向上を図る際の留意点として、「ゲリラや特殊部隊による攻撃」への対処能力を向上させることが明記されました。

 一応、平成8年の中期防でも、必要な機能の充実と防衛力の質的向上は目標として掲げられています。しかし、その具体的な内容までは示されていませんでした。また、防衛力整備の主要な事業内容も、「防空能力」「周辺海域の防衛能力及び海上交通の安全確保」「着上陸侵攻対処能力」を柱とした直接侵略対処重視のものでした。これに対し平成13年中期防では、機能充実・質的向上の際の留意点を明示し、そこに情報セキュリティ・サイバー攻撃対処、災害派遣能力などと並び、ゲリラや特殊部隊による攻撃およびNBC攻撃等への対処能力を挙げました。また防衛力整備の主要な事業内容にも、防空など既存の3能力に続けて新たに「ゲリラによる攻撃等各種の攻撃形態への対処能力」を挙げ、不正規戦部隊対処能力の構築を具体的な目標として定めたのです。

 この新しい中期防に基づき、平成13年からゲリラ・特殊部隊対処のための様々な施策が展開していくことになります。内容は、「ゲリラや特殊部隊による攻撃に的確に対処できるよう、実動訓練の実施、留学、装備の整備、都市型の訓練施設の整備、監視機材、警備機材等の充実により、各種監視能力の向上、部隊の機動性の向上、対人戦闘能力等の高い要員の養成、専門部隊の編成準備等」(*)といったものです。その具体例を、平成13年を中心に見てみますと…(*)

  • 離島対処専任部隊である西部方面普通科連隊を平成13年度末に新編。以降、離島対処訓練を実施。
  • 第1師団を改編。戦車・火砲を抑制する一方、機動性を向上させた。いわゆる「政経中枢師団」化。
  • ゲリラ・特殊部隊の攻撃に対処する専門部隊の編成準備に着手。14年度には教育目的で米国へ要員を派遣。
  • 高度に都市化・市街化が進んだ日本の地理的特性に鑑み、都市型訓練施設を東富士演習場に整備する。平成13年度中に調査工事を実施、14年度より施設の整備に着手。 (*)
  • 海岸地域より隠密裏に侵入するゲリラ・特殊部隊を早期に発見・阻止するための沿岸監視器材、同じく駐屯地への侵入を早期に発見・阻止するための駐屯地警備器材、および暗視器材を整備。

 平成6年の北朝鮮核危機に端を発した緊急事態・不正規戦部隊への対処問題は、平成8年に総理の指示による危機管理4案件の一つ「沿岸・重要施設の警備」として検討が進み、平成12年には実際の訓練を実施し、警察との間の協定を改正。そうして平成13年に至り、防衛力整備計画において、自衛隊が持つべき主要な能力として位置付けられるまでになったのです。

平成13年──テロの衝撃

 平成6年の「北の衝撃」で浮上した緊急事態・不正規戦部隊への対処問題。これは、平成13年の「テロの衝撃」を受け、さらなる発展を見せて行きます。

 2001年・平成13年9月11日にアメリカで同時多発テロが発生すると、その影響はたちまち日本にも波及しました。アメリカの同盟国にして国内に多数の米軍基地を抱える日本においても、アメリカを狙ったテロが発生するのではないか。もしくは、アメリカの同盟国という点から日本そのものを狙ったテロが発生するのではないか。そのような事態に至った場合、自衛隊は有効に対処できるのか。

 同時多発テロから2ヶ月近くが経過した平成13年11月2日、いわゆるテロ対策関連法の一つとして、自衛隊法の一部を改正する法律が公布されます。同法では幾つもの新しい規定が設けられましたが、治安出動と関係深いものとして挙げられるのは、隊法79条の2「治安出動下令前に行う情報収集」、同90条1項3号(治安出動時の武器使用権の追加)、同92条の2「治安出動下令前に行う情報収集の際の武器の使用」(※後に繰り下げとなり、平成20年1月現在は92条の4)です。

 最初は、隊法79条の2「治安出動下令前に行う情報収集」について。この条文は、武装工作員等が日本に侵入し治安出動の下令が予想される緊迫事態、その際に内閣総理大臣が速やかに、適切に治安出動の下令に係る判断ができるようにと定められました(*)。79条の2が特異なのは、自衛隊の部隊が武器を携行して情報収集に当たることができる、というところです。かつ、その携行した武器は、隊法92条の2「治安出動下令前に行う情報収集の際の武器の使用」に基づき、自己及び自己と共に職務に従事する隊員の防護のため使用することができます。

 いかに緊迫事態とはいえ、治安出動がいまだ下令されていない以上は平時。従来、自衛隊が平時に行う情報収集といえば、防衛庁設置法5条(※当時)に基づく防衛庁の所掌事務に係る調査・研究たる情報収集活動を指しました。治安出動下令前に、その判断に関わる情報収集をする「だけ」ならば、従来通り庁法の条文を根拠に行うこともある程度可能です。しかるに庁法の条文だけでは、武器もて情報収集ということはできません。武装工作員等が日本に侵入し治安出動の下令が予想される緊迫事態にあっては、丸腰の情報収集というのはいかにも危険。では、武器を携行した部隊を出し、最低限の武器使用権限をも与えた上で情報収集をさせよう。こういう考えを反映したのが、隊法79条2・同92条2です。(*)

 続いては、隊法90条1項3号について。これは、強力な武器を所持している、あるいはその所持が疑われる者が、暴行脅迫を実行する、あるいは実行に及ぶ高い蓋然性があり、武器を使用するより他に鎮圧・防止のための適当な手段がない場合に、武器を使用して良い、というものです。従来、治安出動時の自衛隊は、隊法89条に基づき準用される警職法7条/隊法90条1項1号・2号/場合によっては隊法95条により武器を使用することができました。しかしこれらの規定では、武器を使用し得るのは、警護対象の防護のため(隊法90条1項1号、同95条)、多衆が集合しての暴行・脅迫に及ぶ、ないしはその明白な危険がある場合(隊法90条1項2号)、凶悪犯等が抵抗しあるいは逃走しようとする場合(警職法7条)などに限られており、これでは不備だと考えられたようです。

 少人数ながら強力に武装した者(いわゆる武装工作員やテロリストなどはまさに!)が相手の場合、多衆集合の規定はあてはまりません。警護対象防護の規定は、その対象への直接の危険・対象防護のための直接の必要が生じて初めて武器使用ができますから、例えば、警護対象のない山中などでは使えない。警職法の規定は、場所や人数を選ばない点は良いものの、相手の抵抗・逃走の試みが前提となっている点が引っかかりそうです。この点、新設の隊法90条1項3号は、人数の多寡は関係なし、場所も関係なし、相手の抵抗・逃走の試みも前提となってはいません。相手が「(殺傷力の高い)武器を所持し、又は所持していると疑うに足りる相当の理由のある者」であって、「暴行又は脅迫をし又はする高い蓋然性があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合」なのだということがきちんと説明できれば、自衛隊が先んじて武器使用することも不可能ではない内容です。

 ところで、治安出動に関わる隊法改正は、同時多発テロを受けたものである一方、「1996(平成8)年以来の検討事項であった不審船・武装工作員などへの対応にかかわる(中略)改正」(*)でもありました。平成8年4月の総理指示による危機管理4案件の検討開始から5年、「沿岸・重要施設の警備」は、テロの衝撃を受けてついに法改正に結びついたのです。

 自衛隊法の改正後も、武装工作員等事案に自衛隊が治安出動で対処する体制は着々と整えられて行きます。

 手始めは、警察と自衛隊の間で結ばれる治安出動に関する協定についてです。「基本協定」と「細部協定」が平成12年・13年にそれぞれ改正されたことは、既に触れました。これに続くのが、各都道府県警察と陸自の現地部隊(師団等)との間で結ばれる「現地協定」の締結や改正です。平成14年5月末までに、全国の都道府県警察と陸自の師団等との間で現地協定の締結を完了(*)。

 骨組みとなる協定が締結されると、次はその協定の上に立ち、自衛隊の治安出動を想定した警察・自衛隊共同の図上訓練が始まります。現地協定締結完了からおよそ半年が経過した平成14年11月18日、北海道警と陸自北部方面隊が行った共同図上訓練を皮切りとして、翌平成15年2月10日に福井県警・第10師団が実施、以降2月12日に大阪府警・第3師団、2月25日に茨城県警・第1師団、2月26日に宮城県警・第6師団、3月11日に広島県警・第13旅団…と、続々開催されます(*)。

 この共同図上訓練は武装工作員等事案への対処に関するもので、現地における警察・自衛隊の相互連携をより緊密なものにするために行われた訓練ですが、同時に事態対処に関する両者の連携のあり方や問題点の検討なども行われました。共同図上訓練の成果は協定にも反映され、平成16年9月9日には「治安出動の際における武装工作員等事案への共同対処のための指針」が防衛庁(※当時)・警察庁共同で作成されました。代表者は、防衛庁側が運用局長、警察庁側が警備局長。平成12年の「基本協定」(防衛庁長官・国家公安委員長)、平成13年の「細部協定」(防衛事務次官・警察庁次長)に続く第3の共同文書です。詳しい内容については割愛しますが、武装工作員等事案が発生し自衛隊が治安出動する可能性がある場合、もしくは治安出動した場合における警察と自衛隊の任務分担・連携要領に関する基本的な事項を定めたものです。(*)

 「指針」締結を間に挟みつつ、共同図上訓練はなおもあちこちで続きます。全国の都道府県警察・陸自部隊における共同図上訓練が一通り完了したのは平成17年7月のことでした(*)。また、これに先立つ同年3月には、各都道府県警察と陸自師団との間で「治安出動の際における武装工作員等事案への共同対処マニュアル」が個別に作成されたそうです(*)。

 ところで、共同図上訓練が完了した平成17年という年は、自衛隊において不正規戦部隊対処がさらに重要視されるようになった年でもあります。先に、平成8年防衛大綱について触れましたが、平成17年は、平成8年防衛大綱に変わる新しい防衛大綱・中期防衛力整備計画が始まる年です。新しい平成17年防衛大綱では、従来の基盤的防衛力整備構想を踏襲するのではなく、「新たな脅威や多様な事態に対応すること」に重きを置いていることが特徴です。平成8年大綱において、防衛力の役割は、第1に「我が国の防衛」であり、以下「大規模災害等各種の事態への対応」「より安定した安全保障環境の構築への貢献」が続きました。しかし平成17年大綱では、防衛力の役割として、まず「新たな脅威や多様な事態への実効的な対応」が挙げられ、以下「本格的な侵略への備え」「国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取組」が続きます。筆頭に挙がっている新たな脅威・多様な事態とは、弾道ミサイル攻撃であり、島嶼部に対する侵略であり、周辺海空域に出没する領空侵犯機・武装工作船等であり、そしてゲリラや特殊部隊による攻撃。平成17年大綱を受けた平成17年中期防でも、防衛力整備の具体策として最初に挙げられているのは「新たな脅威や多様な事態への対応」、その後に「本格的な侵略事態への備え」という順番になっています。直接侵略対処が何よりまず第1だった時代から、新しい多様な事態に対処する時代へ……

 さらに、平成17年度からはいよいよ治安出動の実動訓練!が始まります。治安出動に係る実動訓練といえば、60年安保や70年安保を控えた一時期に盛んに行われたこと、既記の通り。しかるにあれらの訓練は陸自のみにて行われた訓練であり、またわずかの例外を除き、原則非公開でした。訓練実施の事実を認めることすら稀。しかるに今回の実動訓練は、警察と共同で行われる実動訓練であり、かつ、一部を報道陣に公開しつつ行われることが常例となっている模様。『日本の防衛』によれば、平成19年度末までに以下の通り共同実動訓練が行われたとのこと(*)。

  1. 平成17年10月20日 北海道警と陸自北部方面隊(*)

     陸自真駒内駐屯地において実施された。北海道警からは機動隊・交通機動隊・航空隊を中心に約150名、陸自からは北部方面総監部および第11師団・第18普通科連隊を中心に約250名が参加。強力な武器を所持した武装工作員等が北海道に上陸し、警察のみでは対処が困難となるような事態を想定し、警察と治安出動した陸自が共同対処する場合の具体的な連携要領について演練した。実施された訓練は、部隊輸送訓練、現地共同調整所の設置訓練、共同検問訓練、通信訓練等。

     訓練の内、部隊輸送訓練は公開で行われ、警察の白バイ・パトカーで自衛隊の車列(96式装輪装甲車など15台)を先導し公道を走る訓練や、警察・自衛隊の隊員がそれぞれ警察ヘリ(ベル412型「だいせつ3号」)や陸自ヘリ(UH-1)からリペリング降下し共同で現場を偵察する訓練、機関けん銃を装備した警察部隊を自衛隊ヘリ(UH-1)で輸送する訓練が公開された。その他の、共同調整所の設置・共同検問・通信等の訓練については非公開。

  2. 平成18年10月13日 四国4県警と陸自第14旅団(*)

     陸自善通寺駐屯地などにおいて実施された。徳島・香川・愛媛・高知の4県警から約100名、陸自第14旅団から約100名が参加。武装工作員が四国に上陸した事態を想定し、徳島・香川県警は第15普通科連隊と、愛媛県警は第14特科隊と、高知県警は第50普通科連隊との間で訓練を実施。具体的には、部隊の緊急移動・現地共同調整所の開設・共同検問などの訓練が行われた。

     訓練の内、緊急移動の訓練は善通寺市内の公道1.5kmを利用して公開で行われた。陸自の車両(軽装甲機動車・指揮通信車など14台)が車列を組み、警察の白バイとパトカーの先導を受けて公道を走行。その際には警察官が信号機を操作し良好な通行を確保した。この他、共同検問で武装工作員を発見する訓練や、共同調整所を開設し情報交換や指揮の調整、マスコミ対応などの訓練も行われたが、こちらは非公開(*)。

     なお、この訓練に4県警が参加したのは、武装勢力の侵入が4県にまたがるという想定のためではなく、4県警がそれぞれ別個に自衛隊との共同実動訓練を実施するのは非効率との観点から、同時に訓練を実施したものであるとのこと(*)。

  3. 平成18年11月29日 福岡県警と陸自第4師団(*)

     陸自飯塚駐屯地において実施された。県警・第4師団からそれぞれおよそ150名が参加。強力な武器を所持した武装工作員の上陸およびテロ行為を想定し、共同調整所の開設・自衛隊の部隊輸送・化学テロ対処などの訓練が行われた。

     訓練は一部公開で行われ、部隊輸送訓練では県警のパトカー・白バイが陸自車両(軽装甲機動車)を先導した。化学テロ対処訓練では、県警の機動隊員が検知を行い、しかる後に自衛隊が除染を実施、また両者共同で被害者の救護活動を行った。

  4. 平成19年2月20日 茨城・埼玉県警と陸自第1師団(*)

     陸自朝霞駐屯地において実施された。両県警と第1師団からあわせて約400名が参加。武装工作員の上陸を想定し、部隊輸送・共同検問・包囲制圧などを演練した。訓練にはヘリコプターが参加(UH-1×3機)。部隊輸送訓練については公開で行われたが、その他共同検問等の訓練は非公開。

  5. 平成19年2月21日 大阪・和歌山・奈良の3府県警と陸自第3師団(*)

     陸自信太山駐屯地において実施された。3府県警から約160名、陸自から約80名が参加。武装工作員が上陸し自衛隊が治安出動したとの想定で訓練が実施された。駐屯地内の道路・建物を公道・市街地に見立て、部隊輸送訓練では警察のパトカー・白バイが陸自の車両(軽装甲機動車)を先導し、共同検問訓練では陸自が機関銃を装備した軽装甲機動車で警戒に当たりつつ両者共同で検問を行った。

  6. 平成19年3月7日 北海道警旭川方面本部と陸自第2師団(*)

     陸自旭川駐屯地において実施された。参加者は陸自・道警あわせて約100名。武装工作員によるテロ攻撃を想定した訓練である。警察のパトカーが自衛隊車両(96式装輪装甲車・高機動車など)を先導する地上輸送訓練、自衛隊ヘリ(UH-1)や装甲車(96式装輪装甲車)を用いた警察部隊輸送訓練、共同輸送の連携要領に関する訓練などが行われたことが分かっているが、この他にどのような訓練が行われたかは定かでない。

  7. 平成19年6月8日 栃木・群馬県警と陸自第12旅団(*)

     陸自相馬原駐屯地において実施された。強力な殺傷力を有する武器を所持した複数の武装工作員が群馬県に侵入し、内閣総理大臣から自衛隊に治安出動が命じられたとの想定に基づき、警察・自衛隊共同の緊急部隊移動、共同調整所の設置運営、検問における連携要領などを演練した。

  8. 平成19年11月22日 愛知・岐阜・三重県警と陸自第10師団(*)

     陸自守山駐屯地において実施された。3県警からあわせて約150名、陸自から約100名が参加。武装工作員が上陸し、警察のみでは対処困難であり自衛隊に治安出動命令が下ったとの想定で、部隊輸送・共同検問・共同制圧などを演練した。

     訓練の内、部隊輸送訓練は公開で行われ、岐阜・三重県警の増援部隊(機関けん銃を装備した機動隊)を自衛隊のヘリコプター(UH-1×2機)で駐屯地に運び、愛知県警の緊急車両で現場に輸送する模様が公開された。なお、共同検問・共同制圧訓練については非公開。

  9. 平成19年12月14日 愛媛・高知県警と陸自(*)

     陸自松山駐屯地において実施された。参加したのは両県警および陸自からあわせて約210名。武装工作員の侵入を想定して行われた。訓練内容は不詳。

  10. 平成20年1月29日 神奈川・山梨・静岡県警と陸自第1師団(*)

     陸自駒門駐屯地において実施された。参加したのは3県警から機動隊など約170名、陸自から第1師団司令部・第31普通科連隊・第34普通科連隊・第1特科隊など約100名が参加。警察側の装備は車両約20台と機関けん銃など、自衛隊の装備は車両約30台と64式小銃など(*)。武装工作員の集団が市街地に侵入し警察のみでは対処困難、自衛隊に治安出動命令が下ったとの想定で、駐屯地を市街地に見立て、各県警がそれぞれの県の陸自部隊と組んで訓練に臨んだ。訓練内容は、共同調整所の運営・部隊輸送・共同検問・共同制圧など。

     警察・自衛隊の連絡員がそれぞれ相手の車両に乗り込み、静岡警察の白バイ・パトカーが34普連の高機動車など7台、あるいは指揮通信車1台と高機動車2台からなる車列を先導する部隊輸送訓練が公開で行われた。他の訓練は非公開で行われたが、共同検問訓練(山梨県警・1特隊)では、周辺住民がまだ残っているとの想定の下、部隊配置・任務分担・不測の事態への対処要領などを訓練。また共同制圧訓練(静岡県警・34普連、神奈川県警・31普連)では、共同調整所の指揮下、陸自の支援を受けて警察部隊が制圧を行う訓練が行われたとのこと。

  11. 平成20年1月31日 山口・島根・鳥取・岡山・広島県警と陸自第13旅団(*)

     陸自海田駐屯地において実施された。訓練の規模・内容は定かでないが、予定では、中国地方5県警から約110名、陸自第13旅団から約120名が参加、「広島県に上陸した武装工作員が車両を窃取し、同時破壊活動を実施後、鳥取、広島、山口県に分散して逃走する際、検問中の警察部隊にロケットランチャーを発射したことから、陸上自衛隊第13旅団に治安出動が下命された」との想定に基づき、陸上・航空緊急輸送訓練、現地共同調整所の設置・運営訓練、警察と自衛隊の共同検問訓練、防護対象の警備訓練などが行われることとなっていた。

     後日、訓練の模様を撮影した画像が陸自から公開されており、現地調整所を開設し陸自・警察が共同で警備(警察の警備車も待機)する様子、警察のパトカー・白バイが陸自の車列(機関銃を装備した82式指揮通信車、および73式中型トラックなど)を先導する様子、陸自のヘリ(UH-1)から機関けん銃・狙撃ライフルで武装した警察官2名がラペリング降下する様子などが確認できる。

  12. 平成20年2月13日 長崎・佐賀・大分県警と陸自第4師団(*)

     陸自大村駐屯地において実施された。参加したのは3県警と第16普通科連隊・第41普通科連隊・第4特科連隊などから合わせて約300名、さらに第4飛行隊・西部方面航空隊が支援部隊として加わった。武装工作員が上陸した状況を想定し、緊急部隊輸送訓練・共同検問訓練・重要防護対象の防護訓練などを行った。

     訓練は一部公開で行われ、緊急の部隊輸送のために警察のパトカー・白バイが陸自の車列(軽装甲機動車など)を先導、また離島への増援を想定し陸自ヘリ(UH-1)が警察官を輸送、さらに道路が混雑し陸上移動が困難な状況を想定し陸自の大型ヘリ(CH-47)が警察車両(パトカー・バイク)を輸送した。なお、共同検問や重防対象防護の訓練については非公開。

  13. 平成20年2月19日 熊本・宮崎・鹿児島と陸自第8師団(*)

     陸自北熊本駐屯地において実施された。参加したのは、3県警から機動隊を中心に約230名、陸自からは第42普通科連隊・第43普通科連隊・第12普通科連隊を中心に約200名。武装工作員の上陸を想定し、各県警がそれぞれの県の陸自部隊と組んで訓練に臨んだ。訓練内容は、共同調整所の設置・運営、部隊輸送、検問、重要防護対象施設の警備など。

     訓練は、陸上輸送と航空輸送の模様が一部公開された。航空輸送訓練では、陸自ヘリ(UH-1)から自衛隊員および機関けん銃で武装した警察官がそれぞれ4名リペリング降下し、先行班として一帯の安全を確保、しかる後に着陸した陸自大型ヘリ(CH-47)から警察のオフロードバイク2台、防弾盾・機関けん銃などを装備した警察官13名が展開し、先行班の援護を受けて現場へ進入し偵察と警戒に当たった。また陸上輸送訓練では、熊本県警のパトカーと白バイが42普連の車列(軽装甲機動車)を先導した。なお、その他の訓練については非公開。

  14. 平成20年3月17日 北海道警と陸自第7師団(*)

     陸自東千歳駐屯地において実施された。参加したのは、道警から機動隊など約70名、陸自からは第11普通科連隊・衛生隊・化学防護隊など約180名。武装工作員が市街地において化学テロを行ったと想定し、警察・自衛隊共同での被害者救護・除染・検問などを演練した。まず、市民からの通報を受け警察が出動、パトカーが一般市民に外出を控えるよう呼びかける中、NBCテロ対策部隊が化学物質の散布に用いられたペットボトルを回収し、自衛隊が被害者の救護と除染を行った。その後、道警と陸自の共同検問が行われた。

 以上14例。なかなか盛んです。治安出動といえばデモ隊相手、「弾圧」なる批判が滝のごとく……というのは昔の話。今や相手は武装工作員、デモ鎮圧で表現の自由を圧殺云々との批判を気にすることはなく、さらに訓練の模様を一部なりとも公開するのは当たり前。加えて、60年代70年代には前例のなかった警察との共同訓練。いやはや時代も変われば変わるもんです。

 こうした協定・訓練等と平行し、自衛隊独自の施策というのもあります。これらは必ずしも治安出動を眼目とした施策ではないのですが、特殊部隊・武装工作員等への対処を目的とした施策ということで、あながち無関係でもない。先に、平成13年中期防制定に伴う諸事業を挙げましたが、この時期になるとそれらの事業が続々と実を結んだり、あるいは新しい事業が始まったりしています。とりあえず列挙してみますと、以下の通り。

  • ゲリラ・特殊部隊の攻撃に対処する専門部隊として、特殊作戦群が編成される。(平成16年3月29日)(*)
  • 平成13年以来整備が続いていた東富士演習場の都市型訓練施設が完成(平成17年度)。中隊規模の部隊で市街地戦闘等の演練が可能な大規模施設。なお同様の施設は他の演習場にも設けられているが、そちらは小隊規模の部隊での訓練を対象としている。17年6月の時点で陸自中部方面隊の施設(饗庭野演習場)が完成済み、また陸自北部方面隊(北海道大演習場)・東北方面隊(王城寺原演習場)・西部方面隊(霧島演習場)が整備中だった。(*)
  • ゲリラや特殊部隊による攻撃等多様な事態に対処するための訓練の実施を目的とした、普通科部隊の派米訓練。平成14年度以降16年度まで毎年1個中隊基幹の部隊が、ハワイあるいはグアムの演習場に派遣された。なお、平成17年度以降は普通科2個中隊をワシントン州の演習場に派遣。(*)
  • 沿岸監視器材・施設防護器材・暗視器材などの整備を引き続き実施。具体的には、沿岸部における警戒監視・情報収集用の移動監視レーダー、夜間捜索用の個人用暗視装置など。(*)
  • 重要防護施設の警備に関する指揮所訓練や沿岸監視訓練の実施。(*)

 泰平の眠りを覚ます「北」の衝撃から10年強。平成8年の総理指示に基づく「沿岸・重要施設警備」の検討という形で不正規戦部隊対処の問題が本格的に取り上げられ、間に能登半島沖不審船事件を挟みつつ、自衛隊単独の対遊撃訓練から治安出動に係る協定の改正へ。さらにテロの衝撃を受けて法改正に結びつき、間に九州南西海域工作船事件を挟みつつ、自衛隊・警察の共同図上訓練が始まり、武装工作員対処に特化した指針やマニュアルをも制定。ついには、直接侵略対処に勝るとも劣らぬ重要事項として取り上げられ、警察との間で共同実動訓練を行うほどになりました。

 一頃は忘れ去られていたかのような治安出動は、「武装工作員対処」という新たな使命を得て生まれ変わりました。ゲリラ・コマンドー、略して「ゲリコマ」と称される不正規戦部隊へ対処する重要な手段。不透明な時代の多様な脅威に対処する自衛隊にとって、治安出動は、あり得ない話ではなくなったのです。

 

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