撃ち落とすぞおう

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 対領空侵犯措置、という事で空の話なのですが、しかし空の話に入る前に、まず海の話から入りましょう。

 海には「海洋自由の原則」という原則があります。これによると、海はそもそも誰かの排他的所有地となるような性質のものではない。海は誰でも使える、自由なものである。この思想に基づき、海を行く船には「無害通行権」という権利が与えられています。船は原則として海上を自由に航行する権利を持っており、他国の領海の航行も、領域国の主権侵害あるいは犯罪行為に及ばない範囲において可能です。領域国は、領海内に外国船がいても、これが法令違反その他主権侵害行為をはたらかない限りは、その航行を妨害してはいけません。

 では空はどうかというと、当初は、空についても海と同じく無害通行権があるべきだとする主張が一部にあったようです。空もまた海と同様に排他的所有地となるような性質のものではなく、そこには無害通行権が適用される……という考え方です。しかし領空は領海と違って陸地の上空にも存在し、そこの無害通行権を認める事は自国の機密を他国の目にさらす事になります。従って、空にも無害通行権ありとする主張は主流とはならず、空の無害通行権については認められませんでした。(*)

 1919年のパリ国際航空条約では、領土および領海の上空に対する領域国の「完全かつ排他的な主権」の存在が承認され、この考え方は1944年のシカゴ条約(国際民間航空条約)にも受け継がれました。現在(※平成20年4月現在)、シカゴ条約においては民間航空向けに「空の自由」が設定されていますが、かなり制限付きのものとなっています。

 シカゴ条約上、外国領空への航空機の進入は、国の航空機(軍・警察・税関の用に供する航空機)と民間航空機とで異なる扱いを受けます。まず国の航空機の場合、外国領空へ立ち入るに当たっては当該国の許可を受けなければなりません。民間機の場合は定期便か不定期便かで扱いが異なり、定期便の乗り入れは領域国の許可を要し、不定期便のみ(一定の制限はありますが)自由な乗り入れ・横断飛行ができることとなっています。これは、国連海洋法条約にて民間船舶はもちろん軍艦に対しても外国領海内の無害通行権が付与されていることと比べると、随分違います。

 このように、領海と違って領空には、領域国の管理権がより強くはたらきます。外国の国の航空機による無許可侵入や外国民間航空機による航空関連法規違反などは取締りの対象になり、特に前者について、日本では自衛隊が取締りに当たっています。

 防衛大臣は、外国の航空機が国際法規又は航空法その他の法令の規定に違反して日本の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、この航空機を着陸させ、または日本の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができます(自衛隊法84条)。ちなみに着陸させた場合、その後の措置は警察・入管(一応、不法入国に該当するでしょうから)にお任せです。自衛隊がやるのは着陸させるまでで、その後はお呼びでない。何と言っても、自衛隊は法を執行する警察機関ではありませんので。なお、機体の調査に限っては、隊法84条に基づく対領空侵犯措置の実施に必要ということで、自衛隊が行うことが認められています(*)。

 ただしこの場合の領空侵犯は、あくまで平時における不法な領空立ち入り、のことを指します。外国航空機が侵略の意図を持って領空侵犯する場合は、武力攻撃に当たるため防衛出動・武力行使で対応することになります(*)。……当たり前ですね。失礼しました。

 自衛隊が隊法84条に基づく対領空侵犯措置を開始したのは、昭和33年からです。同年2月17日に防衛庁長官から航空幕僚長に対し「領空侵犯措置に関する一般命令」(昭和33年2月17日付空甲般命第1号)が発令され、空自による対領空侵犯措置が始まりました(*)。それ以前は、米軍に領空侵犯への対処を依頼していました。

 米軍が対領侵任務を行っていた時代にかいつまんで触れると、その当時、北海道上空ではソ連機と目される航空機による領空侵犯が多発していたほか、北方領土上空やその近辺で米軍機が撃墜される事件も発生しており、共産圏の「空の脅威」に在日米軍は神経を尖らせていました。そこで昭和27年11月、在日米軍は日本の領土上空でソ連機ないしその同盟国の航空機と交戦することについて統合参謀本部から承認を獲得し、その実行のため動き始めました。新鋭機F-86の配備を待ちつつ、日本から米軍への協力要請を得るため、頃合を見て日本側と交渉を開始します。(*)

 それまで、在日米軍が把握していた領空侵犯の状況は、日本側には伏せられていました(*)。その一方日本側でも、北海道上空に外国軍用機がたびたび侵入していること自体は独自に掴んでいたようですが、正確な状況までは把握できていませんでした(*)。昭和27年12月末に駐日米国大使館で開かれた会議の席上、日本側は初めて米国側から領空侵犯の状況に関する情報提供を受け、対応の検討を開始しました(*)。

 その結果、翌昭和28年1月に日米間で書簡を取り交わし、在日米軍による対領侵措置が始まりました。まず昭和28年1月13日に、当時の岡崎勝男外務大臣が、ロバート・マーフィー駐日大使に宛てて、日本の領空を侵犯する外国軍用機へ対処するに当たって米軍の協力を求める書簡を送り、同時に、このような要請を行った旨を正式に発表。これに対し、1月16日に米側から了解した旨の返書があり、また往復書簡の文面がマスコミに公開されました(*)。当事者の名前から、岡崎・マーフィー往復書簡とも呼ばれます。

 ここで根拠とされたのは、安保条約第1条。同条に基づく「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するための駐留軍の使用という形式を取っています。安保条約では、平時における日本の領土保全は駐留軍の使用目的に挙げられておらず、また平時の領空侵犯は「外部からの武力攻撃」あるいは「敵対行為」とまでは呼べないものですから、こういう形になりました。日本への領空侵犯は日本の安全に対する重大なる侵害であり、ひいては極東の安全に影響するところだという論理です(*)。

 効果はてきめん。対領侵措置開始から約1ヶ月後の2月16日、ソ連のマークを付けたLa-11×2機が根室付近で領空を侵犯し、迎撃した米軍のF-84G×2機と交戦、千島方面へと退避しました。なお、1機は銃撃を浴び煙を吐いたとのことですが、撃墜にまで至ったかどうかは未確認です(*)。この事件を契機に、故意に北海道上空へ侵入する領侵事件は途絶えたといわれています(*)。

 さて現在自衛隊が行っている対領空侵犯措置は、まず日本の領空及びその周辺に防空識別圏(ADIZ)を設定し、そこを飛ぶ航空機についてあらかじめ情報を収集することから始まります。ADIZは、領空上のみならずその周辺空域、日本の場合は領海に接する公海の上空──すなわち日本の領域「ではない」空域にも設定される場合があるのですけれども、これについて国際法上さしたる規定はありません。明文で容認されてはいないけれど、禁止もされてはいない。ただし、公海上空は日本の領空ではありませんから、そこにADIZを設定すること自体はともかく、できることはせいぜいが情報収集程度に限られます。公海上空には空の自由があり、そこを他国の航空機が飛ぶこともまた自由。沿岸国が干渉することはできません。(*)

 次に、ADIZを設定し収集した情報と、全国各地のレーダーサイト(SS)で実際に捕捉した機影とを照らし合わせます。提出済みの飛行計画や二次レーダー(ATCトランスポンダ)の応答内容などなどによって照合・確認ができない機影は、不明機として扱います。不明機がなおも近付いて来るようなら、手頃な空自基地から要撃機を緊急発進させ、接近しての目視確認の上必要あらば処置させる……と、こういった具合です(*)。

 SSで捕捉した機影の確認作業と緊急発進の指令および要撃管制を担当するのは、DC(防空指令所)です。かつてはADDCと呼ばれ、一部のレーダーサイトに併設する形で全国合わせて7ヶ所ほどあった(例えば西方の背振山や南混の与座岳など)(*)とのことですけれども、現在(※平成21年6月現在)ではDCと改まり、各航空方面隊と南西航空混成団に1ヶ所ずつの計4ヶ所。DCの上には航空方面隊・南混団のSOC(作戦指揮所)があり、防空全般の指揮統制を行います。かつてはADCC(防空管制所)と呼ばれていました(*)。そしてこれらを束ねるのが、空自航空総隊のCOC(作戦指揮所)です。現在は府中にありますが、2010年度には航空総隊司令部が横田に移るそうなので……COCも移転するのかも。

 上記の通り、現在のところ防衛大臣の命を受け対領空侵犯措置活動を行っているのは空自です。ところで隊法84条では、防衛大臣の命により対領侵措置に従事するのは「自衛隊の部隊」と書いており、これは陸海空の別を問いません。陸自・海自が従事することもできます。実際、昭和30年以降陸自も対領空侵犯措置の研究を行なっており、昭和33年4月には陸自の高射砲部隊(横浜の第107特科大隊)に同任務を付与するかどうかが検討されました(実現はしませんでしたが)。(*)

 また昭和40年代になると、陸自がSAM(ホーク)を装備するようになることから、第一義的には空自が対領侵措置に当たりつつも陸自の高射特科部隊が後詰の役割を一部担っていたそうです。具体的には、当時全国に24あったSSに陸自の連絡要員がいて、状況次第ではこの要員経由で高射特科部隊に通報が行きます。またADDCにも陸自の担当官がおり、空自の指揮官がSAMによる要撃を選択した場合は、空自の高射部隊(当時はナイキ・アジャックスあるいはナイキJを装備)担当者との間で調整を行い、しかるべき部隊が選択されることになっていました。これは、あくまで空自からの情報を元に陸空間で調整するというものであって、空自が陸自の部隊を指揮している訳ではなく、「統制」と呼ばれていました。(*)

 こうした対領侵措置上、ポイントとなるのは、領空侵犯機あるいは領空侵犯のおそれがある航空機(以下、まとめて領侵機等と表記します)に対する「必要な措置」の内容です。 "自衛隊もし戦わば" ページという以上、措置の内容には(究極的には)武器の使用も考慮に入れてある……というのは、皆様御承知の通りでしょう。かつ、ここでいう武器の使用とは、相手に危害を加える武器使用のことを指します。

 領侵機等に対する「必要な措置」の具体的内容は、隊法上明らかではありません。国際法上も、明文であれこれと指定がなされているものでもない。しかし国際慣行によれば、通信や要撃機の動作(特定の位置で翼を振ってバンクする等)によって相手に警告し、領空侵犯前に進路変更を促したり、領空からの退去もしくは着陸を強制します。しかしそれでも侵犯行為が続く場合は、とりあえず信号警告(信号射撃)を実施するということになっているそうです。この基本的手順は、日本においても踏襲されています(*)。またものの本によると、信号射撃というのは、武器を用いた行為ではあるものの、あくまで主権意志の表現であって、「撃ち落とすぞ」というような威嚇ではありません。相手は威嚇だと思うかもしれませんが、それは信号射撃が本来意図したところのものではない……とのことです。威嚇のための射撃となると、それは信号射撃ではなく警告射撃であって、武器の使用と一体をなすものである(*)。

 ここで、領空侵犯前に進路変更を促すことはさておき、実際に領空侵犯した機体に針路変更や着陸を「強制」する、という点。特に、通常ならば主権平等原則や主権免除に基づき干渉が許されないであろう外国の軍用機に対しこのような干渉が許されることについて。これは、許可なく他国の領空に侵入した外国の軍用機は、許可を得ない侵入なるがゆえに特権を失い、領域国の完全な支配下に置かれると考えられることから、こうした干渉もまた当然──とされているようです。(*)

 先に挙げた1919年のパリ国際航空条約では、32条において

「締約国ノ軍用航空機ハ特別ノ許可アルニ非サレハ他ノ締約国ノ版図上ヲ飛行シ又ハ其ノ版図ニ着陸スヘカラス右ノ許可アリタル場合ニ於テ特別ノ規定ナキ限リ軍用航空機ハ外国軍艦ニ慣例上許与セラルル特権ヲ享有スルコトヲ原則トス 着陸ノ巳ムナキニ至リ又ハ着陸ヲ求メラレ若ハ命セラレタル軍用航空機ハ其ノ事実ニ基キ前項ノ特権ヲ有スルコトナカルヘシ」

と定められていました。同条約の後継と位置付けられるシカゴ条約にはこうした条文は存在しませんが、とはいえ、シカゴ条約がパリ条約32条のような考え方を排除するというものでもない、とされます。何となれば、パリ条約32条は、同条約により新たに創設されたものではなく、一般国際法の原則をパリ条約の条文として取り入れたと見なすべきだからだ……と。こういうことなので、たとえ軍用機であろうとも、領侵機である以上は干渉できるとするパリ条約32条の考え方は、国際慣例として今なお生きている。(*)

 問題は、領侵した航空機が、各種の誘導・警告や通り一遍の信号射撃でもなお言う事を聞かなかったらどうするか?というところ。

 この場合、一般的には、信号射撃を繰り返し、それでも従わない場合は撃墜やむなしという手順を踏む事になっているようです……が、一概にこうという訳でもありません。相手が高性能な偵察機なら無警告で落すかもしれません。また旅客機だったら、みだりに撃ち落とす訳にはいきません。特に後者は、昭和58年(1983)9月の旧ソ連機による大韓航空機撃墜事件を契機に、大きな問題となりました。事件後に開かれた国際民間航空機関(ICAO)特別総会でシカゴ条約が一部改正され(国際民間航空条約の改正に関する1984年5月10日にモントリオールで署名された議定書)、「締約国は、各国が飛行中の民間航空機に対して武器の使用に訴えることを差し控えなければならず及び、要撃の場合には、航空機内における人命を脅かし又は航空機の安全を損なつてはならないことを承認する」という内容を含む新たな条文(第3条の2)を制定しました。

 その一方、新設された同条約第3条の2では、民間機は領域国による要撃に従うものとし、また民間機の登録国・運航国は、要撃に従うことを義務化するようしかるべく規則を定める旨が記されています。日本は平成10年(1998)に同議定書を国会で批准、ほぼ同時に航空法施行規則を改正し、民間機の運航規程において「外国からの要撃(中略)が発生した際に(中略)とるべき措置」を定め国土交通大臣の許可を受けなければならない旨を規定しました(航空法104条、同施行規則213条・214条)。具体的にどういう措置をとるべきか、というところまで記されていはいないものの、シカゴ条約に則った形の措置でなければならないことは言うまでもありません。

 これで、民間機については、1.) 要撃を受けた航空機はその指示に従うこと 2.) 領域国が要撃を行う場合は航空機の安全・機内の人命を危険に晒してはならないこと 3.) 領域国から要撃を受けた航空機が指示に従わなかった場合には、機体の登録国・運航国の規則に基づき罰せられること──という枠組みが定まりました。

 民間機は上記の通りでよいとして、軍用機の場合はどうするか。前述シカゴ条約は国の航空機に対し適用されませんから、条約3条2は国の航空機に適用なし。軍用機にも無論適用はありません。こうした状況にあって、領侵した外国軍用機に対する措置とはいかなるものか。

 上で軽く一般論に触れましたが、そうはいいつつケースバイケースの部分も多く、機体の種類や状況によってあれこれ変わるもののようです。領侵といっても、過失によるものもあれば、計器の故障や悪天候といった不可抗力によるものもあり、さらには故意に偵察機を送り込んでくる場合もあり……。緊急状態のため他国領空へ侵入することが「国際法上全く認められないというわけではない」という一方で、「敵対的意図」を持つ航空機が領空侵犯したとみなされるような場合は、無警告でいきなり撃ち落とされることもあったり。昭和35年(1960)年に旧ソ連国内で米国のU-2偵察機が撃墜された事件などは、その典型です。(*)

 では翻って、日本ではどうであるか。特に、領侵した航空機への武器使用はどうなっているか、というところ。隊法では、84条に「自衛隊の部隊に対し(中略)必要な措置を講じさせることができる」とあるのみで、武器を使っていいとは明記されていません。かつこの84条は隊法6章「自衛隊の行動」中の条文であり、隊法7章「自衛隊の権限等」には何らの規程もなし。ここから、隊法84条はいわゆる組織規範であって根拠規範ではあり得ず、自衛隊は領空侵犯に対処する任務を負ってこそいるものの実際には武器使用はできない、と主張する人もいます(*)。その一方、84条は十分に根拠規範とみなし得るもので、「必要な措置」の中に武器使用を含ませることも行政裁量の範囲内、という反論もあります(*)。

 諸説あるようではありますが、国の立場としては、84条の「必要な措置」には武器の使用も含まれており、領侵機が自衛隊機に向け発砲もしくは発砲しかける等刑法上の正当防衛・緊急避難の要件を満たすならば武器使用による直接強制も認められる、ということだそうです。ここで正当防衛・緊急避難に言及しているのは、刑法上の規定(36条・37条)が根拠となりこれによって武器使用の違法性が阻却されるということ「ではなく」、それらを危害要件として借りているだけで、根拠そのものはあくまで隊法84条にある、とされています。この点につき、政府当局は一時、84条だけでは武器の使用を許されないという解釈を取っていたこともありました。しかしこの解釈はすぐに取り下げられ、今では84条根拠ということで固まっています。(*)

 刑法に謂う正当防衛・緊急避難とは、個人の行動について違法性阻却を云々する条文ですが、しかるに隊法84条に基づく対領空侵犯措置とは、自衛隊の部隊が行うものです。国家主権に基づく警察行動であり、武器使用の要件判断もパイロットではなく要撃を管制する上級指揮官が行うのが原則です。直接強制を要するかどうか、状況を報告し指示を待つのが基本(*)。武器を使用する本人が個人の判断でそれに及んだのならともかく、要件を判断する人間と撃つ人間が別で、しかも個人の身体生命を守るためではなく国の警察活動としての武器使用なのに「刑法上の正当防衛・緊急避難が根拠」というのではおかしい……と解されるもののようです(*)。

 かくして隊法84条で武器を使えるとして、では一体どこまで撃てるのか。先に海上警備行動の項でも触れましたが、ハイテク時代の今、ミサイルなんて当たればそれでおしまい、ほとんどやるかやられるかの世界であって、手加減するのが難しい。前記の通り、隊法上危害射撃が許されるのは正当防衛・緊急避難に該当する場合に限られます。自衛隊機に歯向かって撃って来る/撃って来かねないとか、爆弾倉を開いて地上に向け投弾の構えを見せるというなら、危害射撃ができますが、そうではなく単に無視して飛んでいるだけのやつを落とせるかとなると……。

 昭和60年代に国会で防衛庁防衛局長(※当時)が「警告射撃とそういった撃墜との間のやり得る措置が何らかあり得るかということになりますと、例えばできるだけ被害の少ないところに撃ってみるということもあるかもしれませんけれども、何せ一万メートルといったような高度でございますので、それによって落ちないという保証がほとんどない。ちょっとした傷がついても空中分解するとかいろいろな問題がございますので、なかなか難しい問題がございます」(*)と苦しい答弁をしていますが、これは平成の世でも通じる話です。信号射撃からさらにはぎりぎり警告射撃まで行ってもなお無視を決め込み領侵を続けるような場合、どうすればいいんでしょう。落とすつもりで撃てるのか?

 さらに、刑法上の正当防衛・緊急避難を危害要件として借りていることから、逃げる相手を追いかけてどうこうするということは事実上できない模様。例えば、領侵機が爆弾を投下した後に逃げ出したとか。領侵機が空自機を撃墜後、逃げ出したとか。こういう場合、爆撃や空自機への攻撃態勢を取っている段階にあっては武器使用も考えられますが、ここで仕留められず相手が逃げ出したとなると、その相手を追って武器を使用することは難しい。相手が単に逃げるだけなら、それはもはや正当防衛・緊急避難に相当するとは考えられないからです。(*)

 ついでに。武器関連でいえば、「対領空侵犯措置」ということで領侵した航空機に対して武器を使用する余地があるのは分かるとしても、領空外の機体に対しては武器を使用できるのか?という問題もあります。ここまで来ると、さすがにかなり怪しい……。ものの本などでも、さらっと斜め読みした限りでは、現状の隊法84条ではそこまで出来ないでしょうという結論になっているようでした。となると、例えばの話、長射程の対地ミサイルを積んだ他国の爆撃機が接近して来たとしても、いまだ防衛出動が発令されていない段階においては領空外にある限り手出しできず、奇襲対処上問題があるではないか……という話も出てきます(*)。なるほど、言われてみればそうかなという気もしますが、その辺りは気が向いたら別項にてでも。

 こうした武器使用の基準やあり方という話は、興味をそそられるものである一方、細かい話はなかなか表には出てきません。要撃の手の内がバレては困るので、当然といえば当然でしょうか。この辺の具体的な基準などについては防衛省・自衛隊の内部規則で定めてあり、具体的には「領空侵犯に対する措置に関する訓令」(昭和39年防衛庁訓令第3号)及びこれを受けた「領空侵犯に対する措置に関する達」(平成元年3月16日航空自衛隊達第21号)というものがあるらしい。情報公開請求を行ってもなかなか公開してもらえない様子ですが、興味のある方はTRYしてみてはいかがでしょう。

 なお、こうした領空侵犯への対処は、全て自衛隊だけで行うとは限りません。上でも触れた昭和28年の岡崎・マーフィー往復書簡は、昭和33年に自衛隊が対領空侵犯措置を開始して以降もなお生きており、「重大な侵犯等の場合には将来の理論的な可能性といたしまして米側に要請する可能性は常にあるということでございます」……ということなので、自衛隊だけでは手に余る等、いざとなれば米軍の助けを借りることもできるようになっています。(*)

 ここで、平時の領空侵犯は武力攻撃ではなく、領空侵犯に対する措置も戦闘作戦行動ではありません。ゆえに、領空侵犯への対処について米軍に協力を要請をするといっても、日本の施政下にある領域への武力攻撃に日米共同で対処することを定めた安保条約5条の発動を意味するものではありません。あくまで平時の対応であり、書簡の実際の運用は、自衛隊との緊密な連絡の下で行われることになっているそうです(*)。

 具体的には、往復書簡の後に日米の航空防衛当局間で結ばれたいわゆる「松前・バーンズ協定」に基づいて運用されます。これは、昭和33年に空自が対領侵措置を開始し、それまでは米軍が運用していたレーダーサイトが逐次移管されることを受け、昭和34年に結ばれた行政協定です。昭和33年以降も、往復書簡に依拠して米軍が対領侵措置を行うというケースが考えられるものの、要撃管制組織は日本側に移ることから、日米双方の要撃の手順を整理するために決められました。空自航空総隊司令松前未曾雄空将と、米第5空軍司令官ロバート・ホイットニー・バーンズ空軍中将の間で結ばれた協定なので、2人の名前を取って「松前・バーンズ協定」と呼ばれています。内容はおおむね5項目からなり、列挙すると以下の通り。(*)

  1. 米第5空軍と空自航空総隊との間の、日本の領空侵犯に対する措置を実施する上での細目事項を明らかにするのが目的。
  2. 米第5空軍と空自航空総隊とは別個の指揮系統を有する。
  3. DEFCONを高めるに当たっては相互に緊密な調整を行う。ただし緊急時にあっては、一方的にDEFCONを上げ、事後に通告する。
  4. 府中のCOCは、米第5空軍と空自航空総隊の双方の指揮中枢とする。
  5. ADCC及びADDCに、それぞれ米第5空軍の連絡員(ADOT)を配置する。

 1950年代に決められたことなので用語が古いですが、ADCCをSOC、ADDCをDCと読み替えれば(かつ府中COCの横田移転後はそれも読み替えれば)今でも通じます。

 往復書簡に基づき米軍が対領侵措置を取るに当たっては、この協定により、日本側の防空部署に配置された米軍のADOTを通してレーダー航跡等の情報が米軍側に通報され、これを利用しつつ、米軍も要撃行動に出るということです。その際、要撃行動は米軍・自衛隊それぞれがそれぞれの指揮系統に基づいて行い、一方が他方の指揮下に入るものでもない。要撃の手順も日米がそれぞれのものを定め、空自は防衛庁(現防衛省)の内訓、米軍は米軍の要撃準則にのっとり、一方が他方の準則を用いるものでもない。(*)

 ということは、形式上は安保条約5条の発動抜きに、米軍が独自に迎撃行動を取ることになります。これが戦闘作戦行動に当たるなら、条約6条の実施に関する岸・ハーター交換公文(条約5条に基づくものを除き、米軍が日本から実施する戦闘作戦行動を日米間の事前協議の対象としている)で取り上げられるべきものになりますけれども、上記の通り平時の領侵に対する迎撃行動は戦闘作戦行動ではないので、事前協議の対象でもありません。(*)

 また、旧安保条約時代の昭和28年に交わされた往復書簡が1960年(昭和35年)の新安保条約締結以降も効力を保っているとするその根拠は、国際法上、事情が変更されない限り約束事は有効であるとする「ムタティス・ムタンディスの原則」です。往復書簡中には「一九五一年九月八日付合衆国と日本国との間の安全保障条約」(今で謂う旧安保条約)や「極東軍総司令官」といった文言がありますが、これらは適宜読み替え。昭和35年1月の藤山愛一郎外務大臣とダグラス・マッカーサー2世駐日大使(※いずれも当時)の会談で往復書簡の有効性が確認され、今に至っています。(*)

 なお、書簡を交わした当時、米軍による対領侵措置の具体的根拠は旧安保条約1条に求められ、極東における国際の平和と安全の維持に寄与する駐留軍の使用という名目だと書きました。この点、現在では、現行の安保条約6条に依拠するものと解されているようです。(*)

 ここしばらく、岡崎・マーフィー往復書簡が目に見える形で生きた例というのはなさそう。昭和43年の時点で、当時の防衛庁長官が「この協定(※松前・バーンズ協定)によってスクランブルを日本側もやり、またアメリカ側もやるという当時の約束でございましたけれども、いまはもうスクランブルは日本側だけがやっております」(*)と語っていますし、昭和51年には、横田にいた米軍の戦闘機(※当時はF-4)が撤収した後、本土に駐留する米軍はそもそもスクランブルに上がる能力を持たなくなった、という話も出ています(*)。ADOTにしても、同じく昭和51年の時点で、那覇と府中に居るだけというところまで縮小されていました(*)。

 とはいえ、往復書簡が今なお命脈を保ち続けていることは上記の通りですし、松前・バーンズ協定にしてもしかり。加えて、在日米軍に頼ることになるケースが今後皆無とも言いきれません。例えば、平成19年(2007年)11月、F-2とF-15が事故により飛行停止となったため、空自が対領侵措置に使える戦闘機は実質F-4のみとなったことがありました(*)。この時は、F-4があったということもあり、米軍の手を借りることなく済みましたが、しかし仮に、F-4までもが何らかの理由で飛行見合わせとなっていたらどうだったか。もしかすると、眠れる往復書簡が目を覚ましていたかもしれません。

 この件は、ものの本によると、まず10月末に、三菱重工に定期修理に出されていたF-2が修理後の社内飛行で墜落し、原因が究明されるまで即日飛行見合わせとなりました。さらに11月になると、米国ミズーリANG(州兵航空隊)のF-15が墜落、飛行停止となり、事故情報を入手した空自も11月4日にF-15の飛行を見合わせました。この結果、築城・小松・百里・千歳では戦闘機が飛べなくなり、特に中部航空方面隊では飛べる戦闘機がない!という事態に。このため、F-4を装備している南混団那覇基地の第83航空隊302飛行隊から一部の機体を百里に移し、対領空侵犯措置任務に就けました。なお、西部航空方面隊は新田原の第5航空団301飛行隊、北部航空方面隊は三沢の第3航空団第8飛行隊がそれぞれF-4を持っていたため、よそから機体を借りるほどではなかったようです。(*)

 一方在日米軍も、昭和51年(1976年)には「実は、日本の国内におきまして、これは沖繩を除きまして、米軍のスクランブルの態勢というものは現在はございません」「たしか昭和四十年ごろだったと記憶いたしておりますが、日本に配属されておりましたアメリカのファントムが、日本といいますか、横田に配属されておりましたファントムが帰りました後、わが国に常駐しておりますファントムというものは沖繩にしかおりませんので、いわゆる内地といいますか、本州におります米軍にはそういう能力はないわけでございます」(*)と言われていたものの、その後三沢に空軍の戦闘機が改めて配備されたことから、今ではいざとなれば対処できる態勢を保っています(*)。最近も、実際に迎撃態勢を取ったことがあります。

 ものの本によると、2006年(平成18年)7月、北朝鮮による弾道ミサイル発射実験を監視するため米軍の偵察機が日本に展開・活動した際、北朝鮮軍による偵察への妨害を警戒し、厚木の海軍機(F/A-18)と三沢の空軍機(F-16)が、実弾搭載の上アラート待機に就いていたとか。もちろん、これは日本領空への侵犯に備えた活動ではなく、偵察機や空中給油機のような「高付加価値空中資産(HVAA)」と呼ばれる機体を守るための活動ですが、それでも在日米軍が独自に行ったアラート待機に違いはありません。(*)

 こうした体制の下、実際どの程度自衛隊は対領空侵犯措置で活躍しているのか……というと、不明機に対する要撃機の緊急発進は年間数百回に達しているのに対し、実際の領空侵犯はそうそうあるものではないらしい。空自が対領空侵犯措置を実施し始めた昭和33年(1958)以降平成20年度末(2009.3.31)までの約50年間で、スクランブルの回数は合計2万回を越えるのに対し、領侵事件はわずか34件です。1年に1回もない計算になります。あるいは見方を変えて、これら2万回を越えるスクランブルがあったればこそ領侵事件が2桁台で済んでいる、と言うべきでしょうか。この34件の領侵事件の中には、実際に自衛隊機が信号射撃(警告射撃)を行うに至った事件や、昭和51年(1976)9月のMig-25亡命のような大事件も含まれます。領侵するのは大体が旧ソ連・ロシア機ですが、台湾機によるものも1件あるそうです。(*)

 これまでのところ、自衛隊機が領空侵犯機に対し直接強制に及んだことはありません。しかし、もう少し広い意味で武器を用いた例は、1件だけあります(*)。昭和62年(1987)12月9日のことでした。同日午前10時半頃、レーダーサイトが不明機を発見し、空自那覇基地から要撃機が緊急発進しました。相手は太平洋上を北東に進んでいたソ連機3機。いずれも北転するのですが、その内1機(電子偵察機と思われるTu-16Jバジャー)は沖縄に接近する進路を取りました。そこで、領空に接近している旨を無線及び要撃機の機体動作により伝えるのですけれども、反応ありません。午前11時半頃、ついに当機は領空へ侵入し、まっすぐ沖縄本島へと向かいます。そこでレーダーサイト及び要撃機から無線・機体動作により着陸するよう通告し、さらには要撃機に対し南西航空混成団司令から信号射撃の命令が下ります(*)。

 信号射撃のやり方は至って簡単で、要撃機が領侵機のコクピットから見える位置に横並びに飛び、そこでこれ見よがしに機関砲を撃ってみせるのです。横並びに飛んで撃つ訳ですから、相手に当たる危険はありません。と同時に、機関砲にはトレーサーが詰めてありますので、前方に弾道が伸びていくのが領侵機からもしっかり見える(はず)という寸法です。信号射撃は2度行われ、その上で、こちらの誘導に従って着陸するよう重ねて通告しました……が、効果ありません。

 相前後して地上でも強制着陸に備えた用意が始まっており、空自那覇基地への強制着陸を想定して、那覇基地が併設されている那覇空港を管轄する運輸省那覇空港事務所(※当時)に通報。その際事務所側からは、着陸後の取り扱いについて一、二意見はあったものの、着陸そのものに特段の異論はなかったそうです(*)。沖縄県警とも連絡を取り、万一の事態に備え県警の機動隊が動員された他、空自那覇基地司令からは「実弾を装填した小銃を持たせた隊員を誘導路脇にビッシリ整列させよ」という命令が出たとか(*)。かくして強制着陸への準備は進むのですけれども……

 結局、ソ連機が指示に従うことはありませんでした。北から東へ緩やかに旋回しつつ、嘉手納はじめ米軍基地も所在する沖縄本島南部上空を縦断し太平洋側へ抜けた後、公海上空で今度は北西へ変針、2度目の領侵を行い徳之島と沖永良部島の間をぶっちぎって東シナ海方面へと飛び去りました。領空侵犯の時間は2回合わせて11分余り。

 当日の天候は良好で視界十分、島に気付かなかったというはずはなし。それどころか、飛行コースは沖縄本島上空を敢えて通過するかのように蛇行しています。信号射撃まで交え要撃機から度重なる通告を行ったにも関わらず領侵が行われたことで当局はことのほか頭に来たらしく、従来にない強い調子でソ連側へ抗議したということです。領侵翌日(12月10日)に外務省欧亜局長(※当時)が在日ソ連大使を呼んで厳重に抗議を行い、その際、口頭にてではありますが「今回の件については自衛隊機は抑制された行動をとったが、他の国であれば撃墜等大事件にもなりかねない事案である」と“注意を喚起”しました(*)。

 これに対しソ連側は、翌11日に正式に遺憾の意を表明し、パイロットの降格処分及び再発防止措置を取ると回答しています。その後、当機の機長は1階級降格の上すべての航空機への搭乗を禁止、部下のパイロットについては同機種への搭乗を禁止。また再発防止措置として、同型機の航法装置の改善や単独飛行の禁止などといった対策が取られたことが明らかになっています(*)。また、この領侵機のレーダー航跡情報は、那覇にいるADOT経由で米軍にも伝えられていました。上で触れた往復書簡と松前・バーンズ協定がなお生きていることの証です(*)。

 最後に、おまけという程のものでもないですが……。上で記してきたことは、いずれも「領空侵犯した外国機」に対する措置です。領空において不法侵入に対する警戒を行っているのは自衛隊であるにより、領空侵犯に対しては自衛隊が取締に当たる。しかしこれはあくまで外国機に対する取締であり、国内機向けではないということをお分かり頂けますでしょうか。当たり前のことですが、国内機に「日本の領空を侵犯する」などという概念は適用できません。また、自衛隊の取締は犯罪捜査とは違うということもお分かり頂けますでしょうか。領空であっても、そこで起こった犯罪を捜査するのは司法警察機関の仕事になります。自衛隊の仕事は、領侵機を退去or着陸させるまで。そこから先はお呼びでない(一応、対領侵措置の一環として領侵機の機体調査はできますが)。

 以上の話から、国内機による空中における犯罪の取締は、当然警察の責任となります。警察は飛行機など持っていませんが(一応、ヘリならありますね)、船と異なり永遠に空中に浮いていられる飛行機などない訳で、降りて来てから取り締まれば良いと。

 でもここで仮に、それが降りて来ないで済む飛行機であって、ずーっと空中に居すわっているとしたらどうする? 取締の責任は警察にあるけれども、警察はそのための有効な手段を持っていない。自衛隊は、国内機に対する取締の権限を持っていない。さあどうする。

 答えは簡単で、そういう場合は自衛隊が治安出動という形で取締に当たり、当機を撃墜するなり着陸させるなり、適当な処置をすることになるでしょう。以上、ヨタ話にて失礼致しました。

 空中犯罪関係で、もう少しありそうな話として。ハイジャック事件発生時、監視などの目的でハイジャック機につきそうように軍用機が飛ぶことがあります。日本国内におけるハイジャックで、自衛隊機がその任に当たる場合、法的根拠は通常「防衛省設置法4条に基づく情報の収集整理」「官庁間協力」、時には「訓練」ということになります。常にぴったりとついて飛んではいますが、もちろんそのままでは実力行使はできません。強制着陸のため機関砲の1発でも撃たせたいという時は、やはり治安出動の手続きを取る必要があります。

 実際に自衛隊が航空犯罪関連で治安出動した例は、これまでのところ全くありません。しかし報道によると、2008年(平成20年)7月の北海道洞爺湖サミットの際、当局は米国同時多発テロのようなハイジャック機によるテロを警戒し、万一の場合には空自含め自衛隊の治安出動も考慮していたとのことです(*)。

 
 
主要参考資料;
『領空侵犯の国際法』著;城戸正彦 刊;風間書房 1990
『スクランブル』著;田中石城 刊;かや書房 1997

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